ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-08-31(Mon)

 今朝も、ウチのそばで先日と同じネコに出会った。先日は撮影できなかったので、今回は「夜景モード」で撮影してみた。真っ黒けのフォトになったが、後処理で明度をう~んと上げてみたら、けっこうしっかりとネコの姿が浮かび上がった。まあこれではまだ、何が何だかわかりはしないが。

     f:id:crosstalk:20200831043731j:plain:w500

 もっと駅の近くで「夜景モード」撮影してみたが、こっちはきれいに撮影ができた。「夜景モード」撮影はけっこう使える。

     f:id:crosstalk:20200831044553j:plain:w500

 昨日到着しなかった「Bean Bear」が、今日到着した。このコは「Puff」という名前で、Peter,Paul & Maryのヒット曲「Puff」に登場するマジック・ドラゴンのコスプレ仕様になっているのだ。誕生日もはっきりしていて、1994年2月27日。つまり今年26歳だ。この誕生日とは、Grateful DeadがOaklandのColiseumでの公演の日ということ。この日のコンサートのアンコールで、彼らはBeatlesの「Rain」を演ったのだという。

     f:id:crosstalk:20200831161106j:plain:w500

 これでウチのBean Bearも3匹になり、「家族」っぽくなった。今日届いた「Puff」は7インチで前の2匹より大きいので、「親」というところだろう。

     f:id:crosstalk:20200901135423j:plain:w500

 まずは7インチのBean Bearをもう1匹増やして「両親」にして、5インチのも1匹買って「5人(匹)家族」にしてあげたい。

 昨日のわたしの夕食は、ツナ缶とナスとをレンチンしただけのお手軽献立だったのだが、今日もフライパンでの「焼きナス」に、ポテトサラダを添えて。今の季節はナスが安くておいしいけれども、いくらなんでも「お手軽」な献立がつづいたので、明日はもうちょっと手の込んだ「料理」をつくってみたい。先日つくって美味しかった「ポークソテー」あたりをまたやろうか。

 通勤時間に読んでいるナボコフの『偉業』は、早ければ明日にも読み終えられそうだ。ハイスミスの短篇集『黒い天使の目の前で』は、今日は『うちにいる老人たち』を読んだ。
 子供のいないマッキンタイア夫妻(おそらく四十代で、夫婦とも知的職業に就いている、つまりインテリ層である)は、老人ホームから高齢の夫婦を引き取っていっしょに暮らすことにする。じっさいに海外でそのような事例があるのかどうかは知らないけれども、その導入部からして、「そんなのうまく行きっこないじゃないか!」と思ってしまうが、その前に老人ホームに入所していた親しい間柄の男性の死があり、老人ホームの人から「地域の多くの家庭が期間を定めてホームの老人を受け入れていっしょに生活し、その結果老人たちは調子も良くなって元気になり、なかには以降ずっと老人といっしょに暮らす家庭もあります」という話を聞いて、「自分たちはその面で責任を果たしていない」という気もちから、その気になってしまうのだ。
 この短篇は1981年に書かれたもので、その前にハイスミスは1977年の『イーディスの日記』で、血のつながりのない(別れた夫の叔父)老人と共同生活するヒロインのことを書いていて、そのプロットはこの短篇の中にも生かされているとは思う。
 誰もが想像するトラブルに巻き込まれ、夫婦は自分たちの仕事時間さえ奪われてしまう。老人ホームはふたたび老人夫妻を受け入れることを拒否するし、夫婦の友人たちはふたりの苦労に同情はするが手助けしてくれるわけでもない。けっきょく、夫婦のやっていることは無償の「老人介護」に他ならないのだ。
 まあ思いがけないというか、ある程度想像もつく結末が用意されているのだけれども、いやいや、「老人介護」などということは、よほどの覚悟がないと出来ないことだと思う。じっさいにそういう施設で介護人による老人への暴行、殺人という事件はひんぱんに起きているわけだし(この作品はそのようなことは起こらないが)、わたしも過去に「老人介護をやりたい」という友人の話を複数聞いたこともあるが、決めるのは当人の意志だから強い意見は言わなかったけれども、「無理ではないか」とは思ったものだった。ひとりは介護の道をあきらめたが、ひとりはじっさいにそのような職を選択した。あとになって「大変なんてモノじゃない」との話を聞いたことはあるが、今はどうしているかは知らない。
 給料をもらって「仕事」として介護をやっても山ほどのストレスを受けるわけだし、単に「善意」とかだけで、ましてや自分の家に受け入れるということは、わたしには「不可能」だろうと思ってはいる。そして、「ホーム」ででも、自分自身が「介護」を受けるということが想像できないし、そうならないという「意思」を強く持っていたい。

 ところでCOVID-19の(まだ開発途上の)ワクチンについて、安倍氏はその先日の会見で「全国民分のワクチンを来年前半までに確保することを目指す」と語ったらしい。
 ‥‥何をバカなことを言っているのだ?という感じである。そんなに短期間に安全性も確保されたワクチンが完成するわけがないのである。だいたい、そのワクチンの安全性が確認されるためには何年もの経過観察が必要であり、「副作用」が確認された場合、それはCOVID-19の症状や後遺症よりもはるかに深刻な場合もある。
 <政府は今後、接種によって健康被害が起きた場合、訴訟などで生じるメーカー側の損失を国が補償できるような法的措置を、接種の開始前に講じる>ということだが、これはなんと<メーカー側の損失>についての補償であり、健康被害が起きる国民側への補償は語られていないのである。おそらくは単に「金銭的な補償」だけですませようとしているのだろうが、健康を損ねて通常の生活が出来なくなった場合、いくら金銭を積まれても戻ってこないものがある。
 そして、ここでなぜ「来年前半まで」と言っているかというと、これはおそらくはまだ「中止」が発表されていず、来年夏に開催されると思っている連中もいる「東京オリンピックパラリンピック」に間に合わせるためもあるのだろう。
 いちいち書くのもバカバカしいが、もし仮に日本国民が有効なワクチンによってCOVID-19への免疫を得たとしても、オリンピックには世界中の国から多くの関係者が来日するわけで、おなじ会場で競技を競う「近接接近」の問題もあるし、宿舎の問題もある。つまり、海外の関係者間で感染が拡がることが十二分に考えられ、まあそのことを考えただけでもこのオリンピックに参加しようという国など存在しないのではないだろうか。
 試しに、「日本では国民全員がワクチンを接種し(接種か服用かわからないが)、日本人はもうCOVID-19に感染しないのです」ということでオリンピックを開催してみるといい。いったいどれだけの国が「そう、それじゃあ」と参加するだろうか。やってみるといい。「日本人は何を考えているのだ」と世界から思われることだろう。