- 作者: カフカ,Franz Kafka,辻セイ
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1966/05/16
- メディア: 文庫
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(上に紹介した「岩波文庫」版は、わたしが読んだものではありませんが)
銀行の業務主任のヨーゼフ・Kはその三十歳の誕生日の朝、なぜかわからぬままに出勤前の早朝に自室でとつぜんに逮捕される。しかし彼はそれで拘留されるわけでもなく、それ以後もそのままの日常生活(仕事)を継続し、その中で裁判所事務局や弁護人、法廷画家などさまざまな人物との折衝をつづけて行く。結末はちゃんとあって、ヨーゼフ・Kの三十一歳の誕生日の日、彼はふたりの処刑人に古い石切り場に連行され、そこで刺殺される。
「まるで犬だ!」と、彼は言ったが、恥辱が生き残ってゆくように思われた。
というのが、この小説の最後の行になる。しかしこの小説はやはり「未完成」で、その「逮捕」から「処刑」までのちょうど一年間に、カフカは無限に(といっても、365日分だけれども)エピソードを詰め込むことが出来たのである。こういう、「ぜったいに<未完成>にならざるを得ない」作品を書いてしまうということがまた、「カフカ」という不思議な存在の特性のひとつ、なのだろうとは思う。
もちろんそういう意味でこの未完の作品は『城』に似ているともいえるのだけれども、「いやいや、まるでちがうではないか」ともいえるだろう。奇妙な、どこまでも面倒くさい登場人物たち、そしてまるで「性(さが)」のように女性にアプローチしてしまう主人公など、『城』を思い出させられることも多いのだけれども、描かれる世界はまるで異なる印象がある。
『城』は、いわばメタフィジカルな「迷路」という大きな主題を感じたのだけれども、この『審判』のキーワードは「異次元」と言っていいのだろうか(陳腐な言い方だ)?
この小説には、無数の「扉」が登場する。それは主人公のヨーゼフ・Kがよく知っている建物の、よく知っている廊下の両側に並んでいる「扉」だったり、Kのまるで知らない建物の中の「扉」だったりするのだけれども、Kがその扉を開けると、そこにはKのまるで知ることのなかった世界があり、そこで見知らぬ人物と邂逅することになる。そしてその扉を閉めて中に入ると、きっと誰かしらが「扉」の外で「盗み聴き」しているのである。これはほとんど「シュルレアリスム」の世界であり、ここにカフカという作家の大きな魅力も感じることになる。
ひとつ、この作品でのカフカの描写は「限りなく<リアリズム>」と言ってもいいだろう描写で、どうでもいいような細部まで実に細やかに書き込まれている。しかし、彼の描く「扉」を越えてその中に入ってしまうと、そこには「外」の世界とはとんでもない乖離のある世界になる。わたしは、この『審判』という小説の面白さはまさにココにあり、この小説には「教訓」を読み取るとか、そんな通俗的な読み方を拒絶しているという意味で、どこまでもいつまでも<現代的>な小説なのではないかと思っている。ある意味、現代の「小説」はここから始まっているのだ、とも。