ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『翔んで埼玉』(2019) 魔夜峰央:原作 武内英樹:監督

 どうもこの映画の企画そのものは、どうしようもないクソC級映画という空気に満ちているのだけれども、公開時には(埼玉県を中心に)大いに盛り上がって大ヒットとなり、この年の「ブルーリボン賞」では「作品賞」を、「日本アカデミー賞」(まああんまり信頼できる賞でもないが)では「優秀作品賞」「最優秀監督賞」「優秀主演男優賞」「優秀主演女優賞」など12もの賞を受賞し、イタリアのなんとかという映画祭で「観客賞」受賞など、海外の映画祭でも高評価を得ているらしいのだ。

 それでもわたしは「そこまでも観たい」というわけでもなかったのだが、昨日この映画には麻生久美子も出演していると知り、「それでは観てみよう」となった。まあ菊地凛子が出ているので『パシフィック・リム』を観てしまうようなものである。

 というわけで今日観てしまったわけだが、実は今わたしは千葉県の北西部、常磐線沿線に住んでいるわけで、この映画ではそんな千葉県も散々からかわれている(本当は大昔にちょっとだけ埼玉県に住んだこともあるのだけれども、もう記憶に残っていることもあまりないのだ)。
 つまりこの作品、「東京都」をヒエラルキーの頂点として、一方にそんな東京に追従してえらそうにしている神奈川(映画ではあまり出てこないが)があり、一方に東京に小バカにされる埼玉、千葉という構造があるわけだ。埼玉、千葉から東京に行くには「通行手形」が必要である。それ以北の茨城(わたしはここに長いこと住んでいたが)、群馬はもう問題外で、群馬などは森深き県内には「翼竜」が空を飛び、原始人みたいなヤツらがいたりするのだ。

 そんな東京の名門高校にアメリカから麻実麗(GACKT)という麗しき男が転校して来て、高校の生徒会長の壇ノ浦百美(二階堂ふみ)の心は彼へとゆらめく。あ、いちおう壇ノ浦百美は男であり、この映画は「ボーイズラブ」の映画でもある。
 壇ノ浦百美は徹底した「反・埼玉」で、「埼玉県人には、そこらへんの草でも食わせておけ!」という有名なセリフを吐く人物ではある。
 ところが麻実麗は実は「埼玉県人」ではないかと疑いが持たれ、埼玉県の鳥である「しらこばと」の焼きつけられた「草加せんべい」を踏みつけることが出来なかったため、「埼玉県人」とバレてしまう。しかし壇ノ浦百美はそんな麻実麗と行動を共にすることを選び、「親・埼玉」と変心する。麻実麗の狙いは「通行手形」を廃止させる一種の革命なのだが、そこに百美の父である壇ノ浦建造の執事である阿久津翔(伊勢谷友介)という存在があり、実は彼は千葉県人であることを隠しており、麻実麗と対抗意識から闘争するのである。

 まあこんな感じで物語は七転八転、埼玉軍と千葉軍とは「流山橋」を挟んで闘うのだが、これがけっきょく埼玉県人軍と千葉県人軍は和解、合同戦線を張って東京へと攻め込むのである。

 むむ、では麻生久美子はどこに登場するのかというと、さっきまでの話は「過去」として、「現代」の夫婦が娘の結納のためにドライブしていて、その車中でなぜかその「埼玉革命」のラジオドラマを聴いているのである。まあその妻が麻生久美子(千葉出身)なのだが、夫がつい「チバラキ」と口をすべらせたのを聞き逃さず、「チバとイバラキをいっしょにすんじゃね~よ!」と、夫にキレまくるのである。夫は熊谷出身なのだが、彼女は「熊谷なんか群馬じゃねえかよ! ぐ・ん・ま!」とディスり、「埼玉に<海>はあるのかよ~!」と責め立てる。やっぱ、わたしの感覚ではこの映画のベストシーンは、この麻生久美子がキレまくるシーンではあったと思う。何度でも観たい!

 まあそれ以外にも「笑うしかない」小ネタの連続なのだが、やっぱわたしが使う「常磐線列車」が、ほとんど大正時代の荷物運搬列車みたいなこと、さらにそのあと、我孫子あたりから埼玉に抜ける道を「野田」のナンバープレートを付けたリヤカーを人が引いて行くあたりなど最高だった。

 まとめて書くと、先に書いたように「東京都」を頂点とした土地のヒエラルキーは確かに人々の心の中に巣喰っていることだろうと思うが、しかしそんな「東京都」でも、埼玉県との境界にあるある地域は埼玉県よりもよほど程度が低い地域でもあり(わたしは少年期をその地域で暮らしたのだ)、それがどこ(何区)とは書かないが、さすがにこの作品もその地域をディスることは出来なかったようだ(じっさいにそんなことやったら、その地域に居住するヤンキーどもは上映する映画館を焼き払ってしまうことだろう!)。まだまだ「タブー」は存在する。