ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-04-24(Sun)

 このところ、毎夜のように夢をみているようで、その夢も毎回それなりにストーリーがあったようにも思うのだけれども、例によって「おぼろげながら」夢をみていたという記憶が残っているだけで、それ以上に何かを思い出せるわけでもない。ただ、そういう夢に共通するのは、「幸福感」とでもいった感覚に自分が包まれていたようには思うのだ。

 今日は日曜日で、また午後からは雨になるようなことが言われていた。それで午前中に北のスーパーに買い物に出かけるだけで、あとはいちにち部屋にこもることにした。

 買い物で外に出ると、ウチの近くにきれいな牡丹の花が咲いていた。

     

 歩いていると、やはりスズメたちが飛び交い、屋根や木の枝にとまっているのが目に付く。この日はうまく写真も撮れなかったが、そのうち1枚はピンボケだけれども、右側に羽ばたいているスズメの姿が撮れた。

     

 買い物から帰ってからは、ずっとテレビを見たり、本などを読んで過ごした。
 金曜日に観た『アネット』の、パンフレットを映画館で買ってあって、これが1200円もして、買ったときには「高いなあ」と思ったのだけれども、読んでみると内容はなかなかに豪華で、黒沢清監督へのインタビュー、諏訪敦彦監督のエッセイ、そしてレオス・カラックス監督へのけっこう長いインタビュー、スパークスへのインタビュー(短かいけれども)などなど、その他いろいろ掲載。まだ黒沢清監督へのインタビューぐらいしか読んでないけれども、濃い内容のパンフレットだと思うのだった。
 それでこの日は、その『アネット』のエンド・クレジットにエドガー・ポーへの謝辞が載っていたこともあり、「またちゃんとエドガー・ポーを読み直したいなあ」と思い、創元推理文庫版の「全集」を全巻買うことにし、まずは第一巻を注文したのだった。

 エドガー・ポーを読んだのは二十歳ぐらいの頃のことで、エドガー・ポーというのは非常に持って回った「古臭い」語り口をする人で、それをそのまま翻訳するとものすごっく読みずらい、というのが当時の感想で、あんまり読まないでやめてしまったのだった。
 エドガー・ポーに関しては、当時は「ポーの原文に忠実に翻訳するよりも、<少年少女文学全集>みたいなかたちで、意訳、アレンジしたものの方が面白いな」とも思ったわけで、それは小学生のときに読んだ『黄金虫』とかに夢中になった思い出こそ「圧倒的」だった、という記憶によるものだ。
 まあわたしもそれから何十年か歳を重ね、そんなポーの翻訳の「七面倒くさい」文章も、ガマンして読めるようになっているのではないかと思う。

 昨日、北海道の知床半島の巡航観光船が昼に「航行不能」との連絡をして行方不明になり、乗客乗員26人の安否がとても心配されている。そもそも昨日の現地の海は強風とうねりで漁船などは出航を見合わせていて、この観光船の出航を疑問視する声もあったという。
 しかし、本来観光を終えて港へ帰還するはずの午後1時になって、その観光船の航路半ばから「エンジンが止まり航行不能」との連絡があり、その1時間後の2時ごろに、「浸水し、船体が30度傾いている」との連絡がさいごの連絡になったらしい。
 そのような状態で、さいしょの捜索のためのヘリコプターが現地付近に到着したのは、4時半ぐらいになったといい、その観光船の姿は確認できなかったという。
 たとえ今が4月末とはいえ、現地知床半島付近の海の水温はわずか4~5度だったということで、いくらライフジャケットを着用していても、人が水中に放り出されてしまえば、生命を永らえることはむずかしいことだろう。
 というより、まずは午後1時ごろに「船が航行不能」となり、まだそれから1時間後には連絡があり、たいていの乗員乗客はその時点では無事でいたわけだろう。しかし、そんな乗客らは「自分が今乗っている船は沈みつつある」ということを長い長い時間をかけて認識つづけていたわけで、そのときの「恐怖感」というのはどれだけ強烈なものだっただろう。これはわたしの想像力を越える、究極の「恐怖」の世界だろう。
 夕方までに、10人の方が付近の海から「救出」され、10人ともの死亡が確認されたとの報道だった。
 世の中に、これほどに恐ろしい「責め苦」のような事故があるものだろうかと、冷水を浴びせられるような気分で報道を見ていた。

 それでテレビを見ていると、アップルの「iPad」の新しいCMが流れたのだけれども、その音楽がなんと「スパークス」なのではあった。
 これはほんとうに、スパークスデビュー50年を経て、世界的な「大ブレイク」が待ち構えているのだろうか?