ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-04-10(Wed)

 内科医から処方されていた薬がなくなったのでクリニックへ行かなければならないのだが、月曜日から「行かなけりゃ」と思っていながら行かないまま。今日はクリニックは休みなので明日になってしまうのだが、明日は国分寺の「てんかん」のクリニックの予約をしてあり、朝から国分寺へ行かなければならない。おそらく帰宅するのは昼過ぎになってしまうだろうが、そのあとに内科のクリニックへ行くことにして、明日は一日「クリニック通い」という日にしようと思う。イヤなことはまとめてやってしまおう。ニェネントくん、明日はけっこう長い時間「お留守番」だよ!

     

 注文してあった「猫草」栽培セットが届いていたので、この日午前中に種をまいて仕込んだ。もう2回目だからけっこう慣れたものだ。これで2~3日明るくならないように新聞紙とかで覆っておき、そのあと「伸びろ!伸びろ!」と日光浴させるのだ。
 いずれ軌道に乗ったら、種だけを買えば良くなるのだろうか。

 昨日今日と、食事はインスタント麺ばっかりになっている。あまりよろしくないので今日の夕食はパスタにした。変わり映えしないか。
 インスタント麺とはいえ、野菜とかシーフードとかいろいろ入れて栄養には気をつかっているつもりだけれども、そもそもインスタント麺類は塩分過多だろうから、もっと控えなくってはいけない。
 それで今、野菜類が高くなってしまっている。タマネギ、ジャガイモの価格は変わらないのだけれども、キャベツや白菜が高くなったなと感じる。そもそも白菜などはひと玉200円ぐらい(安ければ100円)で買えたけれども、今は店頭にカットされたものしかなく、それが四分の一でも150円ぐらいするのだ。
 あと、ブロッコリーも高くなっていて、前のように100円で買えたりなどというのは「夢の世界」のことになった。
 ちょうどこの日、そのあたりのことをテレビでやっていたが、やはり「暖冬」の影響というのが、今出て来ているらしい。冬が暖かかったものだから成長が早く、白菜などはもう、ぜ~んぶ出荷が終わっちゃってるらしい。それでそのあとがけっこう寒くなってしまったので、「今から」という野菜は成長が遅れているらしい。
 わが家の場合は、駅前の小さなスーパーが農家からダイレクトに仕入れてていたりして「激安」で、ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、ナスなどはヘタしたらそこらのスーパーの半額ぐらいで買えるから助かっているのだけれども、そのスーパーでも今はブロッコリーや白菜は店頭に並んでいないのだ。もうこれからはジャガイモ、タマネギ、ニンジンを使うような料理ばかりをやろうかとも思うが、「毎日カレーかよ!」という感じになってしまう(わたしの場合は「ダブリン・コデール」という「必殺料理」があるのだけれども)。

 今日は昼から、昨日観た『ベルリン・天使の詩』をもう一度観た。そのあとはNHKの「ニュースーン」を見てしまったが、「こんなものなのか」という感じは少し見えてきたか。視聴者から「グダグダ感がいい」などと言われていて、わたしもそんな感覚を持っていたところだった。「今、ナマ放送中です!」って空気感。
 でもこの日は、国賓として訪米中の岸田首相の晩餐会に「YOASOBI」も出席するというニュースに、МCの伊藤海彦氏が「なんでYOASOBIなんですか?」と解説者に突っ込んでいたが、その突っ込み方はけっこう良かった感じ。こういうトークをもっと聞かせてほしいところ。
 そういえばこの日、先日「モノを作る人は知性が低い」ともとれる発言をして批判され、ついに知事を辞めることとなった川勝静岡県知事が辞表を提出したのだけれども、そのときに記者に「今の心境は?」と聞かれ、(用意してたわけだろうが)細川ガラシャの辞世の句「散りぬべき 時しりてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」を引いて語ったのだった。もうね、最後の最後まで人を不愉快にさせないと気が済まないのだろうが、「散りどきを心得てこそ花も人も美しい」ってな意味のこめられた細川ガラシャの辞世の句、川勝氏は決して美しくなどないし、「自画自賛」とはこのことだろう。自分では「ふん、言ってやったぜ!」と、「イタチのさいごっぺ」ぐらいの気持ちだったのだろう。イタチ以下の人物だぜ。

 夜は寝る前にまた『リプリーをまねた少年』を読む。「後半になれば読むスピードが上がる」とのルーチン通り、けっこう一気に読み進め、残りは150ページぐらいになった。明日は国分寺まで行くので、電車の中で読んだりしていたら明日中にも読了できるのではないかと思う。
 

『ベルリン・天使の詩』(1987) ヴィム・ヴェンダース:監督

 わたしが「Amazon Prime Video」で観たのでは、この映画のタイトルは「Wings of Desire」となっていて、「それじゃあウォン・カーウァイ(『欲望の翼』)じゃないか」とか思ったのだが、「Amazon Prime Video」のフィルムは「アメリカ版」だったようで、じっさいこの作品のアメリカでのタイトルは「Wings of Desire」なのだった。う~ん、どうもこの作品にそぐわないタイトルではないかと思ってしまったが、ドイツ語の原題は「Der Himmel über Berlin」で、「ベルリンの空」という意味らしい。
 こう見てみると、邦題の『ベルリン・天使の詩』というのはなかなか「いい感じ」のうまい邦題だな、などとは思ってしまう。これは勝手な想像だけれども、このタイトルのおかげで女性観客は増加したんじゃないかな、とは思ってしまう(じっさい、日本を訪れたヴェンダースはこの作品上映中の映画館へ行き、そこに女性観客しかいないことに驚いたという)。

 脚本はヴィム・ヴェンダースとペーター・ハントケ(最近ノーベル文学賞を受賞された)とが共同で書き、撮影はそのときほぼ引退状態だったアンリ・アルカンを説得して復帰させたのだった。アンリ・アルカンは映画の中の天使の視覚をあらわすため、古い絹のストッキングをフィルターとして使用したという。
 そのようにこの作品、登場する天使の視点から描かれることが多いけれども、その画面はモノクロ。つまり天使は色彩を認識できないらしいが、人の心の中を聞くことが出来る。人間には天使の姿を見ることは出来ないが、子供たちには見えるらしい。
 映画にはダミエル(ブルーノ・ガンツ)とその友のカシエル(オットー・ザンダー)という二人の天使が主に登場するけれども、舞台となるベルリンの街には多くの天使がいて、人々の心の声を聞いて記録しようとしている(特に図書館には大ぜいの天使が人々に寄り添っている)。天使は心くじけそうな人の心の声を聞くと「なんとか励ましてあげよう」とする。あるときは人に「立ち向かう勇気」を与えるときもあるが、あるときには人を救えなかったりもする。
 前半はまだ東西に分離されているベルリンの市街、まだ大戦の傷跡の残る市街を舞台に、さまざまな人々の心の声が観客にも聞こえてくる。ときどき画面はフルカラーになるのだけれども、それはその視点は「人間の視点」ということだろうか。
 アンリ・アルカンのカメラは柔らかに移動し、カメラ自体が「天使」のようである。じっさい、図書館の中をカメラがゆっくりと進むとき、そこにいる天使たちはカメラを認めて「カメラ目線」になり、カメラに向かって微笑むのだ。

 「子供が子供であった頃‥‥」という詩のような言葉が何度も繰り返され、それは天使ダミエルの言葉なのかもしれない。そんな言葉も合わせて、この映画全体が「一編の詩」のような印象にもなっていたと思う。
 わたしが好きだった言葉は、「子供が子供であった頃、みんなが魂を持っていると思っていた。そして魂はひとつなのだ。」という言葉。

 アメリカからピーター・フォークが映画出演のためにベルリンにやって来て、廃墟の中の撮影セットでナチス時代の映画に出演する。ピーター・フォークは撮影の合間に、そばにいるダミエルに「君のことは見えないけれども感じるよ。そこにいるんだろう?」と声をかける。
 市内で興行していたサーカス団は閉鎖、解散することになり、サーカス団の空中ブランコ乗りである孤独な女性、マリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン)の存在にダミエルは感情移入するようになる。
 ダミエルはだんだんに「観察者」であることを捨て、「天使」から「人間」になり、「経験」ということをしてみたいと思うようになる。そこでマリオンを知ったことは決定的だったのかもしれない。
 カシエルとそういう話をしていたダミエルは気を失って倒れ、カシエルはダミエルを置いて行く。気づいたダミエルは目にするすべてのものに「色」があることに感動し、通りかかった人に「色の名前」を聞いたりする。人間になったダミエルは無邪気にはしゃいでいるようで、まるで子どものようであった。そのとき彼が語るのは、「子供が子供であった頃、初雪が待ち遠しかった。今だってそうだ」などという言葉で、それはダミエルの魂が「子供」であることをあらわしているだろう。
 ピーター・フォークにあいさつしたダミエルは、ピーター・フォークもかつて「天使」だったことを知る。そしてダミエルはマリオンに会いに行くのだった。

 ストーリーを抽出して書けばとても単純なものだけれども、この作品、一本の作品としてまさに「ベルリン」の市街を舞台に、そこにいる人々の魂、心が映像と重なり合う姿を受け止める作品、といえるかと思う。まさに「一編の詩」。
 ラストの、マリオンがダミエルに語りかける「独白」のような言葉は、やはり先日観た『パリ、テキサス』のラストの、ナスターシャ・キンスキーの独白を思い起こさせられてしまう。
 それと印象に残るのは、飛び降り自殺しようとする男をとめられなかったカシエルが絶望し、戦勝記念塔の上から自分も飛び下りるシーンで、そこまで静かな動きだったカメラが急速に乱れ、揺れながらベルリンの市街を高速で通り抜ける映像。心に残るものだった。

 映画のラストに、映画で使われた楽曲のリストが出てきて、そこにはローリー・アンダーソンなどの名前もあったのだけれども、わたしがおどろいたのは、わたしの大好きな2つのバンド、「タキシードムーン」と「ミニマル・コンパクト」の名前があったこと。特に「ミニマル・コンパクト」は、昔わたしが夢中になった「When I Go」という曲なのだった。
 映画を観ていてその音楽が聴こえてくれば気がつかないわけもなく、おそらくは「背景音」的な扱いだったのだろう。これを聴こうとしたならヴォリュームをとてつもなく上げ、近所から苦情殺到のレベルにしないと聴こえてこないことだろう。こういうのは映画館にはかなわない(ヘッドフォンをすれば聴けるのだろうか?)。
 

2024-04-09(Tue)

 この夜はちょっと寒かったのか、ニェネントくんもわたしの寝ているベッドの上にやって来て、しばらく滞在していってくれた。
 「どうしたの? 昨日は来なかったじゃない?」とニェネントくんを抱き上げて、ニェネントくんの鼻にわたしの鼻先をくっつける。ニェネントくんの鼻先はちょびっと湿っている。「いいお湿りですね」と語りかけると、「にゃ~」と返事をくれる(「嫌がっているのだ」という説もあるが)。今年はいつまで、わたしの寝ているベッドの上に来てくれるだろうか。

 昨日「ふるさと公園」に行ったとき、陽射しが暖かだったせいか、池に棲むアカミミガメが岸に上がって甲羅干ししている姿が見られた。この池に棲息しているアカミミガメはけっこう数が多いみたいだ。

     

 コブハクチョウが営巣しているそばで、そのアカミミガメの子どもが岸辺を這っているのを見た。
 この池で誕生したのだろうか。それとも誰かが池に捨てたのだろうか(それは禁止されていることだ)。

     

 アカミミガメはアメリカザリガニと共に、去年から「条件付特定外来生物」に指定された。これは「飼育してもいいけれども、これを池などに逃がして飼育放棄することが禁止される」ということ。
 環境省の「外来種問題を考える」というサイトには「どうするかね」ということも書かれているけれども、基本「飼い始めたらさいごまで飼う」ということ(これはアカミミガメに限らず、どんなペット、どんな動物でも言えることだろうけれども)。
 それで現在、この「ふるさと公園」のように野生化して数を増やしたアカミミガメについては、「防除作業」という名の捕獲作業に頼ることになる。他のサイトには「アカミミガメを見つけたら、連れて帰って飼育することも可」と書いてあるところもあったけれども、寿命が40年はあるんじゃないかといわれるアカミミガメ、小学生の頃に飼い始めても、当人は年老いて孫の代に飼育を引き継いでもらうということにもなりそう。そりゃあ賃貸住宅に住む人間には「不可能」なことだろう。
 では「捕獲」したらそのあとどうするか?というと、つまりは「駆除」するわけで、今は「冷凍」して殺処分することが一般的らしい(他の方法として「首を切断する」な~んて書いてあるサイトもあったが、そんなこと出来んがな!)。

 つまり何が言いたいかというと、こうやって外でアカミミガメの子どもとかを見つけても、連れて帰って飼育する以外に、一般人には「ただ見ている」だけで、何の方策もないということだ(まあ誰もがアカミミガメがいたからと「駆除」するわけにはいかんだろうが)。当たり前のことではあるが、こうやってアカミミガメの子どもとかをすぐ近くで目にすると、「このまま放置していいのか」などと思ってしまうのだった。

 それから昨日は、いつも「ノラ・ミャオ」か「サビーネ」と出会う公園の近くで、わたしのずっと前方で「サビーネ」が道路を横断して行くのが見えた。「サビーネ」が消えたあたりに行ってみたが、もう「サビーネ」の姿はどこにも見えなかった。
 そして「野良ネコ通り」を歩いていてもやはり、わたしの前方でサビネコっぽい色の濃いネコが道路を横断して行くのだった。このネコもすぐに姿を消してしまったけれども、この「野良ネコ通り」でネコの姿を見るのは、ずいぶんと久しぶりのことだった。

 今日は首都圏は激しい風雨らしく、テレビで傘を吹き飛ばされそうになりながら歩く人とかの姿が放映されていた。もう満開を過ぎた桜の花は、これで一気に散ってしまうのだろう。
 このあたりは、部屋の中からの感じではそんなに風雨は強くなかったようだけれども、わざわざ外に出かけたりはしない。

 午後からまたヴェンダース作品、今日は『ベルリン・天使の詩』を観た。この映画は、さいしょに観たときのことをちょっと記憶していた。この映画、わたしはちょっと前半をぼんやりと観てしまっていたので、明日もういちど観てみようと思っている。

 夜はハイスミスの『リプリーをまねた少年』を読む。『ベルリン・天使の詩』と同じく、まだ「壁」のあった時代のベルリンが舞台だということが共通している。この日はそんな、『ベルリン・天使の詩』の風景を思い浮かべながら読んだ。
 前に観たドキュメント『パトリシア・ハイスミスに恋して』の中でたしか、この『リプリーをまねた少年』にはハイスミスの実生活が生かされて書かれていたようなことが語られていた記憶があるけれども、読んでいると、「ハイスミスはこの作品を書くのを楽しみながら書いているなあ」という印象を受けるし、中に出てくるベルリンのゲイ・バーなど、ハイスミスがじっさいに足を運んだスポットをモデルにしているのだろうな、などと想像される。それでこの作品では、リプリーに協力してくれる「気のおけない」仲間ができたという感じもあり、今のところ読書感には明るいものがある。
 

『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』(2014) ジュリアーノ・リベイロ・サルガド、ヴィム・ヴェンダース:監督

 原タイトルは『Salt of the Earth』。映画はブラジルの巨大な金鉱「セラ・ペラーダ」を撮影した写真群から始まる。「巨大な穴にうごめく5万人の人」。そこにあって、いつまでも鉱山の土を掘る男たちは、まさに「一攫千金」の狂気に捕らえられているようだ。「金」を得たものは鉱山を出て行き、もちろん二度と戻ることはない。5万人の人々は「いつか自分も金塊を」という欲望を原理として動いている。この写真群に、若き日に「経済学」を学び、それから写真家になることを選んだ、セバスチャン・サルガドという人の「表現」の本質があるのかもしれない。
 セバスチャン・サルガドは「世界のありよう」をカメラで捉えて発表してきたが、その「世界のありよう」の背後には、実は世界を支配する「大きな<経済>の動き」というものがあるのだ。肥大化した<世界経済>こそが、人々を押しつぶそうとしている。

 この映画はセバスチャン・サルガドのキャリアをたどる「伝記映画」であり、セバスチャン・サルガドの子息のジュリアーノ・リベイロ・サルガド、そしてヴィム・ヴェンダースセバスチャン・サルガドに同行し、その演出によってセバスチャン・サルガドという「人間」、彼と彼の作品との関係が浮かび上がってくるような作品だ。
 基本モノクロシーンの多い作品だけれども、サルガドの作品に「二重映像」としてサルガドの顔が重なり、彼自身が作品について語るシーンが何度も出てくることが印象的だ。
 これはギャラリーに掛けられた作品の前で、作者本人がその自作について語っているということがイメージされるが、「ヴェンダースの作品だ」ということで観てみると、昨日観た『パリ、テキサス』の終盤で、マジックミラーの部屋でハリー・ディーン・スタントンナスターシャ・キンスキーとのイメージが重なるシーンのことが思い出されるのだった。

 そのキャリアの初期に「人物ポートレート」を撮っていたサルガドが、「ポートレートは私一人で撮るのでなく 相手からもらうのだ」と語るシーンがあったが、わたしにはこの言葉こそ、サルガドの作品みなに共通して語り得ることではないかと思った。
 わたしは知らなかったが、サルガドは「<神の眼>を持つ写真家」とも語られているそうなのだが、彼の作品が<神の眼>と言われるとしたら、それはサルガドの写真が「相手からもらった」ものだからであり、その「相手」とはまさにこの「Earth」なのではないだろうか、などとは思うのだった。

 シベリアから南米、そしてアフリカへと取材を続けられたサルガドは「労働者」の問題、「難民」の問題に向き合っていたが「ユーゴスラビア戦争」「ルワンダの虐殺」を取材していて心が折れ、帰国する。ブラジルの故郷に帰ってからは夫人の提案で、父の農園跡地に植林プロジェクトを開始、そこを「INSTITUTO TERRA」と名付ける。植林は成功し、その土地はブラジルの国立公園に指定される。
 自信を得たサルガドは視点を変え、ガラパゴスの動物やクジラら野生の動物らを撮影し、ブラジル奥地で「現代世界」との接触を持たずに来た原始的原住民部族の記録写真も撮り始めるのだった。

 サルガドの作品群は、ある意味現代の人類が抱える「根源的な問題」を捉えたものだとも思うし、自室に引きこもってテレビを見ているわたしに突きつけられることは「やっかい」なのだけれども、改めて「現代世界の悪の根源は?」などという大きな(?)ことを考えさせられる。そういう、「認識」を問う映画ではなかったか、などとは思うのだった。
 

2024-04-08(Mon)

 「ふるさと公園」へと歩いた。「公園周辺の桜、どのくらい花咲いているだろうか」という興味もあったけれども、やはり先週の木曜日に訪れたときに比べ、もう一気に咲いてしまったようだ。木曜日から4日経つけれども、桜の花は咲き始めると早いな、という印象。まだ「満開」にはあと一歩というところではあるけれども、この週末にはけっこう散ってしまっていることだろうと思う。写真は公園の中の桜。

     

     

 公園に入ると、さいしょの池のほとりに三脚で一眼レフカメラを構えた方が2人ほどいらっしゃって、その横に双眼鏡を持って池の対岸を眺めてらっしゃる方もいた。「こういうのはきっと、カワセミがいたのかな」と思ったが、わたしも皆が見ている方角を見ていると一瞬、青い羽根の鳥が水面近くを飛ぶ姿が見えた。やはりカワセミだったか。

 コブハクチョウが巣ごもりをしているところへ行ってみると、この日はもう一羽のコブハクチョウも巣の近くで泳いでいた。抱卵しているのはメス鳥で、そばを泳いでいるオス鳥が巣の周辺をパトロールしているのだ。ときどき交代してオスが卵を抱き、そのあいだにメスは食事に出かけるらしい。

     

 このコブハクチョウの営巣場所では毎年抱卵、子育てする姿が見られるけれども、同じカップルが営巣しているのかどうかは確かではない。2年前までは毎年5~6羽の雛、幼鳥が誕生していたけれども、去年孵化した雛はわずか1羽だった。これは自然のなした偶然の結果なのかもしれないけれども、近年この手賀沼コブハクチョウの数が増加して、周囲の水田で苗を食べてしまうという被害が拡がっているということから、役所の方で数を調整しているせいかもしれない。卵を取り上げて、代わりにニセの卵を抱かせるのだという。去年そういう処置を行った可能性はあるだろう。

 しかしコブハクチョウの数が増加しているのは、「ふるさと公園」に接している手賀沼のずっと東の方、手賀川とつながるあたりのことらしく、「ふるさと公園」周辺のコブハクチョウの数など問題にならない増え方らしい。じっさい、今の「ふるさと公園」周辺で目にするコブハクチョウは、この営巣したカップルと去年産まれた幼鳥ぐらいしかいない。その前の年までは4~5羽のコブハクチョウが見られる時期もあったが。

 そういう意味では、この「ふるさと公園」のコブハクチョウの産卵数を調整しなくってもいいように思ったりするが、どうも「ふるさと公園」で産まれたコブハクチョウも、成長すると東の方に移動してしまい、大きな群れの一員になってしまうようだ(去年産まれた幼鳥も今は姿を見せなくなったので、東に移動した可能性がある)。

 去年のコブハクチョウの営巣中には、近くに「コブハクチョウが抱卵していますので、周辺で釣りをしたり騒がしくしたりしないで下さい」という掲示が出ていたけれども、一方で「卵をいっぱい産んで、数が増えると困るなあ」としながら、それでも「抱卵~孵化のジャマはしないでね」とやるのは、「矛盾」といえば「矛盾」ではないかとも思ったりする。

 「ふるさと公園」を出ると、そこにも川沿いに桜並木があるのだけれども、そちらの桜は咲くのがちょっと遅れていて、まだ「七分咲き」ぐらいだろうと思えた。

     

 この日は陽も陰っていて、そこまでに気温も高くはないだろうと思っていたが、薄手のセーター一枚でもちょっと暑くなり、帰宅すると汗がふき出してしまった。

 昨日ヴェンダースの『パリ、テキサス』を観て、良かったもので、「しばらくはヴェンダースの作品を観ようか」と、今日は『ベルリン・天使の詩』にしようかと思ったのだけど、「ちょっと今日の気分ではないか」と、ドキュメンタリーの『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』を観た。考えさせられることの多いドキュメンタリーだった。

 夜はハイスミスの『リプリーをまねた少年』を読み継いでから寝た。この夜はニェネントくんはベッドに上がってくることはなかった。
 

『パリ、テキサス』(1984) ロビー・ミューラー:撮影 ヴィム・ヴェンダース:監督

 ヴィム・ヴェンダースは昔からの友人サム・シェパードと共に「アメリカについての作品を撮りたい」と考え、サム・シェパードの「Motel Chronicles」を2人でアレンジすることを検討する。さいしょは「どこからともなく現れ、行くあてもない奇妙な男」というアイディアからスタートしたそうで、主演はサム・シェパードの予定だったという(映画会社がサム・シェパードを「俳優」と認識していなかったため、叶わなかった。また、サム・シェパードも「身近すぎて演じられない」と言っていたらしい)。
 シェパードが脚本を書き、まだ脚本の全体が完成しないうちに「順撮り」で撮影が始まるが、その後シェパードが『カントリー』という作品に出演するために脚本を書けなくなり、L・М・キット・カーソンが以後の脚本に協力するが、当初から撮影をしながら先の脚本を考えていく方策を取り、その途中ではいろいろなストーリー案があったらしい。
 撮影監督のロビー・ミューラーヴェンダースは翌日の撮影の構想を徹夜で話し合い、共に車で撮影地(ロサンゼルスからテキサスへの道)をドライヴし、そのときに撮影することもあったらしい。

 主な出演者はトラヴィスハリー・ディーン・スタントン、トラヴィスの弟のウォルトのディーン・ストックウェル、その妻のアンのオーロール・クレマン、そしてトラヴィスの妻のジェーンのナスターシャ・キンスキー、トラヴィスとジェーンの子、ハンター役のハンター・カーソンの5人だけれども、ハンター・カーソンは脚本で参加したL・М・キット・カーソンの息子さんなのだ。
 そしてわたしは、アン役のオーロール・クレマンという女優さんの顔に見覚えがあったもので調べてみたら、なんと先日観たヴィクトル・エリセの『エル・スール』で、劇中の映画の中で「イレーネ・リオス」を演じていた女優さんなのだった。この偶然にはちょっとおどろいた。

 作品として、ストーリーがジョン・フォードの『捜索者』に似ているという意見もあるようだが、わたしは『捜索者』の記憶がないのでそのあたりはわからない。でもわたしは、同じヴェンダース監督の『都会のアリス』には似ていると思った。

 わたしが観た感じではこの作品は3部にわかれていて、さいしょはテキサスの荒涼とした地で発見されたトラヴィスをウォルトが迎えに行き、ロサンゼルスに連れ帰るまで。
 次のパートはトラヴィスがウォルト家の空気に馴れ、そこにいた自分の息子のハンターと親子の情を通わせるまで。
 そしてさいごは、トラヴィスとハンターとがハンターのお母さんのジェーンを探しにヒューストンへ行き、トラヴィスがジェーンと再会する。

 ロビー・ミューラーの印象に残る美しい撮影と、ライ・クーダーによる余韻たっぷりのスライドギターの音色とで、映画はアメリカ西部の荒涼とした風景を詩的に描き出している。「ロード・ムーヴィー」として評価の高い所以(ゆえん)だろうと思う。冒頭、ハリー・ディーン・スタントンの被っている赤い帽子、そしてヒューストンへ旅立つときのハリー・ディーン・スタントンとハンターの着ている赤いシャツ、二人が泊まったホテルの部屋の赤いラジオ、「Coca Cola」の赤い看板、そしてナスターシャ・キンスキーの乗る赤い車と、全編にわたって赤い色が印象的に使われていたことも記憶に残る。

 この映画、わたしはもっとアーティスティックな、観ていて疲れる作品かとの先入観もあったのだけれども、前半のハリー・ディーン・スタントンの「コミカル」でもある演技、そしてウォルト夫妻とハンターとの「家族愛」の展開、それからハンターを演じるハンター・カーソンの、生き生きとした愛らしいふるまいに観て飽きることもなく、そのあとのハリー・ディーン・スタントンナスターシャ・キンスキーとの切なく哀しい「対話」へと引っ張られてしまうのだった。ラストのナスターシャ・キンスキーとハンター・カーソンとの再会シーン(長回し)はもう、わたしは泣くしかなかった。さいごのハンターのセリフ、「ママ、髪が濡れてる」、というのがたまらない。
 

2024-04-07(Sun)

 午前中はまだ少し寒い気がしたけれども、午後からはけっこう暖かくなったみたいだ。天気もいいので、東京とかはまさに「お花見びより」になったことだろう。
 昼まではリヴィングのわたしのそばで丸くなっていたニェネントくんは、午後から姿が見えなくなったので「どうしたのかな?」と和室をのぞいてみたら、キャットタワーの上で「ひなたぼっこ」をしていた。写真は逆光で顔がまっ黒になってしまったが。

     

 今日は午後から、ヴィム・ヴェンダース監督の『パリ、テキサス』を観た。この映画もむかし観てるんじゃないかと思っていたけれども、昨日観た『ノマドランド』のようにまるで記憶していなかった。
 いや、『ノマドランド』は主演のフランシス・マクドーマンドが「Amazon」の配送センターで働くところとか、多少なりとも記憶が残っていたのだけれども、この『パリ、テキサス』はこれっぽっちも記憶していなくって、「ひょっとしたら、観たような気になっているだけで、本当はいちども観たことがなかったのではないか?」とか思ってしまった。
 それで古い日記で検索してみると、なんとまさにこの日からちょうど10年前、2014年の4月7日に観ているのだった。そしてそのときの日記には「この映画、久しぶりに観た」などと書いてあったので、その前にも観ていたことがわかる。
 その10年前の前後の日記を読んでみると、どうやらその時期はわたしの記憶がいちばん失せてしまった時期ではあるようで、その頃観た映画、読んだ本のこと、自分の行動など、どれもまったく、なにひとつ記憶していないのだった。

 まあ自分の「記憶障害」「記憶喪失」については、それはもう「こぼれたミルク」のようなもので、嘆いてもしょうがないとは思っているのだけれども、あらためてそんな事実を突きつけられると、やっぱりうんざりしてしまうのだった(「突きつけられた」といっても、自分で自分に突きつけているわけだけれども)。

 観終わって、わたしはこれは「素晴らしい映画だ」と思ったのだけれども、10年前の日記はめっちゃ素っ気なくって、そのときのわたしは感銘を受けたりもしていないような書き方だった。

 この日の夕食は、先日北のスーパーで珍しく買った、出来合いの「お惣菜」の串カツにキャベツの千切りを添えて、串カツにはソースとマヨネーズ、キャベツにはドレッシングとマヨネーズをあえるという「超お手軽」夕食にしたのだが、北のスーパーで売っている「お惣菜」は、ほっんとうに美味しくない。ガッカリだった。これが東のスーパーだったなら、売られている「お惣菜」はけっこう美味しいのだけれども。

 寝る前に、テレビの「ダーウィンが来た!」を見た。この日は視聴者から寄せられた疑問に答えるという特集だったが、まずは鎌倉あたりに出現するという「白いカワセミ」。このカワセミのことは前にネットの記事で読んだことがあるが、意外と住宅地の中、コンクリートの濠ぞいに棲息しているようだ。そのカワセミの周囲にはカメラをかまえたウォッチャーの数も多いようだったけれども、カワセミはまるで人間のことを気にせずにエサを取り続けているように見えた。しかし「なぜ白いのか?」という疑問には答えず、そのカワセミの背中に見える「青い羽根」が実は「青」ではなく、その羽根だけ「構造色」によって青く見えるのだ、という説明だけだった。
 次は新潟の方から、「自宅周辺に謎の動物の鳴き声が聞こえる」ということで、「その正体は何か?」という質問。録音されたその「鳴き声」を聞いたけれども、「じ~、じ~」という鳴き声。な~んだ、そりゃあ「オケラ」じゃないかと、わたしはすぐにわかってしまった。
 こういうのは、小さい頃に「泥遊び」とか「土遊び」をしていれば目にする機会はあるだろう。東京周辺でもまだまだ棲息しているらしいし。
 この「おけら」を捕まえて、指ではさんで持ち上げて「お前の〇〇〇〇、どのくらい?」と聞くと、「おけら」は前足を思いっきり拡げて「これくらい!」と答えてくれるのだ。
 ‥‥観た映画のことはすっかり忘れてしまっていても、こういうことはしっかり覚えているのだ。