- 作者: 高橋源一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/06/15
- メディア: 文庫
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先日柄谷行人の「近代日本文学の起源」を読んだということもあり、楽しそうなこの本を読んだ。先に「戦後文学編」を読み、そっちははっきりいって「迷走」気味というか、そこからは「すでに<戦後文学>は終わっている」みたいなことしか読み取れないというか、「<戦後文学>のポイントとは何だったのか?」ということは、あの3.11を戦中戦後のディザスターとリンクさせてみせただけで、それは「文学論」とリンクさせた小説作品としては不充分という印象だった。
それで、こっちの「本篇」は、面白い。とにかく面白い。明治の二葉亭四迷から起こった「言文一致」の動きをメインに、そんな二葉亭四迷、北村透谷、国木田独歩、石川啄木、夏目漱石、森鴎外、島崎藤村、そして幸徳秋水、樋口一葉らの面々が、平成初期の風俗を背景に移したりしながら、悶々と、はたまた苦渋しながらの<生>を生きる。
わたしは近代文学論はその柄谷行人のものしか読んでいないので、そこに触れられていなかった<詩人>らの葛藤、北村透谷や石川啄木らの試行錯誤についてあまり知ることはなかったが、いやはや(石川啄木はこんなもんでしょ)。
ラストはそんな明治の「時代に格闘した」文学者らがどんどんと死んで行き、その弔文記事の引用がつづく。しかし、ここで「日本文学」は衰退したのか。「言文一致」への動きがその方向性を定めたあと、もうひとつの隆盛を迎えたはずであり、少なくとも昭和初期までの発展は続いているのではないのか。
可能ならば、「戦後文学編」でああなってしまったのは仕方がないとしても、もう一段階、大正から昭和初期までの「日本文学盛衰史」があってもいいようには思うのだった(特に、日本独自の発展をみせた「私小説」についてとか〜嘉村礒多とか、面白そうなのだが〜)。