ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-01-29(Mon)

 今日は月曜日なので「ふるさと公園」への散歩。天気は良くて空は青空が拡がり、陽射しも暖かだった。
 「ふるさと公園」には今日もユリカモメが群れていて、飛び回る姿も見られた。ほんとうに今年はユリカモメの滞在期間が長い。

     

 この日もコサギの姿が見られ、コサギオオバンとユリカモメがいっしょにいる風景も見られた。今日のコブハクチョウは一羽しか来ていなかった。

     

     

 「ふるさと公園」からの帰りに、いつものように駅前のスーパーへ立ち寄ったが、見たことのない商品「ネクストシーフード うに風味」というのが売られていたのだが、本来500円を超えるというのが100円だというので、「ま、失敗の買い物でもいいや」と買ってみることにした。レジのおねえさんに「これ、どうやって食べたらいいんでしょうね」と聞いてみたらおねえさんも「わからない」ということだったが、「パスタにのせたりしたらいいかも」と言われ、「そうだな」と思ったし、ごはんの上にのっけて「うに丼」でもいけそうだ。

 帰宅して調べたら、こいつはまったく「うに」ではなく、「魚のすり身を調合してうにの味を再現したもの」ということだったが、ネット上では価格が800円ぐらいしていたのでびっくりした。
 「どうだろう」と、夕食に四分の一ぐらい使ってパスタにのせて「試食」してみたが、これが信じられないぐらいにマズかった。何なんだこれは。プニプニとしていてとても「うに」とは思えないし、生ゴミのような味だった(生ゴミを食べたことはないが)。「たらこふりかけ」があったのでふりかけ、何とか食べ終えたけれども、「たらこふりかけ」がなかったらとても食べられなかっただろう。
 「どうなのよ」とネットでよく読んでみると、袋から出したすぐの状態で食べるのではなく、いちどぐっちゃぐちゃにしてから食べるべき、ということだった。そんなことをして、はたして食べられるようになるのだろうか? とにかくはまだ四分の三残っているので、トライしてみよう(まあ100円だったしね、最悪まさに「生ゴミ」として処分しよう)。

 今日はカウリスマキ監督の『過去のない男』を観たのだけれども、この作品、暴漢に頭を殴られて過去の記憶を失い、自分の名前すらわからなくなってしまった男の物語だった。
 それでその男、自分の名前がわからないまま職業安定所へ行くのだが、「名前がわからない」というと門前払いされてしまう。ようやっと親切な経営者に出会って雇われることになるのだけれども、銀行に自分の口座をつくれないので「給料は現金払いにしてくれ」というのだった。
 それでいやおうなく思い出すのが、先日自分は「連続企業爆破事件」で指名手配されている人間だと名乗り出た男のことだった。実はその男、今朝早くに亡くなってしまったというニュースが報じられていたのだが。
 その男は数十年にわたって「偽名」で生活していて、ある工務店で働いていたらしいのだが、やはり給料は口座振り込みではなく現金払いで、車の免許もなく健康保険にも加入していないので、病院も「全額負担」していたという。まさに『過去のない男』というか『過去を捨てた男』として長年生きていたわけだ。
 彼を知る人は彼は「60年代、70年代のロックが好き」で、近郊のバーによく通い、顔見知りも多かったようだという。

 ネット上では「世間から身を隠して生き、病気に苦しんでボロ負けだろう」という声も、「当時の大卒なんだから、事件に関わらなければちゃんとした企業に就職できただろうに、敗北の人生だな」などという意見が目立った。
 しかしこの男、別に「世間から身を隠して」コソコソと隠れるように生きていたわけではなく、皆と酒を飲んだりして親しまれ、コンサートに行くこともあったらしい。
 病気のことはたしかに保険に入っていないことで治療できなかったということもあるだろうけれども、世の中には「人生を狂わせる」難病というものはある。わたしにしたって「側頭葉てんかん」がなければ今はもっと違う生活が送れていたはず(まあわたしも「ボロ負け」とは言えるのだろうが)。

 もうひとつ書いておきたいのは、その男が「60~70年代ロック」を聴いていて、反体制運動に関わっていたのだったら、「ドロップアウト」ということを当然知っていただろう、ということ。
 この言葉は今では「脱落者」ということで否定的に使われているのだけれども、60年代後期のアメリカのヒッピーらには積極的、肯定的な意味を持ってこの言葉が使われていた。つまり、体制側の敷いたエリートコースへの反撥、管理社会への異議申し立てとして、自らの意思で「脱落~ドロップアウト」の道を選ぶことで、そのような生き方から「自己実現」する人々もいるわけだった。
 それでその「連続企業爆破事件」の男のことだけれども、事件に関与したあとに追われ、「これはまさに<ドロップアウト>のチャンス」と考えることが出来たのではないかと思う。
 そもそも「大企業」というのは彼が攻撃し、否定した当の存在ではあったわけで、それを否定していた彼が「地方の個人経営の会社」を選んだというのは、もちろん身を隠す「逃走」という意味合いもあっただろうけれども、「これこそ<ドロップアウト>」として肯定的に考えることが出来たのではないだろうか。

 あんまりこういうことを書きつづけると「犯罪者擁護」と非難されてしまうだろうけれども、わたしもわたしなりに「ドロップアウト」を実践した人間ではあり、そのことで後ろ指をさされたり、「負け犬」と呼ばれることは厭わない。