ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-12-22(Wed)

 今日は「冬至」ということで、一年でいちばん日の出から日の入りまでの時間が短かい日だ。じゃあこれから、だんだんに日の出の時間が早くなってくれるのかというとそういうわけではなく、日の入りの時間が遅くなるのとの兼ね合いなわけで、実は調べたら来年1月の10日あたりまでは「日の出の時間」というのはしばらく変わりがなく、そのあとにようやっと、だんだんに日の出時間は早くなりはじめるのだ。
 早くまた、わたしが出勤で家を出るころも外が明るくなってほしい。これは切実な願い。

 勤め先は「外堀」沿いにあるのだけれども、仕事を終えて帰るとき、その外堀をシラサギがゆっくりと、優雅に飛んでいるのを見た。いちどわたしの左手から右へと飛んでいき、またUターンしてわたしの方へと戻ってきた。「撮影できるだろうか?」とカメラを飛んでいるシラサギの方に向けてみるけれども、モニター画面の中でどこにシラサギがいるのか、とっさには確認ができない。「やはりダメかな?」と思いながら、画面の中にシラサギが捉えられているかどうかも確認できないままに、シャッターを二、三回押した。

 あとで確認すると、そのうちの一枚に、けっこううまい感じでシラサギの飛ぶ姿が写っていた。

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 これでもっと、飛んでいる鳥にピントが合えば最高なのだけれども、こうやって飛んでいる最中の鳥をファインダーにとらえて、そこにピントを合わせるというのはわたしの手腕ではまず不可能なので、これでも「よく撮れたね」というところだろう。拡大するとこんな感じ。

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 自宅駅の近くには、「ハシブトガラス」がいた。こいつは飛んでなくって屋根の上かなんかに停まってじっとしているわけで、これならばピントはしっかり合わせられる。

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 この駅のあたりには普段は「ハシボソガラス」の方が棲みついているというか、縄張りにしているようで、こうやって「ハシブトガラス」の姿を見るのはけっこう珍しい。まあわたしはやはり、そのスタイル的には「ハシボソガラス」の方が好きだけれども。

 どうも、このところ読書が進行していないのだけれども、読んでいるのはずっと『鳥の生活』という本。今は鳥の「視覚」の話を読んでいるが、前は鳥がその「さえずり」で雄が雌を惹きつけるさまが書かれていたけれど、今はどんだけ雄が羽根を美しくして雌を誘うかという話。それでニューギニアの「フウチョウ(ゴクラクチョウ)」のことが書かれている章なのだ。
 おかしいのは、「いったいなぜフウチョウの雄は、そんな自分の羽根を美しくすることに一所懸命なのか?」ということなのだが、実はフウチョウにとってのニューギニアの「生活条件」は「ゆるゆる」というか、特に努力などしなくってもあたりにはいくらでも食べるものは転がっているわけで、いってみれば「フウチョウ」=(働かなくっても食っていける)「高等遊民」なのだ。
 いわばニューギニアという地、ニューヨークでいえばウェストヴィレッジ、東京でいえばギロッポンみたいな「ハイソ」の地で、男たちはチャラチャラと着飾って「イイ女」をゲットしようと街をうろちょろしてるのだ。
 「食べる心配」がなくなれば、やっぱり着飾るのだというのは人間だろうが鳥類だろうがおんなじだということで、鳥のことを知ることは人間のことを知ることにも通じる思いがする。