ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『収容病棟』(2013) ワン・ビン(王兵):撮影・監督

 ワン・ビン監督は2013年1月から4月のあいだ、雲南省にある精神病院で、この作品の撮影を行ったという。
 この精神病院には、200人以上の患者が収容され、中には入院して20年以上になる者もいる。患者たちは多種多様で、暴力的な患者、非暴力的な患者、法的に精神異常というレッテルを貼られた者、薬物中毒やアルコール中毒の者、さらには、政治的な陳情行為をした者や「一人っ子政策」に違反した者までもが、“異常なふるまい”を理由に収容されている。その様子からは治療のための入院というより、文字通り「収容」という言葉が正しく思えてくる(作品公式サイトより)。

 全篇を通して観て、そこまでにも暴力的な患者がいたようには思えないが(いちおう前編の終わりには騒ぎを起こして後ろ手に手錠をかけられた患者があらわれるが)、ここでは複数の患者が病室を共有しているので、本当に暴力的な患者は別に隔離されているのかもしれない。
 医師や看護師の回診というのはほとんど行われないようでもあり、「何か起きたときどうするんだろう?」とか思うし、こんな杜撰な体制の病院内をよく撮影許可を出したなあとも思うのだけれども、そのこと(撮影を許したということ)もまた、「杜撰さ」のあらわれなのかもしれない。
 回診のとき、一部の患者には注射が施され、それ以外は錠剤が配られるだけのようだ。どうもこういう体制では「この患者は退院してもいい」とかいう判断も出来ないように思え、ただ家族が退院させたいかどうか、というだけにかかっているように思える。

 この映画はそういう、「空間」の映画なのではないかと思うこともあり、それは格子で中庭を囲む回廊のまわりの病棟とそのドア、階段の格子戸の中と外など。カメラは自分が「映画」だからと特権的な動き方などせず、まるで患者たちと同じ制約の下、同じように動き回っている。
 それはまるで撮影スタッフ(2人だけだったというが)が「透明人間」になって、他の患者からは見えなくなってしまったみたいだ。
 ただいちどだけ、病院を出て家に帰る男性のあとについて外に出ることになるが、ここで道を歩く男性の背中を延々と追って歩くカメラに、なぜか心動かされる。

 すべてを観終えると、けっきょくここに登場した男たちは全員、社会から「隔離」された男たちだということであり、それが「精神病」ゆえだとかそういう判断は、観ていても出て来るものでもない(まあ確かに「常識外」の行動をする男もいるが)。ここで彼らを隔離、排除する「社会」というのはつまりは習近平の「中華人民共和国」だということでもあるし、「家族」だということでもあるだろう。つらい話であるが、観ていたわたしはいっしゅん、「この病棟よりは、わたしが今入っているこの病棟の方が少しはマシかな?」な~んて思ってしまった。