ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-10-16(Sat)

 昨日一昨日とけっこう遠出をしたせいか、「お疲れ気味」である。休日なのをいいことに、朝から何もしないでゴロゴロとしている。今日はウチから一歩も外に出なかったが、夕方前に窓から外を見ると、「この日の夕焼けは美しかったのではないだろうか」というような雲が見られた。

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 今はシャーリイ・ジャクスンの『山荘綺談』を読み始めているのだが、昨日の電車の中、そして今日のベッドの中とで、ようやっと半分近くまで読み進んだ。なんとか、明日明後日ぐらいには読み終えたい。この日記を検索すると、この作品は2年前にも読んでいたようだけれども、もうほとんど記憶していない(だからこそ今また読んでいるのだが)。

 木曜日の帰りに東のスーパーに立ち寄って、半額になっていたお弁当とか買ったのだが、そのときにやはり半額の「もやし」も買ってある。単に半額というのではなく、2袋まとめて1袋の価格になっていて、さらにそれが「半額」なのだった。つまり四分の一の超破格値だったわけで、それは「お買い得」感もあるけれども、とにかくは「もやし」がいっぱいで、賞味期限の短かい「もやし」を、一気に食するのは大変である。それで、昨日今日と「もやし」を使った献立をあれこれと。
 しかしおかげで、昨日の夕食には冷蔵庫の中でひん死の状態だった「なす」を「もやし」と炒め、フードロスを逃れたし、今日は今日で同じように、死にかけていた「トマト」を、「もやし」と「たまご」と炒め合わせ、わたしの胃に救出した。
 今はトマトが高値なので、安値で売られているとついつい買ってしまうが、実のところ、トマトを食べる機会というのは今のわたしにはそれほどにはないのだ。同じように、秋は「なす」だね、という感じで安い「なす」を買うのだが、そ~んなに食卓に上げないままに冷蔵庫の中で傷んでしまうのだ(先日はついに、冷蔵庫の中で食用不可なまでに傷んでしまった「なす」を一本、そのままゴミ箱に入れてしまった。こういうことは心が痛む)。鮮度の高い「なす」も「トマト」もおいしいのだけれども。

 今はテレビのニュースとか見ても、この月末の衆議院選挙に関連した報道ばかりで、「そんなこと、結果が出なければなんとも言えないじゃないか!」って気分で見る気にもならない(もちろん、各党の論点を報道して人々の指針となるという目的はあるだろうけれども、わたしの場合はとっくに「指針」は決まっているし)。インターネットのニュースとかを見ても、気分が明るくなるような報道はないようだ(今日見た海外の映像で、山道を走っていた車をどこまでも追いかけてくるイヌがいて、あまりにどこまでも追って来るので車の主がイヌを救い上げ、けっきょく自分で飼うことにしたというニュースは「いいな!」と思ったが)。
 わたしには今、なぜ多くの人が皇室の女性の結婚問題にここまでに過激に反応するのか、まったくさっぱりわけがわからないし(その結婚相手の男性が皇室に入るというわけでもなく、彼女は皇室から離れて「一般人」になるというのに)、それから相変わらず、未成年で重い犯罪を犯した犯人のことで「氏名を公表しろ!」という声が大きいことも、わけがわからない。そういった未成年者の犯罪者の、氏名が公表されることにどんな「利」があるのだろう。その名前から住まいを特定し、石でも投げに行くのだろうか。
 今はそんな、犯罪を犯した犯人の実家への、「犯罪」といえるような「恫喝」「嫌がらせ」、そして「脅迫行為」も多いことは、わたしも知っている。そんな「犯罪者」のきょうだいは仕事をつづけられなくなるし、家族もけっきょくは転居を余儀なくされるという。
 そのようなことを行う人々は、「正義感」からやっているつもりでいるようでもあるが、結果としてそれは「弱者いじめ」なのである。もしも彼らが自分らの「正義感」からそのような行動をするのであれば、例えば先日福岡で死刑判決を受けた暴力団組長宅とかにも、そういう「恫喝」「嫌がらせ」「脅迫」をやればいいのである。ただただ、バカバカしいことではある。