ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『絞首人』シャーリイ・ジャクスン:著 佐々田雅子:訳

 1951年に発表されたシャーリイ・ジャクスンの長編第二作で、原題は「Hangsaman」。シャーリイ・ジャクスンの長編作品を読むのは、今までに『山荘綺談(たたり)』、『ずっとお城で暮らしてる』につづいてこれで三作目になるけれども、やはり「神経症文学の女王」とも言うべきシャーリイ・ジャクスンの「彷徨う病んだ魂」の描写はこの作品でも健在。

 まあ「病んでいる」のだから「健在」という言い方もおかしいのだけれども、この『絞首人』は、本を刊行した出版社の宣伝文句によると、1946年に突然失踪した女子大学生の「現実の事件」にインスパイアされて書かれた作品だとされているらしい。
 じっさい、この『絞首人』では、ヒロインのナタリーが「失踪」の一歩手前まで行きながらもこの世界に生還するさまがリアルに描かれているわけで、そのヒロインの魂に寄り添って描かれた「リアル」さは、(特に男性であるわたしには)読んでいてもつらいものがあった。

 物語は、ナタリーが大学へ入学して寮に入る3ヶ月前の自宅でのパーティーから始まるが、ナタリーの父は著作もある文学研究者で、パーティーにはさまざまな人がやって来ているだろう。実は無意識的に家庭を抑圧している父に対して隠された不満を持ち、人生を「抑圧の連続」と感じている母親は、ナタリーに「父のような男とは結婚しないように」と告げる。
 そのパーティーの最中、ナタリーは年配の男性と会話をし、その男性に家の裏の森に連れて行かれ、そこでおそらくはレイプされる。
 翌朝ナタリーは「もうあのことは考えない。どうってことないのだから」と何度も自分に言い聞かせるが、同時にそのことで「死んでいればよかった」とも思い、大学寮へ入る前に心の整理はついていない。
 大学に入学し、寮での生活が始まるが、「寮」という空間自体が、その後のシャーリイ・ジャクスンの長篇小説での「お城」のような、非現実空間としてヒロインのナタリーの前に姿を見せる。
 ナタリーは英語学の教授のラングドンに惹かれるものを感じるが、偶然に自分とあまり歳も違わない「元学生」だったラングドン夫人のエリザベスと知り合って教授宅に招かれ、ラングドンの知己も得る。
 ラングドンのことを手紙で父に知らせると、父は何というか、ナタリーを自分の影響下にいつまでも置こうと必死になるような手紙を書きつづけるだろうか。父はラングドンに競争心を抱く。

 ナタリーにとっては「入学前の出来事」を話して共有できるような人物も寮にはいず、夫人を差し置いて女学生に興味を持つラングドン教授の存在、そんな状態からアルコールに溺れる夫人のエリザベスの姿もナタリーの期待からは程遠いだろう。

 そんなとき、ナタリーは「トニー」という学生と出会い、ついには二人でバスに乗り、誰もいない<パラダイス・パーク>というところまで行ってしまう。

 ここでの、ナタリーとトニーとの会話が興味深い。

「わたしといっしょにどこかへいく? 道は遠いけど」
「いくわ」ナタリーはいった。
「それがどこか知りもしないのに?」
「大丈夫」
「いい」トニーがいった。その声はほかに聞かれないようにあいかわらず低かったが、なぜか怒りを帯びて猛々しかった。「わたし、みんながあんなふうにわたしたちを捕まえようとするのが怖いのよ。とってもじっとしていられないし、みんながわたしをじろじろ見たり、話しかけたり、質問したりするのに黙ってはいられないの。いい?」トニーは自分の言葉をやわらげようとするように、もう一度そういってから説明した。「みんなはわたしたちを連れ戻して、もう一度初めからやりなおさせたいのよ。みんながしたいことをするように、みんなが望む行動のしかたで行動するように、毎日のあらゆる問題でみんなと同じようにしゃべったり考えたり望んだりするように。でも」トニーは声をさらに落として付けくわえた。「わたしたちがいくことができて、誰にも悩まされない場所をわたしは知ってるわ」
「だったら、わたしもそこへいきたい」
「怖くはないの?」
「怖くないわ」

 ここでの二人の対話を聞けば(読めば)、この二人が実は一人の人物での「自問自答」だと納得がいくだろうというか、ナタリーとトニーとは「同じ精神」の持ち主であり、トニーはナタリーを「より過激な方向へと」導くドッペルゲンガーだと了解できると思う。

 この作品では、さいごのナタリーの「理性」のおかげでトニーはナタリーのもとから去っていき、ナタリーは「欄干から川に飛び込む」誘惑にもうち克って「世界」へ帰還するわけだけれども、はたしてナタリーのもとにトニーはもうやってこないだろうか?
 ナタリーのもとにまたトニーがやってくれば、ナタリーは『山荘綺談』のエリーナーにもなれるだろうし、『ずっとお城で暮らしてる』のメリキャットにもなることだろう。それが、シャーリイ・ジャクスンの作品の怖ろしいところだろうと思ったりした。

 作中、ナタリーとトニーとの「道行き」で、タロットカードからのキーワードが頻出するし、この作品のタイトルの「Hangsaman」もまたタロットカードに関係している気配がある。わたしはそういうことも何もわからずに読み飛ばしたが、タロットカードに詳しい人からすれば、ここにも何らかの「意味」が込められているわけだろう。