ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-08-30(Sun)

 日曜日は「買い物Day」で、一週間分のバナナや肉まん(仕事の休憩時間に食べる)、その他の品物を買い出しする。まだこの日も暑くなりそうなので、スーパーの開く9時ごろに家を出た。
 バナナは月曜日から金曜日までの朝食代わりの分、5本ついた房を毎週買っているのだが、今日は4本の房しか置かれてなかった。この日もまた、「税抜き合計で千円以上買うとたまごが98円」というあくどい商売がやられていたのだけれども、まあ必要なものを買うと8百円を越えるので、「では無駄にならない保存できるものを買って、千円ギリギリを狙ってやろう」と暗算しながら買い物をした。あとで計算してみると1011円だった。けっきょくスーパーの商法に乗せられているのだが、こういうのはちょっと気分がいい。

 やはり今日も、このところの連日のように積雲が重なって見える。ひょっとしたら午後から天気が崩れるかもしれない。

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 昨日の夕方は、東京とか埼玉からは大きな「かなとこ雲」が目撃され、皆をおどろかせたらしい。このあたりからも見られたのかもしれないが、夕方に外に出ることはまずないので、「かなとこ雲」だろうが「虹」だろうが、わたしが見ることはないだろう。

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 夕方から、テレビの「世界遺産」の番組で「エヴェレスト」のことをやっていたので、興味を持ってWikipediaで「エヴェレスト」のことを調べてみた。
 それで「エヴェレスト」という山の名称は、イギリス東インド会社の測量部長だったジョージ・エヴェレストにちなんでつけられたものだということだった。そのときジョージ・エヴェレスト当人は(元「イギリス東インド会社」測量部長という立場から)、この名前はインドのヒンディー語と何の関係もないし、インドの人々に発音しにくい名だとして反対したという。しかし、この山が「世界最高峰」と認定されたあと、「王立地理学協会」がこの名前を受け入れ、インド政庁も承認したという。一種の西欧による「地理学的侵略」といえるだろうが、そのエヴェレスト氏の考えは立派なものだと思う。
 ちなみに、このエヴェレスト、チベットでは「チョモランマ」、ネパールでは「サガルマータ」と呼ばれている。
 このエヴェレスト山への登頂の歴史というのも興味深いもので、何度もの登頂失敗の歴史のあと、1953年にヒラリー卿とシェルパテンジン・ノルゲイによって初登頂が達成されたということはわたしも記憶していたが、その「登頂失敗」の歴史の中でひときわ、1934年の「イギリスの奇人」モーリス・ウィルソンのケースに興味を惹かれてしまった。彼のさいしょの計画は「とてつもない」もので、自らが乗る飛行機をエヴェレストの山腹に不時着させ、その地点から山頂を目指すというものだったという。この計画は「不許可」となったというがそりゃ~当然で、エヴェレストのあれだけの急斜面の、いったいどこに飛行機が不時着できるというのか。
 そもそも彼は独自の考えを持つ「神秘主義者」というか「宗教家」で、世界にまん延する「病気」は、「断食」と「神への信仰」で克服できると考え、その証明のために「エヴェレスト制覇」を目指したらしい。彼の信仰の背後には、彼が第一次世界大戦で負った重傷によって受けていた肉体的、精神的ダメージが、1932年の35日間の「完全な断食」と「集中的祈り」などの秘密の治療で、すっかり完治したことがあるという。
 なんと彼は飛行機の操縦もできず登山経験もなかったのだが、飛行不許可を無視してカイロからインドへの飛行を成功させ(!)、自信を得て2人のシェルパを雇い、エヴェレストに向かうのだった。無謀ともいえる軽装で、アイスアックスやアイゼンの使用技術も持たないウィルソンは、それでもシェルパの助力によって7000メートルぐらいまで登ったらしいけれども、「引き返すべきだ」というシェルパの懇願を無視し、単独で登山をつづけたという。2人のシェルパは下山して無事だった。
 ウィルソンの遺体は、翌1935年の「偵察遠征」で発見され、彼の日記が回収され、遺体は近くのクレバスに埋葬されたという(下の写真は、彼の飛行機の前のモーリス・ウィルソン)。

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 こういうのは、当時の人々も「ばっかだなあ~、成功するわけないじゃないか」とは思っていたことだろう。この「とんでもない」登山家の死の記事を読んでいて思い浮かべたのは、1912年に「自分の発明した外套型のパラシュート」でエッフェル塔の高さ60メートルのデッキから飛び降りて即死したフランツ・ライヒェルトという人のことだった。まあこの人のケースは「成功するかもしれない」という期待もあったのだろうし、実は彼がエッフェル塔から飛び降りる瞬間(死ぬ瞬間)の映像が残されていて、YouTubeで見ることができる。そもそもが、パラシュートは開かなかったのだ。
 このとき、はたして当人はどんな気もちだったのだろうか。彼は飛び降りる前に相当にためらっているようだが。

 今日は『ナボコフ書簡集1』を少し読み始め、ハイスミスの『黒い天使の目の前で』では『エンマC号の夢』を読んだ。
 『エンマC号の夢』は、6人の男の乗り込んださば漁船「エンマC号」が、陸からかなり離れた海上で漂う若い女性を発見し、船に彼女を救出するという話。彼女はただ疲労しているだけで命に別状はないが、特筆すべきは彼女がとても美しかったということ。彼女を船室のベッドで休ませることにして、特権的な一人の男が船室の「見張り」をするのだが、皆が入れ代わり立ち代わり彼女の姿を見ようとやって来て、しかも声をかけようとする。
 そのうちに何度も船員同士の「殴り合い」が起き、そのせいで頭に大ケガをした男が相手に仕返しし、倒れて頭を打った男は死んでしまう。この件は「事故」ですませようとするが、船長が港に無線を打とうとすると、無線機の部品が抜き去られていて無線が使えなくなっていた。
 まあそのあとは大きな事件も起きずに船は港に着き、若い女性は船を降りて、迎えに来たパトカーに乗って去っていく。
 作家のハイスミスはきっと、自分が女性である立場から「ばっかな男たちよ!」ということを書いたのだろうか。まあ「マチズモ」批判だろう。一歩まちがえばコメディー、一歩まちがえば「おぞましい悲劇」になってしまいそうだけれども、うまいところで「寸止め」したという感じ。救われた女性が船の上で何を考えているのか、まったくわからないというのもポイントだっただろうか。