ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-11-04(Mon)

 朝、ネットを閲覧していたら、マリー・ラフォレさんが亡くなられたとの報に接した。めっちゃショックだ。ただただ悲しい。マリー・ラフォレさんはフランスの女優であり、歌手でもあった。一般には『太陽がいっぱい』のマルジュ役でよく知られていると思うけれども、わたしは中学生の頃、テレビで昼間放映されていた『赤と青のブルース』を学校から帰宅してから観て、「この女優さんはなんて美しくて可愛いんだ!」と、いっぺんにファンになってしまった。それ以来、いつでも「いちばん好きな女優さんは?」と問われれば、決まって「マリー・ラフォレ!」と答えるのだった。

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 おそらくわたしは『太陽がいっぱい』はそのあとに観たのだと思うが、もちろん素晴らしかった。その他に『女は夜の匂い』とか『金色の眼の女』、そして『ジャガーの眼』などに主演されていたけれども、これはなかなか観ることが出来なかった。おそらく『金色の眼の女』と『ジャガーの眼』はのちに観る機会があったと記憶しているけれども、残念ながら内容はすっかり忘れてしまった。

 しかし、「もうこの女優さんを一生愛する!」と思わされたのが『国境は燃えている』という映画で、この映画でマリー・ラフォレは暗い過去を持つイタリア軍のための従軍慰安婦を演じるのである。まさに暗い雰囲気の女性で、「わたしもつい笑ってしまうこともあるけれども、それはわたしの若さのせいで、わたしの心はいつも暗い」というようなセリフを語ったりする。映画では彼女ら従軍慰安婦を戦場へ送り届ける役のイタリア兵が彼女に惹かれるという展開になるのだが、彼女はラストにはギリシアパルチザンと共に戦うために消えていくのである。
 この『国境は燃えている』という映画、偶然先日Amazonを閲覧していたら、なんとこの12月にDVD/ブルーレイでリリースされるということを知ったばかりで、もちろん今わたしのカートにはこの『国境は燃えている』が入っているのだけれども、まさかこれが「追悼盤」になってしまうとは‥‥

 歌手としての彼女も素晴らしいもので、『赤と青のブルース』の主題歌を歌ったシングル盤はずっと持っていたし(変なことから今は手元にないのだが)、ベスト盤のCDも持っている。今日は、彼女の最大のヒット曲「Vien Vien」を聴きながら彼女を偲びたいと思う。追悼。

 さて今日は、また横浜へ行く。今日の目的はまた神奈川近代文学館で、池澤夏樹氏による講演『世界文学としての中島敦』を聴講に行くのである。
 昨夜はわたしが寝入ったあとにずいぶん雨が降ったようだけれども、今朝はまた快晴だった。講演会の開場が1時半なので、11時半ぐらいに家を出て、時間があれば向こうで昼食を取ろうかと思っていたのだけれども、横浜は遠いのだ。乗り換え案内で調べるとかなりギリギリの時間になりそうで、いちばん早く到着するにはとなりの柏駅から常磐線の快速に乗り、上野で乗り換えるのがいいことがわかった。それでまずは上野へと向かったのだけれども、間違えて日暮里で下車してしまい、ここでまずはタイムロス。次に来た電車で横浜へ向かったのだけれども、わたしは電車の中で眠ってしまい、目が覚めたらなんと横浜を通り過ぎて「戸塚」の駅に到着したところだった。またタイムロス。
 横浜に引き返して「みなとみらい線」に乗り換え、元町・中華街駅で降りて神奈川近代文学館へと急いだ。なんとか間に合って開演15分前ぐらいに到着。

 講演が始まって、う~ん、やはりわたしは耳が少し遠いのか、池澤氏の声が聴き取りにくくて困った。内容的にもちょっとわたしが期待したようなものとは異なっていた感があったが、1時間半ほどで講演は終了した。

 文学館のショップで『中島敦の絵はがき -南洋から愛息へ』という本を買い、外に出ると、文学館の脇の空き地に一匹のネコがいるのが目に入った。野良ネコだとは思うけれども、わたしが近寄っても逃げないしあまり警戒しない。この「港が見える丘公園」を訪れる観光客にかわいがられているのだろうか。

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 帰り道は来たときと違う道を歩いてみようと西の方へ歩いていくと、すぐに横浜の「外国人墓地」の門のところに来た。「この中のどこかの墓のそばに、中島敦の<碑>があるはずだ」と思い当たり、せっかくだから立ち寄ってみることにした。受付の人にその碑のある場所を聞き、うっそうとした緑に包まれた墓地の中を歩いた。やあ、ここにも野良ネコたちがいた。これだけの緑の中で、ネコたちも好き勝手に生きているみたいだ。

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 中島敦の碑はスキッドモア(シドモア)という方の墓のそばにあり、このスキッドモアという方は文筆家で、あのポトマック河畔に日本の桜を移植するのに尽力された方でもあるらしい。彼女(エリザ・シドモア)の墓所になぜ中島敦の碑があるのか、そのわけは短い滞在では確認することもできなかったが、その中島敦の碑には彼の「かめれおん日記」からの引用が彫られていた。

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 墓地を出るときにはもう日も暮れかけて、すっかり遅くなってしまった。帰りはまた「みなとみらい線」からそのまま乗って「明治神宮前」で千代田線に乗り換えて帰路に。
 帰宅してから夕食の準備をやる気にもなれないし、食事を待っているニェネントくんには悪いけれども、せっかくだから外で食べて帰ろうかと思う。自宅駅からウチへの途中にあるラーメン屋に入ってみようかと思ったけれども、しばらく行っていないウチの近くの中華の店にしようと、久しぶりに行ってみた。担々麺と餃子を注文したけれども、忘れていたのだがこの店の担々麺はあまりおいしくないのだった(見た目はちょっとゴージャスなのだが)。

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 「失敗したな、最初に行こうとしたラーメン屋にすればよかったな」などと後悔しながら帰宅し、待ち構えていたニェネントくんに食事を出すのだった。