ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-10-08(Thu)

 台風チャンホンは、あまりよろしくないコースを取るようだ。紀伊半島のあたりまで北上してきて、そのあと東へ大きく進路を変えて本州の南海岸に沿って進むようで、ひょっとしたらゴジラのように東京湾に侵入し、土曜日の夜とかに千葉方面に上陸する可能性もあるという。昨日添付した「進路予想図」でいえば、最悪の「紫色」のコースなのである。台風は秋雨前線も刺激し、けっきょく今日から日曜日までは雨。土曜から日曜の早朝にかけては大雨になりそうだ(日曜日も台風が抜けたあとは晴れそうだ)。
 暴風雨がきても仕事も休みの土曜日~日曜日になるようで、そんな中を出勤しなくてもすむのは助かるけれども、何とか台風チャンホンにはコースをもっと南にずらせて、このあたりにはあまり影響もないようにしていただきたいものである。

 というわけで今日は出勤する早朝から雨。まだそんなに強い雨ではないから助かる。仕事の帰りに途中下車し、10パーセント割引券をもらったスーパーで買い物をする。マヨネーズやケチャップ、バターや好物のスキッピーのピーナツバターなどを買う。ちょっとショックだったのが白米5キロが1200円台のが売られていて、先週ウチの近くで買ったのよりも断然安い。「ああ、くやしいな」とか思ったけれども、「フン、どうせいちばん安い標準米だろうが」と、「ありゃあすっぱいブドウだったのさ」と思うキツネの心境になるのだった。
 レジをすませてまた一週間有効の10パーセント割引券をもらったので、すぐに商売に乗せられてしまうわたしは「また来週も買い物に来よう」と思ってしまうのだった(でも1割引きは大きい)。

 ニェネントが、キッチンに放置してあった小さな段ボール箱を見つけて引きずり出し、その中にちょこんとはまりこんで、その位置でわたしをウォッチングしている。いったいなぜにネコというものは箱が好きで、しかも自分のからだにピッタリと言うか小さいぐらいの箱が好きなんだろうか。

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 ナボコフの『カメラ・オブスクーラ』を読み終え、「はて、この原作はたしかアンナ・カリーナ主演で邦題『悪魔のような恋人』というタイトルで映画化されていて、日本でも公開されていたはず」と思い出し、調べてみたのだが、これはトニー・リチャードソンが監督をした作品だった。
 トニー・リチャードソンという人は1960年代から活躍した監督さんで、当時の「新しい世代」の小説家の作品をあれこれ映画化していた人で、有名なのはアラン・シリトー原作の『長距離ランナーの孤独』とかかな。イーヴリン・ウォーの作品も撮っていて、どこかシニカルな味わいのある映画を撮る人だった。この『悪魔のような恋人』も、わたしはひょっとしたら映画館で観ているのではないかと思うのだけれども、まったく記憶に残っていない。ただ、当時の評で「アンナ・カリーナが出ていて、彼女に翻弄される主人公がとちゅうで失明してサングラスをかけるようになると、その主人公はもうゴダールにしか見えないのだ」というのがあったのは記憶していた。「原作も読んだことだし、観てみたいな」と調べたら、意外にも日本はおろか海外でもソフト化されていないようだった。
 それでもさらに調べたら、なんとYouTubeに(英語版だけれども)全篇アップされていたのだった。観てみようと思ったのだけれども、さいしょのタイトルが「Laughter In The Dark」で、つまりコレはナボコフが英語版に翻訳したものからの映画化で、つまりそれはわたしが昨日読み終えた『カメラ・オブスクーラ』とはちょびっとストーリーがちがうのである。
 それがわかると、そのYouTubeの映画を観る前にナボコフ翻訳の「Laughter In The Dark」を読みたくなる。それはつまり、日本では『マルゴ』のタイトルで大昔に翻訳されているわけで、これをAmazonで検索してみると意外と安い価格で出ていて、ついついポチってしまった。来週前半には届く予定なので、それを読んでからトニー・リチャードソンの映画を観てみようと思うのだった。

 ちなみに、「Laughter In The Dark」で検索をかけると「宇多田ヒカル」ばっかりが引っかかってきて、「どういうこと?」と思うと、最新の宇多田ヒカルのツアーのタイトルが「Laughter In The Dark」とされていたらしい。
 わたしも知っていることだが、宇多田ヒカルナボコフの「Pale Fire(青白い炎/淡い焔)」にドはまりしてしまい、つまりナボコフの大ファンになってしまったようだ。それでツアータイトルもナボコフの作品から「Laughter In The Dark」ということにされたらしい。それがどういうことになるかというと、つまり宇多田ヒカルさん(もう「さん」付けですよ)のファンがナボコフを読むのよ、ということになっている気配がある。それは「ロリコン」への連想から『ロリータ』を読むという人々よりも、よほど正当に正統にナボコフを読めるだろうと思う。
 ナボコフを読む人が増えることはうれしい。しかし、下世話な興味から『ロリータ』を読む人が『ロリータ』を読み違えているのをじっさいにけっこう知っているだけに、もっと違うアプローチでナボコフを読む人が出てきてくれるのは偉大なことだ。できれば『ディフェンス』とか『プニン』あたりからナボコフを読んでいただければ、ややっこしいことを考えなくっても「面白いなあ」と感じていただける気がすると、今日はナボコフの「宣伝」をするのでした。わたしとしてはそのうちに、パトリシア・ハイスミスの宣伝もいたしたく思っております。