ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-07-18(Sat)

 実のところ日本はもうほとんど「全体主義国家」になろうとしていて、例え大多数の国民が安倍政権を支持しなくても、メディアはそんなことはお構いなしに「大本営発表」的なニュースを伝え、「こうなりました」というだけである。
 安倍晋三は「森友問題」以降、「花を見る会」その他の「犯罪行為」があり、今は河井克之・案里夫妻の「公選法違反」の黒幕であることは明らかであるのに、メディアはそのことをまるで追及しない。
 「政治家」としても、まったく意味のない生態系の破壊でしかない「辺野古埋め立て」をはじめ、現在のCOVID-19禍では「アベノマスクの配布」、「GoToキャンペーンの実施」など、ただ「愚策」としかいいようのないことばかりやる始末だし、いまだに誰も望んでいない「改憲」をやりたいとばかり言う。普通だったらもう10回ぐらい逮捕・収監されていてもいいはずなのだが、今でもツイッターなどでは安倍政権を賛美する声が聞かれる。
 「まだまだオーウェルの『一九八四年』のような事態ではないではないか」というが、安倍首相の望むように改憲がなされ、外濠がどんどんと埋められてしまえばあっという間に「全体主義国家」になってしまう。

 今日、「GYAO!」で『ナチス侵攻!/The Nazis Strike』というドキュメントを観たのだけれども、ヒトラーはまずは多くの国民の支持を集めていたのだ。そして知らないうちにとんでもないファシズム国家が出来上がってしまった。
 もちろん、安倍晋三はかつて一時期のヒトラーのような「人気」は得ていないけれども、今のメディアのあり方はまるで「安倍ファシズム国家待望!」というようなところがある。
 じっさい、いつも思うのだが、メディア関係者は今の自分の生き方に疑問を持たないものだろうか。「保身のためには仕方なかった」というのだろうが、その「保身」のためにかつての日本は「戦争」への進路を取ったのだった。

 わたしはといえば、まだ「自由」の効くところで道をすすめ、力をたくわえていきたいという考えは持っている(あまりくわしく書かないが)。そういう生き方を進めるばかりだ。

 今日は土曜日で、天候もあいかわらずなこともあり、一歩も外に出なかった。読んでいたパトリシア・ハイスミスの『愛しすぎた男』を朝からずっと読み、一日の読書量としてはかなりの量を読んで夜には読み終えた。
 読み終えて、「アレ? このラストは何か別の小説に似ているのではないか?」と思い、思い起こしてみればそれはナボコフの『絶望』だったのではないかと思い当たった。わたしの記憶が正確だったかどうかわからないが、次はその『絶望』を読んでみることにした。

 今日のニェネントはなぜか、最近は全然入っていかないクローゼットの上のペットキャリー、「非常時用シェルター」にこもっていた。どうしたことだろうと思ったが、そのうちにわたしのいるリヴィングに降りてくるのだった。

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