ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『さすらい』(1976) ロビー・ミューラー:撮影 ヴィム・ヴェンダース:脚本・監督

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  • リュディガー・フォグラー
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 『都会のアリス』と『まわり道』では、リュディガー・フォーグラーが「ヴェンダースの分身」的な立ち位置だったけれども、この『さすらい』に出ているリュディガー・フォーグラーは、ヴェンダースとは距離があるように思える。
 『都会のアリス』では少女アリスとの旅、『まわり道』ではさまざまな4人の人々との旅だったが、この『さすらい』はブルーノ(リュディガー・フォーグラー)とロベルト(ハンス・ツィッシュラー)との二人旅ではある。ブルーノの映画映写機修理を兼ねたキャンピングカーでの「一人旅」に、川に自分の車で突っ込んだロベルトが出会い、いつの間にかロベルトはブルーノのキャンピングカーでいっしょに行動する。

 ブルーノはそういうところで「映画」に関りがあるようだが、ロベルトはどうなのか。あとになってロベルトの父は田舎町での小さな新聞を発行している人間で、ロベルトはそれを手伝って「版組み」が出来るようだが、自分では「子供が言葉を覚えるということを調べている」みたいなことを言う。ちょっとむずかしそうだ。思ったのだが、ブルーノはヴェンダースの「形而下」の部分をあらわし、ロベルトは「形而上」のヴェンダースなのではないのか。つまり、この二人合わせて、そこにヴェンダースがいる。そうすると、この作品がヴェンダースの「ロードムーヴィー3部作」の3本目、ということに合点が行くようにも思う。ここでヴェンダースという人間が「統合」されるのか、それとも「統合」に失敗するのか。
 そしてここに、ブルーノ(ヴェンダース)は「映画の未来」を見ているようでもあり、それは『666号室』の設問にあったように、「映画とは失われつつある言語で、死にかけている芸術なのか?」という視点もあるように思える。

 ところでこの作品の製作(撮影)には、監督と主演の二人のほかに、「撮影」のロビー・ミューラーという人物の存在が「大きな意味」を持っていたのではないだろうか?