ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『シェーン』(1954) ジョージ・スティーヴンス:監督

シェーン HDリマスター [DVD]

シェーン HDリマスター [DVD]

  • 出版社/メーカー: 復刻シネマライブラリー
  • 発売日: 2018/09/10
  • メディア: DVD

 これは日本だけのことかもしれないけれども、「西部劇」といえばこの『シェーン』こそ!という雰囲気がある。そして、「孤高のヒーロー」といえば、この作品でアラン・ラッドの演じたシェーンだろうが!ということだ。日本ではテレビで何度も何度も放映されたはずで、わたしも観ているはずで、この不細工な子役の顔とかはしっかり覚えているし、ラストのエコーまでかけた「シェーン!カムバック!」の声だって記憶しておる。しかし、映画の内容はもうすっかり忘れていた。

 監督はジョージ・スティーヴンスで、かつてはフレッド・アステアの名作『有頂天時代』を監督した人物で、この『シェーン』の前後には『陽のあたる場所』だとか『ジャイアンツ』を撮っている、まあ名監督なのだが、西部劇はこの『シェーン』一作しか撮っていない。

 この作品には原作がちゃんとあるようだけれども、つまりは西部に移住してきた開拓民と、その土地を取り仕切ろうとする牧畜業者との紛争があり、その開拓民一家のところにシェーンという流れ者がやって来て、開拓民一家を助けて牧畜業者と対峙するというお話。いっしゅ「労働争議」みたいな展開で、開拓民にはシェーンが味方し、牧畜業者はジャック・ウィルソン(ジャック・パランス)という拳銃使いを呼び寄せるわけだ。ラストはシェーンとウィルソンとの決闘。

 まず、この作品でいいのは、短いショットでシェーンがやっかいになるスターレット家(夫と妻と息子)の生活をきっちりと描いているあたりで、夫のジョー(ヴァン・へフリン)もなかなかに勇気のある好漢だということがわかるし、シェーンの登場でちょっと心がゆれてしまう妻のマリアン(ジーン・アーサー)の描写が卓越。風景も、これは西部でも北の方なのだろうか、雪を頂いた高山の姿がいつもバックに見える。

 それで、やって来たウィルソンがまずは開拓民のひとりを撃ち殺すのだけれども、このシーンが雨のあとのぬかるみの道を舞台にしていて、陽の光が道の水たまりに反射して、映像として美しい。
 ラストの対決のシーンは夜で、シェーンは馬に乗ってウィルソンのいる酒場へと向かうのだけれども、このシーンはよくアメリカ映画にあるような「Day for Night(アメリカの夜)」ではなく、ほんとうに撮影可能ギリギリの薄暮時に撮影しているようだ(建物の窓からの明かりでわかる)。これはもちろん、真っ暗になってしまえば技術的に撮影は不可能なことだっただろうし、撮影可能な短い時間で撮っちゃってるのはたいへんなことだっただろうなと思う。美しい絵になっていた。あ、あと、「犬」ね。

 それで、わたしは勝手に、ラストにシェーンが去って行く場面というのは、昼間の青い空をバックに地平線にシェーンが消えていくようなものだと思い込んでいたのだけれども、ちがうじゃん! 決闘を終えてウィルソンを倒したシェーンが、自分も傷つきながら「オレは戻れない」と言って、山道を越えて去って行くのだね。ここから、「実はシェーンはウィルソンとの決闘で致命傷を負っていて、ひとりで死ぬために去って行くのだ」という解釈も生まれるらしいし、わたしもその見方に同意するところもある。ただ、原作では、成長した息子のジョーイが、遠い便りとしてシェーンの死を知るということがあるらしい。
 とにかくは「原罪」ともいうべきものを背負い、暗い雲の方へと向かっていくラストのシェーンの姿は、ただ「カッコいい」というものを越えた、「悪魔に魅入られたもの」というような姿がある。
 

2019-12-05(Thu)

 アフガニスタンで医療活動を継続され、世界平和へのひとつの規範を示されていた中村哲氏が、現地アフガニスタンで何者かに銃撃されて死亡されたとの報。ショックである。

 おだやかな好天がつづいているのだが、明日からはまた寒くなり、明後日土曜日には東京でも初雪が降るかもしれない、などというニュースを読んだ。それは大変だ。実はいろいろと計画を立てて、その土曜日には都現代美術館にDumbTypeの展示を観に行って、そのあとあちこち動き回ってみようかと思っていただけに、「あらあら」という感じではある。

 今、電車の中だとか勤務中の休憩時間とかには先週買った文庫『普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』を読んでいるのだけれども、どうやら明日中には読み終えられそうだ。500ページの本を月曜日から5日間で読むというのは、つまり一日に100ページぐらいのスピードか。もちろんその本の内容だとか文体だとかいろいろな条件で読むスピードは変わり、先日読んでいたカフカ全集の第3巻は読み終えるのに2ヶ月かかってしまった。ほんとうは500ページぐらいの本なら3日で読み終えたいところだけれども(読みやすい小説とかならいけるのだが)、まあちょっとこのところスローペースだ。

 ニェネントの朝食の固形食(カリカリ)のさいごの一袋の封を切ったので、「また前回のようにAmazonで注文しようか」と思って前回の注文品をみてみたら、なんと400円ぐらい値上げされていた。それはひどい。それでは近所のスーパーで買うのと大差なくなってしまっている。こんどスーパーに行ったら「価格調査」をやってみなくてはならない。

     f:id:crosstalk:20191128163356j:plain:w500

 今日は日曜日につくったカレーの残りをようやく全部食べ終え、DVDは『シェーン』を観た。
 

2019-12-04(Wed)

 今日も晴天で昼は寒くない。それでもニェネントは「寒いねー」と感じているらしく、わたしが仕事から帰るとベッドの布団とか毛布の中にもぐりこんでいて出てこない。しばらくわたしがリヴィングでごちゃごちゃやっていると、「お、アイツも帰って来たのか!」てな感じで、ベッドのある和室から這い出してきてわたしのまわりでゴロゴロしはじめる。それでもわたしがちっとも相手にしないせいか、「なんだ、つまんないの!」というところで和室に戻って行ってしまう。
 今日はそんな、和室のキャットタワーの上でくつろいでいるニェネントのところに行き、写真を何枚か撮ってみた。

     f:id:crosstalk:20191203153646j:plain:w500

     f:id:crosstalk:20191203153848j:plain:w500

 ‥‥ニェネントは、思ったより舌が長いのだった。

     f:id:crosstalk:20191203153753j:plain:w500

 ニェネントの夕食の時間は、毎日午後4時だ。その頃になるとニェネントはわたしのそばに来て、座り込んで「ごはん」を待っている。そんなニェネントをみて、時計を見比べて「まだ早いよ!」と無視をしていても、だいたい4時に近くなると「もういいか」と思って、ニェネントに「ごはんだよ!」というと、ニェネントは「ごはん」という言葉はわかるようで、ニャンニャンとないて前足を前に大きく伸ばして、大きな伸びをする。ニェネントのひとつのクライマックスだ。それで夕食は「ネコ缶」なので、お皿にネコ缶から出してあげる。ニェネント、がっつく。これがニェネントの夕食である。

 そうやって今日はちょっと早くにニェネントの夕食を出してあげ、わたしは買い物に出かけた。
 今日の目標は、レタスを安く買いたい。今はどこのスーパーもレタスはひと玉198円ぐらいするが、いちばん北のスーパーならもっと安いにちがいない。そう思って行ってみると、ほ~ら、けっこう大きなレタスの玉が139円ではないか。こういうのが「お買い物」の面白さだ。
 あと、「たこ麻辣」という、小さな訳の分からないパッケージが置いてあって、量は少ないのだけれども100円ぽっちなので買ってみた。

     f:id:crosstalk:20191204184402j:plain:w500

 これが、酒のおつまみとしてけっこうイケる感じだったし、これでご飯も進みそうだった。ときどき買ってみようと思った。

 スーパーの前の道路から西をみるとちょうど日暮れ時で、その陽が沈んでいくところに富士山の影がみえた。わたしの住んでいるところから富士山が見えるスポットというのはまずなくって、駅の階段を上がって降りるところから振り返ると見えたことがあって、「ここからも富士山は見えるのか」と思ったものだったけれども、そのスポットは鉄塔がそばにあってあまりいいスポットではない。今日見えた場所もそれほど絶景ではないし、富士山も裾野の拡がりが見えないからあまり「おお!富士!」という感じでもない。でも、この富士山が見える坂道はやはり、「富士見坂」というらしい。

     f:id:crosstalk:20191205162415p:plain:w500

『アパッチ砦』(1948) ジョン・フォード:監督

アパッチ砦 Blu-ray

アパッチ砦 Blu-ray

  • 出版社/メーカー: IVC,Ltd.(VC)(D)
  • 発売日: 2019/11/29
  • メディア: Blu-ray

 ジョン・フォードには「騎兵隊三部作」と呼ばれる三本があるそうで、この作品はその第一作にあたるという。これは史実に残る第七騎兵隊の全滅をモデルとした作品で、ある意味「負け戦(いくさ」を描いた作品になる。

 先住民の居留地に近接した「アパッチ砦」に、サースデイ中佐(ヘンリー・フォンダ)が娘のフィラデルフィアシャーリー・テンプル)を伴って赴任してくる。実は彼は左遷されてこの地に来たようではある。砦には古参のヨーク大尉(ジョン・ウェイン)、コリングウッド大尉、オルーク軍曹、その息子のマイケル・オルーク(ジョン・エイガー)らがいる。フィラデルフィアとマイケルは、互いに初対面から惹かれ合うことになる。

 ここで出演者のことを書いておくと、まあジョン・ウェインはいつものジョン・ウェインなのだが、ヘンリー・フォンダはいつもの品行方正なジェントルマン的なたたずまいではなく、権威をかさに着て自分のミスを認めようとしない、「ダメ上司」の見本のような役をやっているが、「品行方正さ」イコール「権威の表出」みたいなところで通じるのか、適役ではある。
 シャーリー・テンプルは子役時代からすでにビッグスターで、のちには外交官として活躍、一見「順風満帆」な生涯をおくられた「幸福な女優さん」ではあった。この作品撮影時は19歳ぐらいだっただろうけれども、可愛らしくも美しい。わたしは彼女の出演した映画を観るのはこの作品が初めてだったけれども、ある意味「武骨な男たちの映画」という中で、まさに「一輪の美しい花」という印象。彼女の存在で映画の印象も柔らかくなる。
 そしてもう一人、この映画でシャーリー・テンプルと恋仲になるジョン・エイガーという俳優がいて、この人物はこの作品がデビュー作なのだが、実はこのときすでにシャーリー・テンプルの夫なのであった。まあグッドルッキング・ガイではあって、将来のスターへの道を想像してしまうのだが、どうもこの男、DVだったりアル中だったり浮気したりと大変なヤツだったらしく、シャーリーとは1950年に離婚している。ある意味シャーリー・テンプルの生涯唯一の汚点が、このジョン・エイガーという男なのかもしれない。そういうことで彼は俳優としても大成せず、以後は『半魚人の逆襲』だとか『モグラ人間の叛乱』とかいうタイトルの、おそらくは二流の作品にばかり出演することになってしまう。でもまあ、このデビュー作では気負いもあったのか、溌溂としていて好印象ではありますね。

 さて映画の話。この作品こそ、先に読んだ『文學界』12月号の蓮實重彦の「ジョン・フォード論(序章)」でかなり言及されていた作品で、まあ先にそっちを読んでしまっていたものでどうしてもそういう観方をしてしまったけれども、これは傑作だと思う。
 この作品はモノクロでスタンダードサイズなわけだけれども、仮にこれがカラー作品で、例えば70ミリ映画だったと想像してみると、あの『アラビアのロレンス』も吹っ飛んでしまうような強烈な映像ではないかと思った。
 ひとつには、そのクライマックスの先住民との闘争の激烈さがあるわけだけれども、例えばサースデイが指揮をとる騎兵隊の生き残りを、先住民の騎馬部隊がそれこそ「波」のように包んで乗り越えて行き、騎馬部隊が過ぎ去ったあとには誰も生き残ってはいないというシーンを、遥か上方から俯瞰シーン、ワンショットで撮り切ってしまう迫力。これはすごいシーンだった。
 そしてまさにこのストーリーの奥深さがあるわけだけれども、蓮實氏が書いていることではあるけれども、サースデイが戦闘中に落馬して自分のサーベル剣を紛失し、それをヨークが自分のサーベルをサースデイに与え、彼と決定的な決裂をして「もはやこれまで」とばかりにサースデイを激戦地に送り出し、自分はサースデイの命令で後陣に撤退するわけだけれども、これがラストのヨークの記者会見のとき、「サースデイの遺品」としてサースデイの肖像画の前にサーベルが置かれているわけで、まあサーベルに持ち主の名まえが彫り込んでいたりしたらアレだけれども、おそらくそのサーベルはヨークのサーベルではあるだろう(仮にそれがじっさいにサースデイのサーベルだったとしても、大事な戦場で自らのサーベルを紛失したサースデイの失態は残る)。そのことをすべて呑み込んで、「サースデイは偉大な軍人だったのです」と記者団に語るわけではある。
 これは「軍隊という存在の偉大さ」を語るものではなく、そのような軍隊の愚行があれども、サースデイという今は亡き人物への最大限の追悼の意、と読み取るべきかと思った。

 ジョン・フォード監督の作品、今まで観た中で、西部劇と言えども女性の存在が大きくクロースアップされているとは思って観てきたけれども、この作品でも、騎兵隊が出発するときにそのフィラデルフィアコリングウッド大尉夫人、オルーク軍曹夫人の三人が並んで騎兵隊を見送るシーンが印象的で、このときの三人のうち、コリングウッド大尉は戦闘で命を失うのだけれども、すべてが終わったラストのシーンで、マイケル・オルークと結婚したフィラデルフィアは愛児を抱き、オルーク夫人とともに、ヨーク隊長に率いられた騎兵隊軍勢を見守るのである。
 

2019-12-03(Tue)

 今日は晴れた。さすがに真っ暗な中、早朝に駅に向かう時とか、勤め先駅で勤め先まで歩くときはかなり寒いのだけれども、仕事を終えて外に出て歩くと、早朝の身支度では暑いぐらいに気温が上昇している。しかし雲ひとつない晴天は気分がいい。

 ずっと、こまめに金銭出納帳(家計簿)をつけているのだが、今日は11月分をまとめて計算してみた。
 「これは一番の問題だ」と思ったのは、缶コーヒーやペットボトルに6千円近く支出していたことだ。出勤前に仕事先まで歩くときにまず缶コーヒーを買い、それで仕事中に2缶飲む。自分では「まあ仕事の経費のうち」とか思っていたところもあるけれども、トータルで6千円とかになると、「ここはガマン出来るではないか」と思ってしまう。まずはコレを何とかしたいと思った。
 あと、食費は食材、それから外食費、それに「おつまみ」とか全部合わせて2万円ぐらいで、これは結構ではないかと思っている。なかなかに倹約出来てるのではないかと思う。それで先月は意外と書籍類を買っていて、トータル1万円になっていた。これは削りたいとは思わない。
 先月は舞台関係の観劇はひとつもなかったので、そういう支出は少なかったのかと思う。それでも展覧会とか映画とかで4千円ぐらい(まあ舞台をひとつ観れば一気に上昇するのだが)。12月からはこの月の結果を基礎と考え、節約できるところは節約していきたい。

 「肥満?」と心配したニェネントだけれども、ちょっとごはんの量を減らして、少しお腹も引っ込んだように見える。とりあえずは健康そうなので何よりだと思う(なんか、眠そうだ)。

     f:id:crosstalk:20191203153636j:plain:w500

 今日は、ジョン・フォード監督の『アパッチ砦』を観た。
 

『タバコ・ロード』(1941) アースキン・コールドウェル:原作 ジョン・フォード:監督

 「Tobacco Road」というタイトルを聞くと、わたしなどはどうしてもイギリスのバンド、Nashville Teensが1964年に放ったヒット曲を思い出してしまう。別にこの映画からインスパイアされて書かれた曲ではないようだけれども、原曲はフォーク・ブルースらしく、地域としての同じ「タバコ・ロード」のことを歌っているのだろう(「おふくろは死んじゃって、おやじは飲んだくれだ」みたいな歌詞がある)。
 ちょっと映画のことから離れてこの曲のことを書いてみたいのだけれども、奏っているNashville Teens、アメリカでヒットしたのはこの曲だけだったけれども、イギリスでは小ヒットがいくつかあるようで、どうやらいまだにバンド活動は続いているようだ。
 曲はめっちゃくちゃカッコよくって、発表されたのが(まだ世の中は「ポップ」よ、という)1964年だというのにもうすっかり「ロック」しちゃってる。まあプロデュース(Mickie Mostだったらしい)とかエンジニアリング、編曲の勝利というか、「なんでこの曲一曲で終わっちゃったんだろう?」ともったいなく思う。しかしさすがにこの曲のパワーは多くのミュージシャンを惹き付け、Jefferson Airplaneをはじめ、Eric Burdonその他、実に多くのミュージシャンがこの曲をカヴァーしている。時代を先駆けた一曲だった、といってもいいのだろう。

 ということでこの映画の話になるけれども、アースキン・コールドウェルの原作小説がまずは売れに売れ(これは日本でも今も文庫本が出ている)、これを原作としたジャック・カークランドによる戯曲の舞台は大ヒット、ロングランだったという。その戯曲をもとにしてジョン・フォードが映画化したのだということ。
 ところがこの映画、まったく日本で公開されず、ようやく公開されたのは1988年なのだという。どうもこれは当時のGHQが、「この映画はアメリカの貧困白人層(プア・ホワイト)を描いているから、日本人には見せないね~」とやったらしい。さて、そんな悲惨な貧困層を描いた映画なのか?

 なるほど、もうほとんど廃墟になった建物の前にかつては栄華を極めたらしい一族の末梢らがゴロゴロしている。悲惨そうだ。
 ところがそこにとんでもないポンコツ車が乗り込んできて、「これから焚き木を売りに行くぞー!」みたいにやっている。突然にナンセンス・コメディーモードというか、その後の展開も常識外れもはなはだしい。「リアリズム」などというものはどこにも見つからないではないのか。

 わたしはこの冒頭の展開を観ていて、わたしがガキの頃にテレビでやっていた『じゃじゃ馬億万長者』というアメリカのコメディ番組を思い出してしまった。『じゃじゃ馬億万長者』というのは、テキサスかどこかの知性も教養もない一族がとつぜんに油田を掘り当ててしまい、大金持ちになってしまうのだが、しょせんバカはバカという騒動を毎週巻き起こすという番組だったのだが、この『タバコ・ロード』、知性も教養もないが大金持ちにもなれない一族の、あまりにバカなお話なのだ。まあ800ドルで高級新車を買ってすぐにボロボロにしてしまうとか、一族でホテルに泊まってやるぜ!みたいなところもあるのだけれども。

 そういうので、あとは『モンティパイソン』みたいなあんまりなナンセンス喜劇も思い浮かべるわけで、これはたいへんな映画だ。
 ただ、主人公老夫婦が「もう金もないから<救貧農場>へ入所するしかない」と、二人で丘を越えて歩いていくシーンは美しく、一篇の映画作品としてみごとな「オチ」というのか、「ただバカ騒ぎの映画じゃないんだぞ」というのがさすがにジョン・フォード、なのだろう。これ、けっこう繰り返して観たくなる魅力があるのでした。
 

2019-12-02(Mon)

 午後から雨になるかもという天気予報だったが、午前中から雨になった。仕事を終えて帰るとき、スマホをみると「わたしのウチのあたりはかなり激しい雨だよ」と出ている。ニュースではなく、スマホにわたしのウチの場所が登録されているので、変異があると知らせてくれるのだ。ウチ周辺の雨雲レーダー図も見れるのだけれども、「激しい雨」の地域はウチよりもちょっと東側のようだ。
 まあこういう情報を得られるというのもそれはありがたいことで、スマホにして一ヶ月になるけれども、ようやくいろいろと慣れてもきたし、「これは便利だ」と思うことも多くなった(まだ、「面倒な」と思うこともあるのだが)。

 それで自宅駅に戻るとたしかにかなりの雨で、傘も小さいので服もずいぶん濡れてしまった。帰宅すると、ニェネントはわたしのベッドの毛布の上で丸くなっている。

     f:id:crosstalk:20191130111250j:plain:w500

 テレビを見ていると、「千葉県北西部で竜巻発生の恐れあり」などとのテロップも出る。千葉県北西部とはウチのあたりだろう。買い物の用もないから外に出かけたりなどしないけれども、冷たい雨は嫌だ。

 今日はテレビで国会中継をやっていて、珍しくも安倍晋三が出席して野党からの「桜を見る会」への疑問に答えるのだった。「反社会的人物が招待されていたのでは?」という件では、「今後反省して招待枠を考え直す」みたいな答弁で、つまり「もう招待しないからいいだろ!」みたいな開き直りだろうし、招待者リストについては「内閣府では<シンクライアント>というサーバーを使っているので、消去するとすべて消えてしまうのだ!」と煙に巻こうとする。
 夜のネットでは自民党は「これで逃げ切れた」と安堵したらしいが、こういう答弁で逃げるとわかっていたから、NHKはこのところあまりやらない「国会中継」を放送したのではないかと思う。

 夕方からは、ジョン・フォード監督の『タバコ・ロード』を観た。