ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

「言葉と歩く日記」多和田葉子:著

 多和田葉子の本を読むのは、きっとこれが初めてのことだと思う。先に年末に彼女の「献灯使」の文庫本を買ってあるのだけれども、どうも買ってしまった本は読むのを先延ばししてしまう。図書館から借りてしまうと返却期限があるから、急いで読んだりもする。
 わたしはもちろん彼女のキャリアなどについてもほとんど知らず、「芥川賞作家のはず」ぐらいの知識しかない。それでこの岩波新書版の彼女の「日記」を読んでみてはじめて、彼女が若い頃からドイツで暮らしていること、ドイツ語と日本語で作品を書かれていることなどを知る。
 この<日記>は、おそらくは2013年の1月1日から4月中旬にかけて毎日書かれた日記で、タイトルにあるように「ことば」について彼女の考えたことをメインに書かれている。それは主に「ドイツ語」についてのことが多いのだが、それはこの日記が日本で出版されることを念頭においてのことだろう。「日本語」と「ドイツ語」との比較の話も多いし、日本語についての考察もあるし、ほかの言語のはなしも書かれている。

 ざぁ〜っと読んでみて、「いかに多忙な方なのだろう」という驚きが真っ先にあり、この日記の書かれた4ヶ月ほどのあいだに、ドイツから日本、そしてアメリカ、さらにトルコへとの旅と、ひんぱんに繰り返されている。ほとんどは「講演会」などの仕事のための旅なわけだ。「久しぶりに自宅に戻った」などと書かれていると、ついついそれは日本のことだろうと思ってしまったりしたが、彼女の「自宅」とは、ベルリンにあるのだった。
 わたしの書いている、このだらだらした日記とくらべると、「やはり作家の日記というのはちがうな」などとアホみたいな感想も持つのだが、そういう「ことば」をめぐるはなしの中で、ちょっと今は正確には思い出せないのだけれども、たとえば「青い歯痛」(「青い」はこの日記通りだけれども、「歯痛」の方はわたしが適当に考えてくっつけたもの)ということばに読者が出会ったとすると、その読み手の「前頭葉」が刺激されるのだという。
 そういう「ことば」の使い方というのは、考えてみればシュルレアリスムの「デペイズマン」的な手法ではないかとも思うわけだし、絵画の世界でも、例えばルネ・マグリットの作品などでも同様に「前頭葉」が刺激されるのだろうか、などと思ってしまった。というか、「シュルレアリスム」という運動は、「人の前頭葉を刺激することを目指した」運動ということも出来るのではないのか、などと思ってしまったりした。