マリー・ラフォレ(今年11月2日に亡くなられた)やアンナ・カリーナ(同じく12月14日に亡くなられた)が出演しているけれども、この作品はイタリア映画である。どうやらマリー・ラフォレとアンナ・カリーナの声は「吹き替え」らしい。
この作品の時代は、イタリアがギリシアに侵攻し、ナチスドイツが援軍を送ってギリシアを降伏させた1941年の翌年のことらしい。ギリシアには飢えが蔓延していた。イタリア軍中尉の若いマルチーノは、12人の従軍慰安婦をアテネからアルバニア(北マケドニア)のオクリダ(オフリド)までトラックで運ぶ命令を受ける。途中の駐屯地に慰安婦を降ろしながらである。同行するのは現地に詳しいカスタグノリ(「カスタニョーリ」ではないかと思うが、字幕ではこうなっていた)軍曹。マルチーノは出発前に、「彼女らをモノとして扱え」とアドヴァイスを受けたりする。
出発早々に、慰安婦の一人トゥーラ(レオ・マッサリ~この女優さんはアントニオーニの『情事』に出演していた)の妹が姉を追ってトラックに乗り、女性たちは13人になった。さらに途中で、黒シャツ隊のアレッシ少佐という人物が、行き先が同じということで、国境までということでトラックに乗ってくる。このアレッシという男が卑劣漢だったわけだが。
その後トラックはギリシアのパルチザンに襲撃され、エレニッツァ(アンナ・カリーナ)は死に、まあいろいろあってエフティキア(マリー・ラフォレ)はマルチーノと一夜を過ごし、おそらくはパルチザンと合流するためにマルチーノと別れるのである。
12人(13人)の慰安婦が登場するが、セリフがあったりとフィーチャーされるのは4人ほど。もちろんマリー・ラフォレとアンナ・カリーナはストーリーの中心なのだが、そのサイドストーリーとして、カスタグノリと年増の慰安婦との交流がとてもいいわけで、主役のマルチーノのあまりに「いい男・善人」ぶりを中和させてくれる。そして、ギリシアの旋律を活かした音楽、その音楽をバックに山あいを走るトラックの映像がいい。全体にロケーション、撮影、編集と、すばらしい作品だと思った。
もちろん、マリー・ラフォレはすばらしくもすばらしく、彼女の美しさを虚無的な美から引き出した最上作ではないかと思う。
ただ、わたしが昔この映画を観た記憶での彼女のセリフ、「わたしもつい、笑ってしまうことがあるけれども、それはわたしの若さのせいで‥‥」という字幕が変えられていて、ちょっとわけのわからない文脈になっていたのは残念だった。