ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『抜き射ち二挺拳銃』(1952) ドン・シーゲル:監督

抜き射ち二挺拳銃 [DVD]

抜き射ち二挺拳銃 [DVD]

 あのドン・シーゲルの監督作品で、彼が初めて撮った「西部劇」だという。それまでのドン・シーゲルはB級暗黒街モノでキャリアを積んでいたらしく、この作品でも冒頭から主人公のナレーションで説明していくところとか、まさにB級映画の方法を引きずっているようでもある。

 「主人公のナレーション」と書いたが、この作品で「主役」とされているのはオーディ・マーフィという俳優で、彼は語り手である保安官(こちらを演じているのはスティーブン・マクナリーという俳優)に見込まれて副保安官になるのである。
 このオーディ・マーフィという人、俳優としても著名だけれども、それ以上に第二次世界大戦での「英雄」兵士として有名だったらしい。名誉勲章をいくつも叙勲され、1971年に飛行機事故で亡くなったときにはアメリカ軍による軍葬が行われている。たしかに、Wikipediaでこの人を調べてみると、「こりゃあすっごいわ!」という軍歴の持ち主だった。ただやはり退役兵士によくあるように、PTSDには悩まされたらしくもあり、ギャンブル癖も強かったらしい。

 そのことは置いておいて、映画の話に戻れば、この作品にはどこか昨日観た『荒野の決闘』との相似形がみてとれる。まずはクライマックスが保安官側と悪党一味との「決闘」にあるところ(この作品の原題は「The Duel at Silver Creek」という)。
 この作品の保安官側は、保安官と彼が雇った副保安官が中心で、これは『荒野の決闘』でのワイアット・アープとドク・ホリディの二人に対応する。さらに保安官と副保安官には二人の女性がからんできて、一種「四角関係」となる展開も似ている。
 ワイアット・アープがトゥームストーンの町の保安官を引き受けるのは、彼の弟が牛泥棒に殺されたことからなのだが、この映画でオーディ・マーフィ演じる「シルバー・キッド」は、父親が鉱山の採鉱権を奪う盗賊に殺されたことからきている。

 ただ、もちろん作劇、演出では『荒野の決闘』とはまるで異なる作品で、この作品では執拗な「ドリー撮影(横移動撮影)」が印象に残る。そして馬、馬、馬である。特に前半で、あくまでも鬣(たてがみ)をなびかせて疾走する馬があまりにカッコいい。それをどこまでも追うカメラ。あらゆるシーンで登場人物は「馬上の人」であり、ここでは「俳優」とは「馬を乗りこなせる人」の謂いではないのかと思えるほどだ。

 この作品でちょっと面白いのは、保安官は「早抜き、早撃ち」で名を馳せているわけだけれども、それが前半で敵に肩を射抜かれ、その障害で拳銃の引き金を引けなくなっていること、そのことを彼が隠していることがひとつのポイント。クライマックスの「決闘」シーンでは左手で銃を撃つのだが。
 そして邦題の『抜き射ち二挺拳銃』というのは、その保安官ではなくシルバー・キッドの方で、町でのちょっとした決闘シーンで、一瞬ながら両手で銃を撃つ「二挺拳銃」のシーンをみせるのであった。しかしこのシーン、場面的には映画の中で「彼の二挺拳銃、すごいだろ!」というような見せ方でもなくって、見逃してしまうほどにずいぶんとあっさりしたものではあった。

 他愛ないといえば他愛ない映画かもしれないけれども、それはそれで「映画的魅力」をいっぱい魅せてくれる作品ではあったと思う。
 

『變身・流刑地にて・支那の長城・観察(他三十八篇)』フランツ・カフカ:著(旧版「カフカ全集 3」より)

 ‥‥この一冊を読むのに、二ヶ月以上もかかってしまった。前の第1巻『城』も第2巻『審判・アメリカ』も一ヶ月ぐらいで読んでいるから異様である。とにかくは読むのに難儀した。ある意味、読むのがこんなにつらかった本もなかった。
 もちろん有名な『変身』や『流刑地にて』とかは以前にも読んでいることもあってちゃっちゃっと読めたのだが、それ以外の作品、どんなに短い作品でも、とにかくは読んでいて先に進まないことはなはだしい。「いったいカフカは何のことを書こうとしているのか」が行方不明になるというか、いつの間にかただ字面だけを追っている。まあこの全集を読み終えたらドゥルーズガタリの『カフカ マイナー文学のために』を読むつもりでいるけれども、そこでいくらかでも「カフカの謎」が解けることを期待する。
 

2019-12-01(Sun)

 十二月になった。寒さも厳しくなってすっかり冬になった。今日は外は晴天でいくぶん寒さも和らいだようだけれども、わたしは今日は一歩も外に足を踏み出さなかったし、また夕方には眠り込んでしまうのだった。
 十一月は舞台公演はひとつも観に行かなかったし、今のところ十二月にもそういう舞台観劇の予定はない。観たい公演がないということもあるけれども、そういう「舞台を観たい」という気もちが、どこかぷっつりと途絶えてしまったような気もする。それならそれで、家にこもって何かやろうではないかと思う。

 書き忘れていたが、『カフカ全集』の第3巻を読み終えた。ようやくである。次は第4巻を読むつもりだったが、先に一昨日に買った『普通の人々』を読み、そのあとにふたたび『カフカ全集』に戻ろうかと思う。カフカは年内にすべて読み終えるつもりもあったけれども、これはどうやら不可能になったようだ。「可」か「不可」かといえば「不可」だろうということだ。

 今日のDVDは、ジョン・フォードを離れて「西部劇」のシリーズから、ドン・シーゲル監督の『抜き射ち二挺拳銃』という作品を観た。
 

2019年11月のおさらい

講演:
●『世界文学としての中島敦池澤夏樹:講師 @横浜・県立神奈川近代文学館

展覧会:
●『不思議の国のアリス展』@横浜・そごう美術館
●人形作家・清水真理『Wonderland』@横浜・横浜人形の家 2階多目的室
●『中島敦展 魅せられた旅人の短い生涯』@横浜・県立神奈川近代文学館
●『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』@中村橋・練馬区立美術館

映画:
●『アイリッシュマン』マーティン・スコセッシ:監督

Book:
●『クマのプーさん 原作と原画の世界』アンマリー・ビルグロウ エマ・ロウズ:著 富原まき江:訳
●『南洋通信 増補新版』中島敦:著
●『完訳 グリム童話集 1』グリム兄弟:著 池田香代子:訳

ホームシアター
●『サイレンサー第4弾/破壊部隊』(1968) フィル・カールソン:監督
●『駅馬車』(1939) ジョン・フォード:監督
●『荒野の決闘』(1946) ジョン・フォード:監督
 

『荒野の決闘』(1946) ジョン・フォード:監督

 これはけっこう記憶していた映画だ。ヘンリー・フォンダ扮するワイアット・アープが保安官事務所の外で椅子に座り、前の柱に足を交互にかけるところとか、教会の集まりでワイアット・アープとクレメンタインが踊るシーン(ヘンリー・フォンダの足の上がり方がキリッとしていてカッコよかった)。そう、酒場の女、「チワワ」という変な名まえの女性が出てくるのはこの映画だったのか。演じているのはリンダ・ダーネルという女優さんで、この方は若くして自宅の火事で亡くなられたらしい。

 自分の弟を殺した犯人を捕らえるために保安官になったワイアット・アープが、ドク・ホリディ(ビクター・マチュア)の助けを得て犯人のクラントン一家との対決を制し、町を去って行くわけだけれども、そんな中に町での人々の暮らしぶりも描かれ、ワイアット・アープとドク・ホリディの愛憎関係というか、そこにチワワと、ドクを追って町にやって来るクレメンタインとの四角関係みたいなものも描かれる。チワワもクレメンタインもドクを追っかけてるわけだけれども、ドクは結核だから自暴自棄というか、ただ死に場所を探しているだけかもしれない。ワイアットはクレメンタインに「一目惚れ」なわけだけれども、ウブで自分の気持ちをしっかりと伝えられない。これがラストの「クレメンタイン、いい名まえです」という名セリフになる。

 しかし、どのシーンもどのシーンも、空の雲がすっごい映画だなと思う。ジョン・フォードは、「絵になる雲」を待って撮影したのだろう。
 単純に「撃ち合い」のアクション映画ではなく、シェイクスピア役者が出て来たりして、ドク・ホリディが実はシェイクスピアを暗唱できるインテリだということもサラリと描いてみせる。
 さいごの決闘シーンも、それはさすがにジョン・フォードで、遠くから駅馬車が疾走して来て、その駅馬車が対立する二組のあいだを駆け抜けてすっごい砂ぼこりがあがり、その砂ぼこりがおさまったときに銃撃戦が始まるのだ。
 この「砂ぼこり」が強烈で、あなた、当時はCGであとで操作したり出来ませんからね。こういうところに映画人の苦労というか手腕を感じますね。

 映像としてやはり、ところどころ「ドイツ表現主義映画」の影響を感じるショットもあり、特にさいしょの方で夜の町の酒場で酔っ払いが暴れるのをワイアット・アープがおさめるというシーン、酒場の中からの明かりで、その入り口に酔っ払いが逆光の黒いシルエットで立っているシーンなど、ジョン・フォードの美意識を感じる。
 けっきょく、どこのどんなシーンひとつにしても、今の映画監督にはまったくマネも出来ないような映画ではないのかと思う。
 

2019-11-30(Sat)

 寝た。昨夜は『普通の人々』を読みながらそのまま7時ごろから寝てしまい、今朝起きたのは5時。5時に目覚めるというのも相当なものだけれども、それでも10時間寝ている。寝すぎではないか。

 昨日は注文していたCD、After Dinnerの『THE SOUVENIR CASSETTE and FURTHER LIVE ADVENTURES』が到着した。

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 1980年代、わたしがいちばん入れ込んだバンドは「After Dinner」だった。このことを書き始めるとどんどんと長くなるのでやめておくが、この頃からわたしは「日本のミュージシャン、アーティストも世界的に引けを取るようなものではない」という考えを抱くようになり、そのことがわたしのイヴェント開催への後押しになったものだと思う。そういう意味でもわたしの中では重要なバンドではあった「After Dinner」、このCDは当時リリースされたカセットの『THE SOUVENIR CASSETTE』の30年を経ての再発売+ボーナス・トラックというCD。うれしいCDではあった。
 オリジナル音からリマスターされたという音は、リヴィングにセットしたオーディオ・セットでは「むむ、カセットの音も良かったな」という印象もあったけれども、これを和室のラジカセにセットして聴いたところ、やたらに音がクリアでインパクトも強かった。音を聴く条件次第で、ここまでも印象が違うのか、という受け止め方ではあった。

 午後からジョン・フォードの『荒野の決闘』を観て、そのあと昨日買った『普通の人々』をベッドに横になって読んでいたら、案の定そのまま寝てしまった。目覚めたらもう5時を過ぎていたが、「ここはちょっとがんばってみよう」と米を炊き、ほんとうに久しぶりに「カレー」をつくった。自分で言うのもアレだけれども、細心の注意を払って調理して、美味なカレーが出来たと思う。これでしばらくは我が家の食事は「カレーライス」がつづくことになるだろう。
 

2019-11-29(Fri)

 金曜日になった。月曜日からこの日まで、ただ金曜日になることを待ち焦がれて労働している気がする。朝から「あと数時間拘束されたらわたしは自由だ」と思ってウキウキしている。しかも今日は久々に晴天。雲ひとつない青空だ。それでも気温は低く、もはや「冬」本番になった気分だ。

 仕事が終わり、「さあ今日はどうしよう?」という感覚。帰りに乗換駅で下車して、そばの本屋で前から買いたかった『普通の人々』という本を買った。副題が「ホロコーストと第101警察予備隊」。いかに当時の<普通の人々>がホロコーストに加担してしまったのか、という書物だと思う。

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 今の日本でも、自分のことを「普通の日本人」とする人物がとんでもないレイシストであったりする。この本はそのあたりとは別の問題だろうとは思うが、やはり「レイシズム」、そして「保守・反動政権」に寄り添う人たちのことを、多少は知ることが出来るだろうか。

 この本屋では、キャッシュレスだと5パーセント値引きだというのでSuicaを使おうとしたのだけれども、よくわからないけれどもそんなに簡単に使えるわけでもないらしく、けっきょく現金で支払った。

 それから「衣料」。もうすっかり冬になってしまった。今は昔から着ているセーターを着ているが、ひょっとしたら10年以上着つづけているこのセーター、いいかげんボロボロになっている。「もう新しいのに買い替えよう」と、となり駅で下車し、「オーソドックスなデザインの衣服ならこの店よ」というUNIQLOに立ち寄り、今着ているセーターと同じようなセーターを買った。
 もう一軒、「ここは衣料品は安いよ!」という店にも行き、室内でうろちょろ出来るズボン(というのかな?)を買った。

 そのまま帰宅して、けっきょくこの金曜日は「お買い物」の金曜日で終わってしまった。さっそく買って帰った衣服に着替えたが快適で、まあ冬はこれからが本番だし、「もう少し<冬の衣料>を買っておきたいな」とは思うのだった。