ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-08-29(Sat)

 今日も暑い一日だった。エアコンをかなり低温に設定しても、それでも部屋の中はむっちりと熱気に満ちている。今日は買い物に出かけることもなく、一日部屋にこもりっきりで過ごした。

 午後に注文していた本の『ナボコフ=ウィルソン往復書簡集』、そしてもう一匹の「Bean Bear」が届いた。一匹だったBean Bearが二匹になり、Bean Bearsになった。実はもう一匹、ちょっと大きな7インチのBean Bearも注文してあって、そっちも明日には届く予定である(今いる2匹のBean Bearsは、5インチとちょっと小さめ)。

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 なんだか、こういう「かわいいぬいぐるみ」を買い集めるというのも、いい歳をしたオヤジとしてどうかとも思うのだけれども、どうもこのところ「かわいい」というモノに惹かれる自分がいて、テレビでもネットでも「かわいい動物たち」みたいなのばかり見ている。まあ「心を和ませる」には効果があると思うのだが。

 今日も夕方から無料配信の映画を観始めたのだけれども、10分ぐらい観て「つまらない」と、観るのをやめてしまった。
 読んでいるパトリシア・ハイスミスの『黒い天使の目の前で』は、翻訳版の表題作の『黒い天使の目の前で』と、『わたしはおまえの人生を軽蔑する』とを読んだ。
 『黒い天使の目の前で』の主人公は、12年前に年老いた母を老人ホームに入所させていて、聖書ばかりを読み主人公に怒りをぶつける母にうんざりしてまるで母に会いに行かなくなっている。ホーム費用に金もかかるので、老人ホームから離れていない旧自宅を売ることにして、母のホーム入所にも尽力してくれた友人の保険会社経営のウィンに会いに行く。ウィン宅に一泊し、翌朝旧自宅あたりを散歩するのだが、古い知人にばったり出会い、その知人の口から「母は5年前に亡くなった」ということを聞く。
 ウィンは老人ホームの経営者と結託して主人公に母の死を知らせず、ホーム費用をだまし取っていたのだ。主人公はウィンにただ母の死を知ったことだけを伝えて今の住まいに帰る。彼はそのときは深い怒りを覚え、母の読んでいた聖書から「目には目を、歯には歯を」ということばを思い出すのだが‥‥。
 実は主人公はそのような考えを忌み嫌うようになり復讐はせず、分厚い聖書の「旧約聖書」の部分を破り、暖炉に放り込んで焼いてしまう。
 ここでハイスミスは「反=宗教(キリスト教)」的な立場を取っているように読め、「はたしてアメリカ人は、というかキリスト教信者はこの短篇をどのように読んだのだろうか」と興味も持ったのだが、ハイスミスが信頼を置くのは「人間の良心」というものではないのかと読んだ。

 もう一篇読んだ『わたしはおまえの人生を軽蔑する』は、大学を中退して仲間とバンドを組み、ロフトで共同生活をおくる男と、その父親との関係を描いたもの。まあ息子はぐうたらで、バンドも評価されていないようだし、働いてもいないから金がない。まずは父親のところに金の無心に行くのだけれども、はっきりと断られ、音楽活動その他、彼の生き方を否定する。息子は父に「おれはあんたの全人生が下らないと思っている」という。
 息子はロフトの家賃とかの金を集めるためにロフトで有料パーティーを開くことにし、そのパーティーに父親を招待して自分のやっていることを納得してもらおうとする。父親からは「もう基本的に会わないことにしよう」との手紙をもらっていたのだ。
 どういうことになるか、だいたい想像はつくのだけれども、父はパーティーには来るが早くに帰ってしまう。ドラッグのせいもあって錯乱した息子は自傷行為を行って入院する。入院費を父に払ってもらう必要があって病院に父が来る。父は入院費は払うというが、「(わたしはおまえのことを理解しようと努力したが)わたしはおまえの人生を軽蔑する」と語り、「もう二度と家に来ないでくれ」と言って帰って行く。息子はさいごに、「戦いは終わっていない」と思うのだ。
 この作品が書かれたのは1981年で、つまり音楽の世界は「パンク」以降の時代になっているだろう。この息子はいかにもありがちな「ミュージシャン志望」のぐうたらで、大成しそうもないように思えるのだけれども、彼が作品のラストで「戦いは終わっていない」と考えるところに「救い」があるだろうか。ハイスミスはこの息子を「ダメ男」と描きながらも、どこかシンパシーを持っているようにも読める。こういうところにもハイスミスの魅力がある。

 今日の夕食はネットで検索して、ただピーマンとナスを炒めただけのシンプルなおかずにした。ナスはまだいっぱいあるので、そのうち「焼きナス」となるだろう。

 さて、昨日は安倍首相が辞意を表明し、テレビのニュースもネットもその話題で持ちきりになっている。その功績を紹介して「立派な宰相だった」という報道ももちろんあるのだが、今まで安倍首相べったりの報道姿勢だったNHKが、今朝のニュースで日本中の市井の人々の声を紹介していて、その中で沖縄からの映像で若い女性が「安倍首相は沖縄に何もしてくれなかった」と語るのを放映していた。今までにはNHKでは聞かれなかった「安倍首相批判の声」で、これから少しは変わっていくのだろうかと期待するのだった。

 安倍晋三が首相を辞めることを決断したのは持病の「潰瘍性大腸炎」の悪化のためと説明したのだが、その説明に疑問を呈する声もある。安倍首相が6月から7月にかけて、「国会の開催を」という声も聞かず、記者会見も開かずにひんぱんに「会食」を行っていたことは一部報道で知られていたけれども、「潰瘍性大腸炎」というのは食事にも気をつけなければならない疾病で、わたしも調べてみたが、特に「中華・洋食のコース料理」は避けなければならないという記述に出会った。
 安倍氏潰瘍性大腸炎の悪化を自覚したのは、報道によると7月のはじめのことだというが、それは彼がせっせと「会食」に通う時期と一致もしているから、納得もするのだけれども、解せないのはそんな体調の悪化のあとになっても、会食への出席を控えるわけでもないことだ。いったい、彼には健康管理を指示する専属医師はついていなかったのかと思うのだが、そういうこともあの立場の人間には考えられないことで、そうすると、一部のSNSでも書かれているように、首相辞任の本当の理由は潰瘍性大腸炎の悪化によるものではないということになる。ほんとうにほんとうに悪化していたのなら、それだけの会食に出席するわけがない。
 COVID-19禍以降の政府、安倍内閣の政策は、「アベノマスクの支給」とか「Go To トラヴェルの実施」とか、「歴史に残る」愚策ばかりであり、国民への一律10万円の支給も、当初は「お肉券」とか「お魚券」の配布という計画だったのだ。それがさんざん批判を浴びて「困窮家庭にのみ30万円給付」となり、さらなる批判で「一律10万円」と変更になったのだ。今は「ワクチン」の問題でも「???」という政策を取ろうとしているし、つまり安倍内閣は何ひとつ、国民が納得するCOVID-19対策が出来なかったのだ。
 おそらくは安倍首相もそのことは認識していて、批判の声が心労の原因となったともいう。しかし、彼と彼の内閣の能力では、もう有効なCOVID-19対策は立案出来ないわけだろう。そこで安倍晋三氏は、「これ以上何かやっても批判されるだけ」と嫌気がさし、つまりは持病のせいにして「もうや~めた!」ということになったのではないかとも想像できる。常識では考えられないことだけれども、今までの安倍氏の言動をみていると、充分に考えられることではあるだろう。

 現実にこういうことではなかったにせよ、今回の辞任劇はいくら「体調不良」ということであっても、さまざまな政治的課題をうっちゃってしまっただけ。「無責任」とのそしりは免れないのではないかと思う。まだ次の首相が決まるまで執務はつづけるらしいが、やるのは党内的な駆け引きの調整ぐらいのものだろう。