ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-12-16(Thu)

 昨日は寒い一日だったけれども、報道で横浜では「初雪」になったということだったし、このあたり、千葉県北西部でもみぞれとかになったという(報道で見た感じ、まあほとんど「雪」でしょう)。昨日は職場でも管理事務所の人に、わたしの服装で「それじゃ寒いでしょう?」とも言われたものだし、今日は寒さに備えて「厚着」をして家を出た。
 ところが今日は昨日に比べるとけっこう暖かかったようだし、建物内の暖房も昨日よりガンガン効かされていたというか、「この格好じゃあ暑いよね!」みたいな感じになってしまった。毎日毎日、防寒対策の服装はむずかしい。

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 白米のストックが残り少なくなったので、仕事の帰りに2つ手前の駅で途中下車、駅前のスーパーで米(その他)を買って帰る。今までは「こしひかり」だったけれども、これからは「パールライス」に一気に格下げである。
 と、今書いたが、このように「パールライス」を貶めるようなことを書いてしまうと、「それはヤバいのではないか」とは思う。というか、実はわたしの勤め先は、大いに「パールライス」に関係しているのであるから、「格下げ」などと書いてはいけない。いけません。

 帰宅して、PCとオーディオとの接続も正常化されたこともあり、勇んで「Spotify」を聴きまくる。
 今はとにかく、わたしが幼少期とかガキの頃に聴いていた音楽を検索して、何十年かぶりに聴き直すのである。
 今日はまず、「Hollies」の音を聴く。「Hollies」といえば、そんじょそこらのジジババら(失礼、「お年寄り」)は「ああ、<Bus Stop>という曲が日本でも流行ったね!」と思い出すことだろうが、実はわたしはそんな、「Bus Stop」がヒットする以前からHolliesのことは注目していたわけで(そんじょそこらのジジババ以上である!)、その後このバンドのGraham Nashは「Hollies」を脱退し、「Crosby,Stills & Nash」に加入されるわけだけれども、わたしはそんなGraham Nashが「Hollies」を脱退するところまで、「Hollies」のアルバムはずっと聴いていた。
 この時代、Beatlesが「Revolver」をリリースしての時代で、けっこうそんなBeatlesの音づくりの影響を受けたバンドが多かったのだけれども、HolliesはモロにBeatlesの影響を受けた音づくりをやっていて、まあそれだけではなくて「60年代後期の音だねえ」と感慨深いところがある。
 今日はそんな、今までちゃんと聴いたことのない、Graham Nash脱退後の「Hollies」のアルバムを聴いた。
 Holliesというバンドは、Graham Nashの他にもAlan Clarkeという素晴らしいヴォーカリスト、そしてTony Hicksという「サウンドの統合者」がいたわけで、Graham Nashを含めたこの3人のコーラスは、他のバンドの追随を許さないものではあった。
 ちなみに、Tony Hicksはその後もずっと「Hollies」の中心人物としてバンドを継続していて、60年代から今までずっと、途中に解散などせずにひとつのバンドを継続しているというのは、「Rolling Stones」と、この「Hollies」ぐらいのものなのよ。
 それで今日、そんな今まで聴かないでスルーしていた「Hollies」のいくつかのアルバムを聴いたのだけれども、うん! やっぱりHolliesはいい!です。もうちょっと、これからも聴き込んでみよう。

 この曲はHolliesの大ヒット曲で、わたしも大好き(実はこの曲でうたわれている「Carrie-Anne」とは「マリアンヌ・フェイスフル」のことだったらしいし、あの『マトリックス』でトリニティーを演じたキャリー=アン・モスの名前は、この曲にちなんでつけられた「本名」なのだという)。この映像は、Graham Nash脱退後のテレビ出演みたいだけれども、ちゃんと生演奏というか生音声。彼らのコーラスの魅力が伝わると思うし、この時代の、タレ目のTony Hicksくんの「愛らしさ」が楽しめると思う。Tony Hicks、かわいい!

 今日はずっと読んでいたシャーリイ・ジャクスンの『絞首人』も読み終えた。明日からはパトリシア・ハイスミスの『贋作』をメインに読むつもりだけれども、そのあとにはシャーリイ・ジャクスンの『鳥の巣』を読もうと思う。

 夜は、なかなか遅々として読み進まない『鳥の生活』を読む。ついにようやっと、「鳥の視覚」についての章、「鳥瞰図―鳥の眼で観た景色」。
 鳥類は、その聴覚に秀でているだけでなく、視覚がまたすっごいのだ。
 例えば、わたしたち人類は「視覚において秀でた」視覚的動物と認識されているけれども(じっさい、どんな哺乳類よりもとびぬけた視覚能力を持っているのだ)、そんな人類でも、「鳥類の中でもあんまし視覚能力のすごいわけではない」スズメ類の、四分の一の視覚能力しかなく、ハヤブサなんかはあなた、人間の何十倍もの視覚能力を持っておられるのですよ!
 例えば、わたしたち人類は、暗闇でもたしかに何とかモノを見分けることは出来るけれども、暗くなればなるほど、わたしたちの視覚は「モノクローム」の世界になって行く。これがわたしたち「人類」の、視覚の「限界」なのだ。そして、鳥類にはそんな「限界」はないのだ。