ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-10-26(Mon)

 特に朝の出勤時の気温が下がってきて、ジャケットを着て出かけるようになった。同じ時間に電車に乗る人たちも、皆さん厚着になってきた。いまだに半袖Tシャツ1枚でがんばっていらっしゃる猛者(もさ)の方もいらっしゃるけれども、中にはもう、オーバーコートを着ていらっしゃる方も見かける。
 それだけでなく、けっこうニット帽を被っていらっしゃる方も目立つようになった。今朝はわたしのとなりに座ったおじさんがニット帽着用で、わたしと二人並んで「ニット帽」ということになった。昨日スーパーに買い物に行ってもニット帽の方がいたし、今年の初めから出かけるときには必ずニット帽を被っているわたしとしては、「むむ、ライヴァルが増えてきたな」という感じである。これからはもうちょっと、デザイン面で差をつけるニット帽で勝負しなければならないかと思ったりする。

 しかし、仕事を終えて帰路に着くときにはけっこうな陽射しで気温も上がり、「ちょっとジャケットを着てると暑いかな?」という感じはある。それでも空にはすっかり「秋」だね、という雲がなびいているけれども。

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 昨日の夕食で、残っていたキャベツをぜんぶ使ってしまった。やはり、一人暮らしで大きなキャベツの玉とかを残さずに食べてしまうとさすがに達成感がある。「ではまた、次のキャベツにトライしよう」と、帰りに駅前の小さなスーパーに立ち寄った。カートにキャベツを入れて店内を見ていると、「おでんセット」が賞味期限で半額になっていた。ちょうどそろそろ「おでん」とか食べたいとも思っていたし、具に使えるダイコンやジャガイモもウチに豊富にある。今夜は「おでん」にしよう。ちょっと「ウィンナ巻き」とかプラスして買って、やはり半額になっていた「厚揚げ」とかも「おでん」に合うのではないかといっしょに買って帰った。
 というわけで今夜は「おでん」。ダイコンがまだちょっとばかり堅かったけれども、「厚揚げ」は「おでん」にかなり味覚的に合う感じで、成功だった。大量につくったので、明日の昼も夜も「おでん」になるだろう(明日にはダイコンもすっかりなじむことだろう)。

 夜はほんとうはもうちょっと「読書」に時間を割きたいのだけれども、ニェネントくんがやって来てじゃまされる。この2~3日、ほとんど夜の読書は進まないのだった。

 ここに書き忘れていたが、トランペット奏者の近藤等則さんがこの17日に亡くなられた。わたしは近年の近藤さんの活動、その「音」について知ることはないのだけれども、1980年代には彼の音楽をたっぷり吸収した。
 いったいどのようにして近藤さんの音楽を聴くようになったのか、まるで記憶していないのだけれども、つまり彼の音楽はわたしにとっての「フリー・ミュージック」への入り口だった。
 断っておくが、「フリー・ミュージック」は「フリー・ジャズ」ではない。ある意味、リズムからもメロディーからも自由な音楽で、わたしにとって「フリー・ミュージック」は大きな地平を拡げてくれる「音」だった。それは当時のパンク~ニューウェイヴ音楽とわたしの中で連動しながら、「既成概念に囚われるな!」という至上命令でもあった。今思い出せば、このような「フリー・ミュージック」の洗礼を受けなければ、わたしのイヴェント「crosstalk」のディレクションなどはできなかっただろうと思う。今でもなお、わたしの背骨の中には「フリー・ミュージック」の神経がしっかりと走っている。
 わたしがどのようにして近藤等則さんと知り合ったのか、今では記憶にないのだけれども、当時のわたしの住まいが近藤さんの住まいとそんなに離れてもいず、ライヴのはねたあとの帰りとか、電車の中とか駅から近藤さんの家までの道とか、何度か近藤さんと会話を交わし、近藤さんの音楽の話などを伺うことができたのだった。
 これはわたしが当時愛した近藤さん、そしてPaul Lovens、Paul Lyttonとの演奏。やはり今聴いても刺激的だ。追悼。