ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-01-21(Mon)

 このブログのトップにある、ニェネント幼少期の写真にかぶせた「ワニ狩り連絡帳」のロゴを前のブログからひっぱってきて、「2」の文字も追加した。前のは色が明るすぎてまぶしかったのも変更した理由だけれども、こんどはちょっと暗くなりすぎた気もする。それぞれの日のタイトル文字と同じぐらいの明るさにしたかったのだが。
 朝、ネットで昨日が投票日だった「我孫子市長選挙」の開票結果をみた。現職市長がけっこうな差で4選。がっくりでした。今年は参議院選挙もあるけれども、あまり希望も持てない。日本はもっともっと没落して行き、わたしたちの自由も権利もどんどんと剥奪されて行くのだろう。いつ仕事をクビになっても何も言えない国になるのだろう。「おまえは早く死ね!」と言われている思いが今でも絶えないし、その声が日ごとに大きく響くようになる。いいだろう。せいいっぱいの抵抗はしよう(って、昨日は新宿で「AbeOut0120」のデモ行進があったというのに、すっかり忘れていて行かなかった)。

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 今日は、図書館から借りている筑摩現代日本文學体系の「國木田獨歩/田山花袋」の巻を読む。作品ではなく、巻末の<付録>を先に読む。特に「国木田独歩」に関してが、そのタイトルだけで面白そうである。まずは前田重という人の「国木田独歩の秘密ーその出生をめぐって」で、そのあとが國木田治の「夫独歩の謎」、そして相馬黒光の「国木田独歩と信子」とつづく。
 ‥‥何なんだ、この国木田独歩という人物は。さいしょの「国木田独歩の秘密」というのは、要するに独歩の生年、正しい誕生日をめぐる考察で、あまり面白いものでもないのだけれども、つまり独歩の実父というのが国木田専八という播州龍野の藩士で、これが北海道に榎本武揚を討伐に出て、その帰途に遭難して銚子に避難し、当地の旅籠でしばらく療養していたときにそこに奉公していたまんという女性とねんごろになり、それで独歩が(おそらくは明治四年に)生まれた(幼名亀吉)ということらしいのだが、複雑なのは専八には郷里に妻子があったし、まんにも夫がいたというわけだ。当初は独歩はまんの夫の子として戸籍に記録されているのだが、じきにそのまんの夫は死去、そして専八は妻子を残して明治七年に上京、銚子からまんと亀吉を呼び寄せ、あたらしい家族となったのだということ。このあたりに諸説あり、「ほんとうは独歩はまんの前夫の子なのではないか」とか、「明治四年生まれだと計算が合わない」とかいろいろあるらしいが、とにかく今では独歩は専八の実子で、明治四年生まれでまちがいないだろう、ということにはなっているようだ。

 國木田治(独歩の二人目の妻らしい)の「夫独歩の謎」はまだ読んでいないが、次の相馬黒光の「国木田独歩と信子」というのがあまりに興味深い、というか面白い。あれですよ、これを書いている相馬黒光という人物は「新宿中村屋」の創始者としてあまりに有名な人物なのだけれども、その独歩の最初の結婚相手の佐々城信子の母の豊寿(この人も、明治の女権運動家として著名)は黒光の叔母なのだったということで、信子〜独歩の関係の推移をよく知る人物だったのだ。
 ここに書かれている「佐々城信子」という女性、その少女期(ちょっとその頃の年齢は不明だけれども)に「男装の麗人」として評判だったらしいという。‥‥えっ! 「男装の麗人」というのは実在したのか! という感じだが、これが男装で馬を乗りこなして町を闊歩し、すれちがった人々は「何という美少年だろう」と振り返ったというのだ。相馬黒光の書いている逸話で面白いのは、その信子が召使いのものらと馬で宇都宮に行脚し、その地で老舗の宿屋に宿泊したところ、その宿屋の娘が信子をすっかり男と思い込み、夜中に皆が寝静まったころ、信子の寝どころの部屋に一人忍び込んだということ。信子が「わたしは女だ」と明かすと、気の毒なほどに恥じ入って引っ込み、翌日の信子の出立のときにも姿をあらわさなかったという。‥‥面白い。面白すぎる。若き日の彼女の写真というのがWikipediaで見ることができるが、今とは「美女」「美少年」の基準が違うだろうとはいえ、その凛としたたたずまいは「なるほど」と思うところがある。
 そんな信子は17歳か18歳のときに独歩と出逢い、独歩に求婚されるのだけれども、信子の両親は猛反対。それを駆け落ち同然に独歩との同居を始め、けっきょく母の豊寿も彼女を勘当同然に結婚を許すことになるのだけれども、結婚から五ヶ月して信子は独歩のもとを出奔。しかし彼女は独歩の子を宿していたりとか、まだまだ書ききれないくらいいろんなことがあるのですよ。なぜ独歩のもとから逃れたかというと、よくわからないのだけれども独歩があまりに貧乏だったからとか、独歩が彼女を部屋に閉じ込めてその自由を奪ったとか、諸説あるみたい。とにかくはそんな信子のことを、のちに有島武郎が「或る女」のモデルにしてしまったとのこと。信子は有島のところに抗議に行こうとしたのだけれども、そのときに有島武郎は情死してしまうのではありました。
 ‥‥なんだか、国木田独歩の作品自体を読む前に、そんなゴシップめいたところで面白がってしまった。まだまだいろいろあるのだけれども、いいかげんにしておきましょう。