ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-07-15(Fri)

 今日も、ずっと一日「雨」になるという予報。実は「梅雨」はまだ終わってなかったという感じだ。
 早朝に家を出るときには雨はギリギリ降っていなかったが、時間ごとの一日の予報をみると、これが電車に乗って勤め先の駅に着くころには、そっちでは雨になっているだろうし、わたしが仕事を終えて帰る頃にはどこもかしこも「雨」だろうという。それででかい傘を持って家を出た。

 その結果だが、勤務先に着いたときも雨は降っていなかったし、仕事終えての帰り時間も雨はなかった。けっきょく、大きな傘を持って出たというのに、その傘はいちどもさすこともなかった。まあちょっとしたタイムラグだろうが、大きな傘が荷物になってしゃくだった。

 この日は、その仕事の帰りに、駅のトイレの出入り口のところで、むき出しの「お札」が落ちているのを拾ってしまった。
 あらラッキー。こんなのは、駅とか交番とかに届け出ても落とし主に戻ることなど考えられないし、わたしがいただくのである。最初に見つけた人の「役得」。こういうことがあってもいい。
 折りたたまれた「お札」は千円札で、2枚重なっていた。2枚重なっていたこともうれしいのだったが、これが万円札とかだったら、どれだけうれしかったことだろうか。

 「じゃ、今日はこの<ボーナス>で、おいしいお弁当とか買って帰りましょうか?」とか思ったが、そもそもが<ケチ>な生活が身についているもので、自宅駅前のスーパーで安い「冷やし中華」を買っただけになった。
 そのスーパーでレジ打ちしてもらっているとき、レジのそばに「普通だったら400円ぐらいするよ!」と書かれた「チョコケーキセット」が百円で売られていて、そのパッケージの上に「すみっコぐらし」と書かれていたのが「わたしのくらし」みたいだったし、パッケージのイラストがかわいらしかったので、よく見ないでいっしょに買ってしまった。

       

 先に書いておけば、コレは帰宅して箱をよくみてみると、「このまま食べられる」チョコスナックではなく、中身の粉を卵とこねて泡立て、電子レンジで「チン」するとか、調理しなければならないのだった。
 ‥‥めんどくせえ~! そういうのわかってればきっと買わなかっただろうな。それでもいちおうネットで調べてみたら、たしかに普通は400円近い価格で売られているようだった。
 まあとにかくは一回つくってみて、「どのくらい手間がかかるか」「味はどんなものか」など検討してみよう。それで「これはいい!」となったら、また買ってみようか(まあ「特売品」だから、すぐに売り切れてしまっているだろうけれども)。

 今日はもうひとつ、「拾い物」。
 駅の階段を下りたところで、歩道にかわいいポーチが落ちていた。「またかよ! 今度は万円札か?」と拾ってジッパーを開けてみると、おそらくは部屋の鍵らしい鍵がひとつ入っていただけだった。
 こういうものを拾うと困る。交番に届けるのがいいのかも知れないが、その場所から最寄りの交番は駅の反対側になる。そういうかたちで交番に届け出るより、むしろ、この「落ちていた場所」にそのままにしておいてあげた方がいいのではないかと考える。
 それで、最初のように歩道に転がしっぱなしで置くのも「残酷」なので、いわゆる「善意のはやにえ」として、そのそばの柵の鉄パイプに引っかけておいた。
 金目のものではないし、持ち主以外にはまるで価値のないモノだから、このまま引っかかったままで、探しに来た持ち主に見つけてもらえるのではないかと思う。そう期待する。

 「安倍元首相狙撃事件」だけれども、今日になって岸田首相は、この秋に正式に安倍元首相の「国葬」を行いたいと表明した。しかし、ネットなどでは「安倍元首相」と「旧:統一教会」との癒着、その不明瞭な関係を糾弾する声は大きくなっている。
 一方で、その逮捕されている「狙撃犯」だけれども、彼の「叔父」という人物が相当な弁護士で、メディアからの取材に「弁舌さわやかに」狙撃犯を擁護し、「旧:統一教会」を糾弾されるのである。
 まさに「家庭崩壊」された狙撃犯の境遇に対して、ネット上では彼への「同情論」があふれている感がある。
 この件はこの「狙撃犯」だけの問題ではなく、今の日本が抱える「誰もが想像できる」社会問題、「自らにも近しい」問題として捉えられている、ということではないかと思う。
 そんな、若い頃には「自殺未遂」もされたという、あまりに不幸なこの「狙撃犯」を、国は救済するどころか、彼の足を引っぱるようなことを為していたわけだ。
 今はメディアも、そんな「旧:統一教会」と「自由民主党」との関係性を問わざるを得ないことになっているようだ。もうしばらくは、「ことのなりゆき」を注視して行きたいと思っています(これは間違いなく、戦後日本を総括するような、21世紀日本の最初の「大事件」になるだろうと思う)。