ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-09-29(Tue)

 今日も、昨日の「殿様ネコ」に同じ場所で出会った。やはり凛として威厳がある。さすがに「殿様」である。

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 読んでいたナボコフの『プニン』をいちおう読み終えたのだけれども、わたしは「読み方」に失敗をした。普通にストーリーを追うような読み方をしてしまったのだけれども、この作品はそういう種類の作品ではないのだった。
 ナボコフは「書き手」として作品を通じて読者に挑戦していて、読者は「読み手」として「書き手」であるナボコフに立ち向かわなければならない。それはつまり「勝負」なわけで、ナボコフの作品ではロシア語時代の『賜物』からずっと、そういう作品がつづいている。この『プニン』も、ついつい「ナボコフの作品としては易しい」との思い込みで流して読んでしまった。それでラストまで読んで、「アレ? オレって全然読めてなかったじゃないか!」と気づいてしまった。
 これではまるで読んだことにならないので、また明日から「再読」することにした。もっと、登場人物に注意を払って読もう(もう一冊並行して読んでいる同じナボコフの『カメラ・オブスクーラ』はそこまで「挑戦されている」作品でもないだろうから、今のところちゃっちゃっと読んではいるが)。

 今、映画館ではクリストファー・ノーランの新作が公開されていて、ちょっと話題になっているみたいだ。それに合わせてなのか、「GYAO!」ではそんなクリストファー・ノーランの旧作がいくつか無料配信されていて、観た記憶のない『プレステージ』という作品を観てみた。
 言っておくが、わたしはクリストファー・ノーラン監督の作品を(憶えている限りで)好きではない。この人の作劇はただ観客に「どうよ? 解らないでしょ?」みたいな「謎」を投げかけて悦に入っているだけで、そこに「映画表現」ということへの問いかけはないと思う。そこに「謎を解きたい」という観客がごちゃごちゃ言うだけで、わたしなどは「バカバカしい」と思うしかない。
 こういうハリウッド映画の悪しき発展の仕方は、今では例えばドゥニ・ヴィルヌーヴみたいな監督に引き継がれ、貧弱な映画空間の中に「謎」をぶち込めば「問題作」だ、などと評価されてしまうのだ。
 で、「この『プレステージ』はどうよ?」という気分で観てみたのだが、まあ結論を書けば、やはりわたしにはクリストファー・ノーランという監督は「アホらしい」映画をつくる監督だと思うしかない。以下別項に書きます。

 さて、菅政権での新しい官房長官は、安倍政権下で厚生労働大臣をやっていた加藤勝信という人物なのだけれども、彼は昨日の「定例会見」で、先日の有名俳優の自殺など著名人の自殺が相次いでいることにふれて、「自殺のない社会を作っていただけるようにお願いしたい」などと、国民にお願いしてしまっているのであった。
 今の日本の世の中を「生きづらい世の中」にしてしまったのは、まずは7年8ヶ月の安倍政権の罪状のひとつであり、森友問題で自死された元財務省職員の赤木さんの自殺の原因はまさしく「安倍政権」にあったわけで、「自殺のない社会を」というのならばまずは自分の立ち位置を反省すべきだろう。そして、国家として何もやろうとはせずにただ「あんたら、自殺するなよ」などと突っぱねるのは信じられない暴言であろう。いったい何のための「政府」の存在なのだろうか。