ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『LAMB/ラム』(2021) ヴァルディマル・ヨハンソン:脚本・監督

LAMB/ラム [DVD]

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 アイスランドスウェーデン、そしてポーランドとの合作映画だけれども、監督はアイスランドの人で、映画の中で使われる言語もアイスランド語。わたしはアイスランドの映画というのを知らないのだが、けっこうユニークな映画を多く産み出している国らしい。

 そして、これは面白い映画だった。一様な読み取り方しか出来ないというのではなく、観る人ごとに異なった解釈もあるだろうし、繰り返して観ればそのたびに違うことを考えるのではないか。これは例えばデヴィッド・リンチの作品であるとか、黒沢清の『カリスマ』であるとか、そういう作品のことを思い浮かべたりもする。

 「Lamb」=「子羊」というところからも、特にこの作品が「クリスマス」の夜から始まることからも、キリスト教との関係で考えたくもなってしまうし、その「子羊」の頭に花輪を飾ってやる場面など、けっこうダイレクトに「キリスト」のイメージも持ってしまうが、そういうことにこだわるとミスリードになりそうでもある。
 終盤に「ミノタウロス」のようなクリーチャーも登場することも「神話」の世界のようでもあるし、そういうことで言えばそのクリーチャーは「牧羊神」をも想起させられる。わたしなどは(これは極端な意見だろうが)人間が動物をその親から引き離して育てようとする(母羊は妻が殺してしまう)ところに、例えば「動物園」のような人為的施設の問題もあると思うし、それは「自然の摂理」の問題のようでもある。一歩踏み出して、「かわいいから」ということで動物を「ペット」にしてしまう人間への警告と言ってしまってもいい。そして、「子羊」であるのにセーターを着せられているという滑稽さも感じる(まあ、これはその子羊の胸から下は「人間」なのだからしょうがないだろうが)。

 人間といえば、おそらくは牧羊業を営む主人公夫婦と、途中から二人のところへやって来る夫の弟しかほぼ登場しないという作品で、セリフも切り詰められているのだが、主人公夫婦といっしょに暮している牧羊犬、そして猫の存在もまた重要な意味を持つように思える。例えば、ずっと「室内飼い」だった猫は、さいごには屋外に出ていたりする。その意味は?
 そういうところで、「神話的」作品だと思えるようでもあり、「宗教的」とも「寓話的」だとも思え、一面的な解釈を拒んでいるようだ。

 わたしは主人公夫妻が「アダ」と名付けた子羊を、どうして自分たちの部屋でいっしょに寝かせるなど「特別」に扱うのかわからずに見ていたのだが、あるときに妻が「アダ」を抱き上げたときにその「アダ」の全身を初めて目にして、「うわっ!」と声を出してしまった。そういう映画だとは思っていなかったのだ。さらにその「アダ」という名が、成長せずに死んだ夫妻の子の名だとわかることになる。
 夫の弟は「これは間違っている」と、ある日「アダ」を連れ出して撃ち殺そうとするが果たせず、それからは「アダ」の存在を承認する(ただ、別の理由で夫妻の住まいから出て行くが)。

 とてもユニークな、一種「怖さ」も合わせ持った独特の映画だと思ったが、ネットで見ると一般に、この作品の評価はそこまで高くはないみたいだ。それがどうも、「答えがわからない」というところにあるようにわたしには読み取れたのだが、それはそれでいいではないか。
 ここまで書いて、この映画は『2001年宇宙の旅』にも似ているのではないかと思うことになった。もちろん、『2001年宇宙の旅』のように壮大な作品ではないだろうが、「ここに<謎>がある」という感覚は、わたしには刺激的ではあった。ラストのヘンデルもまたキューブリック的というか(『バリー・リンドン』だったか)、グッと来るものがあった。