ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『四谷怪談 お岩の亡霊』(1969) 森一生:監督

 四谷怪談の映画化というのは、戦前戦後を通して30本ぐらいは撮られているようだけれども、正統な「四谷怪談」が鶴屋南北作のものとして、その鶴屋南北の原作通りに映画化したものはずいぶんと少ないみたいだ。わたしが前回観た1959年の『四谷怪談』(三隈研次:監督)にしても、「伊右衛門、そんなに悪人じゃないじゃん!」というようなモノだったし、その他の作品もたいていはストーリーの改変はなされていたようだ。中には『艶説四谷怪談』だとか『新怪談色欲外道 お岩の怨霊四谷怪談』だとか、「そりゃ違うだろ!」とタイトルだけで明白なヤツもあるが。
 そんな中で、この『四谷怪談 お岩の亡霊』はオープニングタイトルにも「原作:鶴屋南北」と提示されてもいたし、かなり原作に忠実に撮られている1本ではあるようだ(それでもまだ改変はあるみたいだが)。
 監督は先日観た『怪談蚊喰鳥』も監督した森一生。彼が撮った「怪談」と銘打った作品は、この2本だけみたいだ。

 出演は伊右衛門佐藤慶で、そりゃあ見るからに悪そうな侍ではある。お岩は稲野和子という人が演じているが、この方はずっと劇団民芸に属しておられた方で、この翌年には『エロス+虐殺』に出演して「平塚らいてう」を演じたりされている。あと、直助には小林昭二。テレビの「ウルトラマン」とかに出演されていた方。映画では『無常』や『曼荼羅』の実相寺昭雄監督(そもそもこの方は「ウルトラマン」の演出をされていたのだ)の作品に出演。つまり時代からか、皆さんATG映画に関わられていたのだ(佐藤慶大島渚作品の常連)。
 あとは毎回出演している浜村純。他にわたしの知っている方が出演していたわけでもないが、宅悦を演じられていたのは、先日観た『怪談鬼火の沼』にも出演されていた沢村宗之助という人だった。

 映画は伊右衛門とお岩との祝宴の儀から始まり、その二人が床入りというときに天井から蛇が降ってきて、伊右衛門がこれを叩き切る。この不穏さが伊右衛門らの未来を暗示するのか。
 ここでオープニング・クレジットが始まるけれども、そのバックには黒く波打つ黒髪が写され、不気味ながらも美しさも感じられる。黒髪はのちの「髪すき」の場面への連想を誘うけれども、そこに日本的な「恐怖」の源流があるようにも思える(『リング』の貞子も、あの長い黒髪が恐怖を呼ぶ)。
 このあと、伊右衛門らの仕えた相良藩の廃藩が語られ、多くの家臣たちは仕官のつてを求めて江戸へと向かうさまが描かれる。そこには伊右衛門とお岩、そして与茂七や直助の姿があった。そこから粗末な家で傘貼りをする伊右衛門の姿になり、「四谷怪談」の話になる。この映画ではお岩には産まれたばかりの乳飲み子がある。
 長谷川一夫版の「四谷怪談」では、やくざものに絡まれた伊勢屋のお梅らを偶然に助けるのだが、こちらでは伊右衛門がそんなやくざに金をにぎらせて仕組んだ芝居ということで、こちらが原作通りらしい。
 悪党の伊右衛門は伊勢屋と近づきになるため、お梅といっしょになるために「お岩が按摩の宅悦と通じた」として離縁しようと計画し、宅悦を計画に乗らせるが、伊勢屋の方はもっとワルで、「お岩のため」にと、顔の崩れる毒薬をおくるのである。ひでえヤツだ。
 前の作品ではただ理由もなく殺された小平だが、ここでは「病身の親のため」にその薬を少し分けてくれと伊右衛門に頼み、ついにはその薬を盗み出して伊右衛門に殺されるのだった。
 伊右衛門はお岩に薬を飲ませ、そのあとに宅悦がやってきてシナリオ通りにお岩に迫る。お岩は抵抗して小刀を振り回し、その小刀は柱に突き立てられる。お岩の顔は薬のために醜く崩れ、それを見て恐怖に駆られた宅悦は、伊右衛門の計画を話してしまう。伊右衛門を恨んで錯乱したお岩は小刀の刺してあったところに倒れ込み、のどを切って死んでしまう。これは前の「四谷怪談」でもお岩は同じような死に方だったけれども、誰かが彼女を手にかけたというわけではないのだな。
 それで伊右衛門は宅悦に手伝わせて戸板にお岩と小平の死体を打ち付け、川に流すのだ。
 ついに伊右衛門は伊勢屋に祝福されてお梅と祝言をあげるのだが、床入りのときにお梅はお岩の姿となり、伊右衛門に恨みを述べる。錯乱した伊右衛門はお梅を切り、さらに伊勢屋も切り殺して蛇山の庵室へ逃げ込むのだ。
 ここに書くのを忘れていた与茂七とお袖、そして直助の話が絡んできて、お袖を自分のものにしようとしていた直助を与茂七が切り、そこに来た宅悦に伊右衛門の話を聞き、蛇山へと向かうのだった(原作では、このお袖も死ぬことになっているらしいが)。

 観終わってみて、とにかく伊右衛門は極悪非道の人非人なのだが、それでも例の薬の前に、指を傷つけたお岩のために塗り薬を買って帰るという話があり、つまり「ただ立身出世のため」ではないところではまだ、人の心を持ち合わせていたということかもしれない。
 しかし、「出世と金のために手立てを選ばぬ我欲が男の悪なら、死霊となって俺に取り憑くお岩の妄執は女の業だ。悪と業の戦いなら、己の力一つで生き抜いてみせるわ!」と言い切る伊右衛門は「現代的」というか、「運命も自分の力で組み伏せてやる」というのはまさにダークヒーローというか、60年代後期以降の「新しいホラー」のきざしなのではないかとも思う。じっさい、この作品以降「四谷怪談」が映画化されることはしばらく絶えてなく、次の「四谷怪談」モノは1981年の蜷川幸雄監督の『魔性の夏 四谷怪談より』となり、この作品はどうやら「青春群像ドラマ」という体裁のようだ。そういう意味では、この作品が最後の、かなり正統な「四谷怪談」映画、と言えるのかもしれない。
 ただ、やはり伊右衛門佐藤慶に「怖がってちゃあ生きていけない!」みたいな意志の強さがあって力いっぱい戦う姿をみせるせいか、あんまり「怖い」というのでもない。
 ラストの伊右衛門の言葉も「まだ、死なんぞ!」と、お岩への悔恨はまるでないし、最後はお岩の甲高い笑い声で終わるというのも、お岩の「怨念」というよりも「復讐」に勝った、という感じだ。

 地歌の三味線のような音楽はカッコいいし、もちろん美術セットも申し分ない。「戸板返し」の場での赤い空は地獄のようでもあったし、この作品もワイドスクリーンを活かした撮影は見事だった。