ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『欲望』(1966) ミケランジェロ・アントニオーニ:脚本・監督

 どちらにせよ、近々もういちどじっくり観直してみたいと思っていた作品だけれども、先日この映画にも出演されていたジェーン・バーキンが亡くなられたので、この日この映画を観るのだった(わたしは今まで、この映画でのブルネットの子の方がジェーン・バーキンだと思い込んでいたのだけれど、今回ようやっとブロンドの子の方こそジェーン・バーキンなのだと認識したのだった)。

 さすがにこの作品は若い頃から何度も観ていた作品だから、基本的なストーリー展開はしっかり記憶していたのだけれども、「骨董屋から飛行機のプロペラを買う」「ヤードバーズのライヴのシーンのあと、企画のロンの住まいを訪れるとドラッグパーティーが行われていて、主人公はけっきょくそこに翌朝までとどまってしまう」などという展開は忘れてしまっていた。

 今回は観たあとで英語版Wikipediaを読み、デヴィッド・ヘミングスの演じた写真家の名前がトーマスということ、ヴァネッサ・レッドグレイヴの演じた女性がジェーンだということがわかったし、最初の方でそのトーマスが撮る有名なシーンでの相手のモデルが「ヴェルーシュカ」という有名な「モデル/アーティスト」なのだということもわかった。また、アントニオーニ監督がトーマス役にデヴィッド・ヘミングスを見つけてくるまで、トーマス役はテレンス・スタンプということだったらしいのだ。
 アントニオーニ監督は「ザ・フー」のギター破壊プレイに惹かれてピート・タウンゼントに声をかけたが、ピートはこれを断ったわけだが、アントニオーニ監督はその後ヴェルヴェット・アンダーグラウンドにも出演を依頼していたらしい。ただ、アメリカからイギリスにバンドメンバーら全員を招へいするのは金がかかりすぎると、あきらめたらしい。

 けっきょく、このトーマスという写真家、一方でホームレス労働者らの安宿にいっしょに宿泊して写真を撮り、一方でファッション写真でも名を成しているわけだが、つまり彼がカメラのファインダーを通して見る世界は、ホームレスの老人だろうがモデルの美しい女性だろうが同じ「表層の世界」でしかなかったわけだ。それがあの「公園での盗み撮り」の結果、そんな「表層の世界」の奥に「真実」があるのかも?というきっかけを得るのだが、彼の生きる世界は彼に「真実」を教えるような世界ではなく、彼自身の存在自体がいかに「不安定」なものか、ということをあらわにするしかないだろう。

 前に観た時にも思ったことだが、トーマスがあの「公園」へと足を踏み入れると、中年の女性が公園のゴミを拾っているのに出会うのだが、彼女は長いスティックの先で落ちている紙片を突き刺して集めているのだ。また、彼女の服装も「清掃人」には不似合いな「フォーマル」な服装をしている。

 これは何を意味しているのか。
 この「公園」とは「劇場」であって、ゴミを集める女性は劇場入り口での「案内人」「切符もぎり」役なのだ。そしてその「公園=劇場」でトーマスが盗み見、盗み撮りするジェーンと初老の男とのデートとはまさに、その劇場での「演目」であり、「観客」はトーマスただひとり、だったのだ。いや、あとはこの映画を観ている観客もまた、この「公園=劇場」の大切な観客なのだ。
 はてさて、観客はいったい何を観るのだろう? これはそういう「映画」なのだろうと思う。