- 作者: 中島敦
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2019/07/23
- メディア: 文庫
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中島敦の小品『南島譚』3篇と、前に岩波文庫で読んだ『環礁』6篇、それから中島敦がパラオや南洋諸島から家族(妻子や父)にマメに書き送った書簡集と。
やはりここで読みごたえがあるのが書簡集で、こんなにナマに中島敦の声が聴こえてきていいのだろうかと思うぐらいに生々しいところがある。
おそらくは中島敦自身、南洋への赴任に期待するところはあっただろうと思う。それは喘息に悩む体調が回復するのではないだろうかという期待でもあっただろうし、新しい仕事への期待、そしてそれなりに執筆活動も進むのではないだろうかとの気もちもあったのだろう。
1941年7月にパラオに到着したときにはそういう期待心もあったのだろうけれども、その11月の父への手紙ではかなり激烈な心情吐露がされている。
一日も早く今の職をやめないと、身体も頭脳も駄目になって了うと思って、焦っておりますが、今の所一寸抜けられそうもありません。パラオに落ちつかないで、いつも旅行にばかり出していてくれれば喘息のためには良いのですが、何しろ、不断のこの暑熱では、頭の方がもちません。記憶力の減退には我ながら呆れるばかりです。
この時期は太平洋戦争直前で、パラオ群島らもまた日本の統治下にあったわけだけれども、そこで日本人によるパラオの島民らへの「教育」が行われていた。中島敦はそんな状況の下、「パラオ南洋庁国語編修書記」として現地へ赴くのだけれども、そこで中島敦が目にしたのは、日本人の島民への高圧的な方針だった。
同じ日の父への手紙には次のように書かれてもいる。
ただ、教科書編纂者としての収穫が頗(すこぶ)る乏しかったことは、残念に思っております。現下の時局では、土民教育など殆ど問題にされておらず、土民は労働者として、使いつぶして差支えなしというのが為政者の方針らしく見えます。之で、今迄多少は持っていた・此の仕事への熱意も、すっかり失せ果てました。
こういう、偏見から逃れた視点からも、「さすがに中島敦」という感覚を持つし、「そうか、日本のアジア人への態度は今なお、この時代の姿勢を引き継いでいるわけだな」と悲しくもなる。
妻や子どもへの強い愛情の感じ取れるあれこれの手紙、はがきなど、そういう文学者の書簡として読みごたえたっぷりのものだった。いっそうに中島敦に惹かれる。やはり彼の全集を買おうか。