今朝もニェネントくんは、わたしが寝てしまってからわたしの胸の上にあがって来ていた。それで目が覚めたが、あまり長くはわたしの上にとどまらず、けっこう早くに跳び下りて行ってしまうのだった。
それでなんだかこの頃、ニェネントくんはまた少し太ったんじゃないか、という気がする。見た目がしばらく前よりも丸々としているように思える。ニェネントくんはウチの体重計の上ではじっとしていないので体重が計れないのだけれども、どうなんだろうか?
食事の量はもう長いこと変えていないし、逆におやつとかをあげるのは以前よりも減っているようにも思うのだけれども、つい最近までわたしの朝食のバターロールパンを分けてあげていたことが、こうやってしっかりと結果にあらわれているのだろうか? もう今はパンはあげていないけれども。
いや、ニェネントくんもロシアの女性とかによくあるように(これは「偏見」?)、歳をとると肥満するタイプの女性(おばさん)なのではないかとも思うぞ。そうなのか? お・ば・さ・ん!
今も毎朝、テレビ小説の「ブギウギ」を見ているのだけれども、この朝はついに「東京ブギウギ」のお披露目のワンマンショーのステージで、フルコーラスで「東京ブギウギ」を楽しませてもらった。菊地凛子も良かったし、この日がひとつのクライマックスで、「もうこの日で最終回でもいいよ」というところだった。
昨日、クマが「指定管理鳥獣」に指定されたということを書いたのだけれども、この日、秋田市の倉庫に三日前から居座っていたクマ(ツキノワグマの幼獣みたいだ)が、ついに捕獲されたという。報道するニュースでは、この後このクマは「駆除」されるだろうと語っていた。
このことでわたしの考えを書くと「批判の的」にされるかもしれないけれども、わたしはこのクマは駆除されるべきではないと考える。それは「生命の尊厳」というよりも、こうやって四日間も倉庫に追い詰められ、恐怖におびえていたのではないかという動物が(もちろん、「恐怖におびえていた」というのはわたしの思い込みではあるかもしれないが)、けっきょくは捕えられ、その「恐怖」の結末として生命を奪われてしまうというのは、あまりに残酷なことに思えてしまう。
このことはわたしの想像力ゆえの「哀れみ」の感情なのかもしれないが、そのクマが殺されることがやむを得ないとしても、これはそのようなときに配慮すべき「安楽死」という概念の、まさに正反対のやり方ではないだろうかと思うのだ。人にせよ動物にせよ、長い恐怖にさらされた末に抹殺されてしまうというのは、あまりに残酷なことだと思う。クマにだって感情はあり、もの思うことは出来るのではないだろうか。このクマくん、どこかの動物園とかが引き取ってくれたり出来ないものだろうか。
この日はAmazon独占配信の作品、『Saltburn』をストーリ展開を知らないままに観て、途中「そういう話なのか」と多少興味は持ったけれども、何もかも説明してしまわないと気が済まないようなラストの展開に、がっかりしたのだった。今日は以上。