この作品も、柄谷行人の「日本近代文学の起源」に特記されていた作品。たしか「内面の発見」という章で、この作に言及されていたと思うのだが。
ここで独歩はあえて、「名もわからぬ市井の人々こそ、<忘れえぬ人々>なのだ」と提示する。このことは柄谷行人のいう「風景の発見」にも通底するところの、国木田独歩の<独自性>で、この指向性は独歩から130年とかを経た現在でも、まさに有効性を保持するものだろうと思う。
これで思い出すのは、あのグルジェフの「注目すべき人々との出会い」のことで、そこでグルジェフの述べる「注目すべき人々」とは、決して卓越した理論を持つ才人とかのことではなく、もっともっと、グルジェフが書かなければ誰も注目しないような市井の人々のことだったと記憶している。そういうことであのグルジェフと独歩がここでリンクして、このことは「<わたしにとって>世界とはどのようなものなのか?」ということへの<回答>があるようにも思える。
この作品はただ、「わたしは世界のなかで<何>を注視するのか?」ということだけを書いた作品であり、そのことは、これを読む人らがひとりひとり、<わたしはこれを注視する>という回答を迫られるようなものであり、この作品がいまだに<不滅>であるところのものなのだろうとは思う。