ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-03-21(Thu)

 今日もおだやかな天候のようだった。でもまだ朝はけっこう寒くって、電気ストーブのお世話になる。ニェネントくんも、ストーブのすぐ前に置いたペット用のクッションの上で丸くなっているのだ。
 9時をちょっと過ぎたところで、地震がきた。小さな余震があって、そのあとに大きめの揺れがあった。机の上に置いてあったスマホが「地震です!地震です!」とわめいてうるさい。んなことは知らせてくれなくっても「地震」だということはわかる。じっさい、いったい何のための通知なのだろうとは思ってしまう。

 こういうときはニェネントくんが驚かないように、落ち着かせてあげなくってはいけない。「ニェネントくん、どこだっけ?」と思ったら、わたしのうしろで丸くなっているのだ。特に揺れに驚いている感じでもなく、平気な顔をしていたので安心した。まあこのあたりの震度は3ぐらいかな?とは思った。

     

 テレビを見ると震源はいつもの茨城県南西部で、地震の頻発するスポットだ。栃木と埼玉では「震度5弱」という場所もあったらしい。このスポットでの地震としてはちょっと大きいかな。ウチのあたりは「震度4」だったみたい。先日までの千葉県での地震は千葉南東の海が震源だったから、ちょくせつの関係はないだろうと思った。でもテレビでは、今後一週間ぐらいは「震度5弱」ぐらいの地震に注意するように、ということだった。

 そんな地震のあと、北のスーパーへと買い物に出かけた。陽射しは暖かいのだけれども、空気がひんやりと冷たい。外を歩いても、こういう感じは気もちもスッキリして快適だ。
 道路の脇の、わずかなすき間にタンポポが根付いていて、花が咲いていた。こういうのを目にするのも気もちがいい。

     

 そんなせいか、「ニェネントくんに好物を買ってあげよう」という気分になってしまい、「サーモンの切り落とし」とか買ってしまった。わたしの買う食材よりもずっと高い。

 帰宅してテレビを見ていると、今人気沸騰中の大リーグの日本人選手(つまり「大谷翔平」だが)の通訳(テレビにもよく顔が映る著名な存在だった)が、「違法スポーツ賭博」に関与したとして、球団から解雇されたというニュースが流れた。
 これはけっこう大ニュースで、さいしょは彼はその借金のことを大谷氏に相談し、大谷氏がすべて承知して立て替えて胴元に支払ってくれたという報道だったのが、そのあとの報道では、その通訳氏は大谷氏の資金を「盗んだ」ということになっていた。その額も半端な額ではなくって450万ドルにもなったというんだから、「びっくり」であった。
 これは当然大谷氏も了解した上で「450万ドル」を払ってやったのだろうが、そうすると大谷氏にも賭博の嫌疑がかかるわけで、そうなることを避けるためにストーリーをつくったのだろう。場合によっては大谷氏も球団解雇、追放という事態にもなりかねないだけに、たいへんなニュースだったと思うのだった。

 この日は午後から、エミール・クストリッツァ監督の『黒猫・白猫』を観た。はじけ飛んだ感じの楽しい映画だった。

 映画を観たあとは大相撲の中継だが、ネットで見たところでは十両の碧山も玉正鳳も星を持ち直し、共に5勝7敗にまでなっていた。まああと一つ負ければ「負け越し」という、キビしいところではあるが。
 新入幕ながらひとり全勝をつづけていた尊富士は、この日は大関の豊昇龍との勝負が組まれ、ここはさすがに豊昇龍が勝ち、大関の面目を保った。それでも尊富士はただ一人1敗でトップだということで、もう2敗の力士はいないのだ。彼が優勝争いのトップであることには変わりはない。
 

2024-03-20(Wed)

 今日は「春分の日」。まさに桜の花も咲きそうな陽気になり、春だね、という感じでもある(まだちょっと寒かったけれども)。
 そしてこの日、クルドの人たちが新年を祝う祭り「ネウロズ」が、さいたま市の公園で開催されたとのニュースがあった。一部ジャーナリストや報道機関の「クルド人排斥」のムーヴメントの中、開催も危ぶまれていたお祭りだったけれども、日本からの参加者も交えて1300人が集まり、楽しいイヴェントになったようだ(わたしも行きたかった!)。

     

 またこの日上川外務大臣は、「ネウロズ」を祝う諸国民にメッセージを発信したという。この件に関しては「Good Job」だと思う。政府や外務省、一般のジャーナリズムが「産経新聞」や「ネトウヨ諸氏」の挑発に乗らないということはいいことだ。
 ただ、川口などでのクルド人問題を偏見なく公平に取材を続けるテレビ局員などもいるのだが、放映する時間枠が取れないのだという(当然、「産経新聞」などの主張とは正反対の現実があるだろう)。
 一方、日本クルド文化協会代表理事ら11人のクルド人らは、SNSへの差別的な投稿で名誉を傷つけられたとして、フリージャーナリスト石井孝明氏に慰謝料など500万円を求め、東京地裁に提訴したと発表した。
 この石井孝明という人物は「誹謗中傷」の専門家で、今までは主に「反原発」の立場の人たちへの攻撃を行っていたが、近年はネトウヨ的スタンスから多くの人々に対して誹謗中傷を行い、何度も告訴されて自分の発言を通り消すということを繰り返している人物で、現在は標的を「在日クルド人」に絞って罵詈雑言を行っていた。この報道では彼は自分の発言にクルド人の子どもの写真を引用し、「放置されて平日からうろうろしている」との投稿もしたという。現在、クルド人の子どもたちは学校で「いじめ」の対象にもされている。
 この訴訟、以後の成り行きが気になるところ。

 皆は、わたしがクルドの人々らを応援、サポートすることに驚かれるかもしれないが、わたしはまず第一に、クルドの人たちが川口や蕨で市民らに迷惑をかけているという証拠を、しかと得ることが出来ない。逆に、川口の人たちは外からやって来る「クルド人排斥」を訴える連中を迷惑に思っていることの方が確かだ。そうすると、真実を伝えるはずのジャーナリズムがそのあたりをごまかして虚偽のニュースを伝えていることになる。
 この構造はまさに、百年前の「関東大震災」のときに、流されたデマのために朝鮮の人々が虐殺されたことの繰り返しであり、そんなことに唱和してはいけないとの思いがまずは強い。そして現実に、今わざわざ他所から遠征して川口などにやって来て「ヘイトスピーチ」を繰り返す連中は、元は川崎駅前で「韓国人排斥」の「ヘイトスピーチ」をやっていた連中で、それが規制で川崎での「ヘイトスピーチ」が禁止されたものだから、「次の標的」として蕨・川口のクルド人に狙いをつけているだけ。そしてそのバックには、現在の日本の、人権を無視した「出入国管理法」や「難民認定」の問題がある。さらに「ほんとうのことを書かない」差別主義の新聞やジャーナリズムの問題があり、人々はじっさいの蕨や川口の現状を見てもいないのに、ただ「新聞に書かれていたから」と、クルド人らがコンビニ周辺にたむろし暴力事件を起こし、一般市民の恐怖の的になっていると信じ込んでしまっている。だから誰も、そんなクルド人が街を闊歩したり暴れたりしている姿も見たことがないというのに、「クルド人は危険だ」と排除しようとしているのだ。こんな事態は、ストップされなければならない。それがわたしの考え。

 今日は何をするでもなく時が過ぎて行った。昼からは「にっぽん百低山」という再放送の番組を見ていた。この番組はけっこう見ることが多いのだが、この日の回のナレーションは池田伸子アナウンサーだった。「硬」も「軟」もどちらもこなされる方なのだな。声だけ聴いても「いい声」のお方だ。
 夕方からは大相撲を見ていたのだが、幕内でただひとり全勝の平幕の尊富士はこの日は大関琴ノ若との対戦が組まれ、「まさか琴ノ若が負けることはないだろう」と思っていたのに、しっかりと尊富士が勝ってしまっておどろいた。
 これで11日目が終わって尊富士が全勝、そして2敗で大の里と、平幕の2人がリードするという展開。なんか、新入幕の力士が優勝してしまうというようなことが、現実に起きてしまいそうな感じである。
 

『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017) ギレルモ・デル・トロ:原案・監督

 むかし映画館で観て「いい映画だなあ」と思っていたはずの作品だけれども、例によってわたしの記憶障害のため、ラストシーンをわずかに記憶するだけの映画になってしまっていた。だから6~7年ぶりに観た作品だけれども、ストーリー展開などほとんど記憶してはいなかった。

 作品は1960年代のアメリカを舞台として、当時(1954年)製作の『大アマゾンの半魚人』という映画のリメイク的なスタンスである。
 主人公のイライザ(サリー・ホーキング)は幼少期ののどの傷のためしゃべることが出来ないのだが、今は政府の機密研究機関で仲の良いゼルダオクタヴィア・スペンサー)と共に清掃員として働いている。彼女は映画館の上のアパートで独り暮らししているが、隣人の売れないイラストレイター(実はゲイ)のジャイルズ(リチャード・ジェンキンズ)とも親しくしている。
 あるとき、研究室に秘密裏にアマゾン奥地から「半魚人」が運ばれてくる。研究担当はストリックランド(マイケル・シャノン)とホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)だが、ストリックランドは半魚人の「生体解剖」を目論んでいるし、ホフステトラー博士は実はソヴィエトのスパイである。
 半魚人の存在を知ったイライザは、手話で半魚人とコミュニケーションを取るようになるし、「生体解剖」の計画を知り、何とか半魚人を助けようと思うのだ。
 ここでイライザの同僚のゼルダ、イライザの話を聞いたジャイルズ、とにかく研究機関から半魚人のデータを盗もうとするホフステトラー博士らの助けを得て、イライザは半魚人を研究室から救い出し、アパートの自室のバスタブに彼をかくまうのだ。そしてイライザは彼を愛するようになる。
 盗まれた半魚人を探すストリックランドは、ついにはイライザが半魚人をかくまい、今まさに運河の水門から半魚人を海に逃がそうとしていることを突きとめ、海辺でイライザと半魚人に銃を向けるのではあった。

 まさに「ファンタジー」で、画面の世界とその色合いとが、よく設計されたアニメーションの世界みたいだ。
 全体に色彩が青と緑とに覆われ、それは映画の中で「ティール」という色なのだと説明されるけれども、イライザと半魚人とがまず水中で抱き合うとき、その色彩がその青と緑との美しい混色の世界だった。

 主人公のイライザは「しゃべれない」ということでマイノリティーのひとりなのだが、同僚のゼルダもアフリカ系。この映画の時代が1962年だということで、まさにマイノリティーだし、ジャイルズもまたゲイということでマイノリティーではあるだろう。そんなメンバーらが、いつしか心を合わせて「政府機密機関」に対抗する、という展開が面白い。

 その「時制が1962年」ということで、作品中何度も出てくるテレビの映像が、まさに時代を感じさせるものだし、いっしゅノスタルジーをも感じさせられるものでもあり、映画のストーリーのある意味で「ベタなファンタジー」ということと合わせて、この作品の世界観がしっかりと伝わってくるようではあった。
 

2024-03-19(Tue)

 昨夜はちょっと早く寝てしまおうと、8時前にはベッドに入って本を読み始めた。しばらくして「ピンポ~ン」と誰か来て、「誰やねん」とドアを開けると、宅急便の配達だった。
 旧友のYさんが、また野菜とかいろいろと送ってくれたのだ。段ボール箱を開けてみると、ネギやシイタケ、葉付きのダイコンその他の野菜類と、焼酎のパックとかが入っていた。感謝である。うれしいね。

 予報では、今日は昨日に比べてずっと気温も下がって寒くなると言っていたけれども、そこまで寒いとは感じなかった。前にも書いたが、昨日気温が上がって地面が温められて、今日はその熱が放射されて「気温のわりには暖かく感じた」ということではないか、などと思うのだった。

 これは昨日「ふるさと公園」の近くの桜並木で撮った「桜のつぼみ」だけれども、開花が近ければもうちょっとつぼみも大きくなっていて、先端がピンクになっていたりするものだろうけれど、「まだまだ」という感じだ。このあたりの桜の開花はこの週末ではないかと予測した。

     

 今日は買い物とかに出かけずに一日部屋にこもっていた。昼からのNHKのニュースに、週末だけの出演のはずの池田伸子アナウンサーが出ていた。「どうしたんだろう。珍しいな」と思ったら、この日は日銀が十何年ぶりにマイナス金融政策を解除したわけで、ニュースも時間を延長して45分もやっていた。それで後半は池田アナウンサーが解説委員とちょっとした討論を行っていたのだった。
 実はわたしは、この池田伸子アナウンサーのファンではあるのだが、こういう経済問題の報道のときに、単に原稿を読むだけでなく、解説委員とかと(おそらくは原稿なしで)対話をしてニュースを深められるのが彼女の素晴らしさで、こういう司会のできるアナウンサーはなかなかいない。この日は日銀の緊急決定ということで呼ばれたんだろうなと思ったが、(わたし自体が経済のことはわからないのだが)彼女ならではの司会ぶりだったと思う。
 冒頭、珍しく前髪が乱れていて、手でかき上げるなどというシーンもあったが、この日急にこの日銀のニュースが伝えられ、「彼女に司会をやらせるべきだ」と急きょ呼び出されたのではないか、などと想像してしまった。
 4月になるとNHKは午後の時間に新しく「ニュースショー」的な新番組を開始し、その司会の一人がこの池田アナなのだという。わたしとしては見るしかないだろうか。

 最近、実はX(旧Twitter)を閲覧するようになっていて、もちろんわたしは「反ヘイト」の立場の人たちをフォローしていて、じっさい「X(旧Twitter)」がどんだけ「ヘイト」発言にあふれているかはわかっていないところはあるだろうけど。

 日曜日には川口駅前で「クルド人排斥」を訴える連中の、「ヘイト集会」が行われたらしい。
 産経新聞はいまだに集中的に「川口のクルド人排斥」記事を書きつづけていて、先日は「産経新聞が問題にした川口・蕨でのクルド人の事件22件のうち、産経新聞以外のメディアが問題にしたのは2件ぐらいしかない。これはどういうことだ?」という記事を書いていたが、これはいとも簡単な理由で、「それらの事象には事件性は認められない」からこそ、ほかのメディアは記事にしていないのだ。じっさい、産経新聞の記事には「憶測」によるものも多いし、「X(旧Twitter)」で「クルド人排斥」を訴えてしまっている人も、そんなクルド人が行ったとされる「蛮行」を目撃した人はいなくって、「聞いた話だが」と語るばかりである。
 その昨日の「クルド人排斥集会」の様子も「X(旧Twitter)」にいろいろ書かれていたが、現場ではそんなヘイト集会に反対する声の方が大きかったらしい。というか、「クルド人排斥」を訴える連中はその地域の「混乱」をこそ目指しているようであり、地元の人たちの「反撥」は強いという。
 産経新聞などネット上での「反クルド人」記事を読んで「そうなのか」と思ってしまった年配の女性が、クルド人らしき人たちが集まっているのを見て警察に通報したこともあったらしいが、もちろん「何の問題もない」、単なる仕事上の集まりだったということで「一件落着」したらしい(これはかつて、ネット記事を読んで根拠もなく「嫌韓思想」に染まり、韓国人に暴力をはたらいて逮捕された御仁と同じ構造である)。

 わたしが「X(旧Twitter)」で読んだ限りでは、「クルド人排斥」の動きは逆に排斥されているようには見える。
 しかし、Yahoo!ニュースがわざわざ毎回取り上げる産経新聞夕刊フジなどの「クルド人排斥」記事には、(見ても気分が悪くなるからほとんど見ないが)ほぼ100パーセント、そんな記事の立場を支持する「クルド人排斥」のコメント(ヤフコメ)が連なってしまうのだ。
 どうも、言えるのは「Yahoo!ニュースは反動・保守・レイシストの味方をしていて、日本の反動化を後押ししている」ということだろうか。

 今日は午後から、「Amazon Prime Video」でベニチオ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』を観た。ラストはほぼ号泣、だった。

 映画を観たあとは大相撲の中継を見たが、この日も新入幕の尊富士は勝ちつづけ、幕内でただ一人全勝なのだ。これから上位陣にぶっつけられ、「新入幕で優勝」な~んてことを阻止する動きに巻き込まれることだろう。最近の大相撲では毎回のことだ。

 夕食には、Yさんに送ってもらったダイコンの葉を使い、お得意の「ダイコンの葉と豚肉のバター醤油炒め」をつくった。とにかくこの献立は「かんたんでおいしい」のだ。
 

『犬ヶ島』(2018) ウェス・アンダーソン:脚本・監督

 「ストップモーション・アニメーション映画」として、今月のはじめにテレビで放映されていた『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』と比べたくなるが、わたしは『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』をしっかりとマジメに観たわけではないので、わたしにはそういうちゃんとした比較はできないだろう。ただ、この『犬ヶ島』と『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』との双方が、「日本」を舞台にしているということは挙げられると思う。

 『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』は中世の日本を舞台として、魔法の三味線をあやつる主人公の少年が冒険の旅をするというものだったと思うが、いわゆる「説話」、「冒険譚」として正統な展開だったようには思う。

 この『犬ヶ島』、「プロローグ」において「少年侍と首無し先祖」という昔の(創作)伝説が語られる。猫を愛でた「小林王朝」は犬たちを攻撃、排除し、「ついに犬らも全滅か」というときに少年の侍があらわれて負け犬らの味方をし、小林王朝の頭(かしら)の首を切り落とし、犬たちを絶滅から救ったというのであった。絶滅を免れた犬たちであったが、結果として小林家に服従し、多くは「ペット」として生きながらえたということなのだ。『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』のように、創作の伝説を基にしているということも共通はしている。
 ここで物語は「今から20年後」の話になる。その「今」がいつの時代なのかわからないが、これはまちがいなく日本だろう。しかし見た感じでは「昭和」の時代のようにも見える(テレビは白黒のブラウン管テレビだし)。
 場所は「メガ崎市」という架空の都市で、そのとき犬が感染する「ドッグ病」が蔓延していた。市長は小林で、市内の犬たちをみんな「ごみ島」に隔離することを画策していて、まずは自分の養子であるアタリの飼い犬であり護衛犬であったスポッツを「ごみ島」に送り出す。以後も市内の犬たちはつぎつぎに島に隔離され、「ごみ島」は「犬ヶ島」となる(昭和30年代、40年代の日本では「狂犬病予防」のために予防注射していない犬はたとえ「飼い犬」であっても保健所に捕らえられ、殺処分されていたのは事実である)。
 アタリは「もういちどスポットに会いたい」と、単身飛行機で「犬ヶ島」へ行くのであった。
 つまり、プロローグの「少年侍と首無し先祖」をなぞるように話は展開して行くのだ。
 アタリ少年は犬ヶ島で出会った5匹の犬の助けを借り、スポットを探そうとするわけだが、小林市長の派遣した部隊やロボット犬の妨害を受ける。一方のメガ崎市にも動きがある。実はこの「ドッグ病」、犬を絶滅するために小林市長がバラまいていたのだ。

 一見「ディストピアSF」風でもあるし、ネガティヴな描写もグロい描写もある。「子どもといっしょに見たら楽しいだろうか」などと考えると、後悔することになるだろう。
 しかし作品全体が「小ネタ」の連続で、画面の細部にわたって「こんなものも出てくる」とかいうのもあるし、ウェス・アンダーソン映画らしい画面のつくり、構図も堪能できる。「ストップモーション・アニメ」として、誰もが好きになるのは「寿司の調理」の場面とかだろうし、わたしは終盤の「腎臓手術」の場面も好きだ。あと、犬たちが土ぼこりを巻き上げながら乱闘するというマンガっぽい場面とかで、巻き上がる土ぼこりがモゾモゾ動く「白い綿」で表現されるのが気に入った。
 ウェス・アンダーソン監督はこの作品を撮るにあたって、黒澤明宮崎駿らの影響を語り、YouTubeで見た来日時のインタビューでは、三船敏郎志村喬香川京子らの名前も語っていた。
 確かに「サムライ映画」の影響はあるだろうし、わたしは『どですかでん』のことも思い浮かべたし、「メガ崎市」など、随所に『千と千尋の神隠し』の湯屋みたいなところもあっただろう。だいたいこの「カタキ役」の小林市長とその執事とかの存在にはどこか「ヤクザ映画」っぽいところも感じられる。小林市長が政敵を毒殺し、インチキ選挙で圧倒的な支持を集めて再選されようとする場面など、まるっきし今げんざいのロシアのプーチンのやってることと同じで笑ってしまったが。

 ネットで読んだ範囲で、この作品への批判はいろいろとあるわけで、特に多い批判は、「日本人キャラクターが日本語をしゃべり、(海外では)英語字幕も付かなかった」ということにあるらしい。
 これは日本でこの作品を観て、「英語」に対しては「日本語字幕」が付くということが「あたりまえ」に思っているとわかりにくいことかもしれない。しかし、「それゆえに」か、ウェス・アンダーソン監督は日本語のセリフを短くし、非日本語圏の人が聴いても「なんとなくわかる」というところにとどめていると思う。これはもう一つの大きな批判、「アメリカから日本への交換留学生」のトレイシー・ウォーカーが「ホワイト・ウォッシング」ではないのかという批判ともつながるのだろう。この批判はわたしもわからないでもないけれども、けっきょく英語圏の観客のため、この「セリフの多い」役が英語をしゃべらなかったとしたら、興行的にも難しかったのだろうか。
 この映画全体が、そういう「非英語」を、どう英語圏に伝えるか、という問題もはらんでいるわけで、先のトレイシー・ウォーカーのことに合わせて、フランシス・マクドーマンドが声をやる「通訳ニュース記者」の存在をどう考えるか、ということでもあるだろう。。
 「犬たちがみ~んな英語をしゃべっているではないか」という「英語至上主義」については、そもそも本来、犬たちは「犬語」をしゃべっているわけで、「それをどうするか?」という問題なわけで、「じゃあどうするか?」ということになるだろう。少なくとも、この作品は「アメリカ映画」なのだ。

 もうひとつ、英語版Wikipediaに面白い記述が載っていて、それは去年亡くなられた日本の著名なミュージシャンの語られたことだというが、「I think it's a well-crafted movie. Its aesthetic is so perfect, I think. People could enjoy that. But as a Japanese, you know, to me, it's kind of the same thing again. Old Hollywood movies, they always used their mixed image of Japanese or Chinese or Korean or Vietnamese. It's a wrong stereotypical image of Asian people. So I cannot take it.(昔のハリウッド映画では、いつも日本人、中国人、韓国人、ベトナム人の混合イメージが使われていました。それはアジア人に対する間違ったステレオタイプのイメージです。だから私は受け入れられません)」と語られたという(英語版Wikipediaによる)。
 それならわたしは言うが、今のハリウッドでは日本人はあたかも「名誉白人」として、中国人や韓国人、ベトナム人とは差異化して、「白人」に近い容姿で描かれればいいとでもいうのか。日本人もアジア人なのだから、中国人、韓国人、ベトナム人らにも似ていると思われることもあるのだろう(わたしはそういうことはまるで思わなかったが)。ロシア人とイギリス人との見分けもつかないであちらの映画を観ているのが日本人ではないのか。わたしはこの作品で描かれる「日本人」は、特に戦中戦後、昭和時代の「日本人」像として納得の行くものだと思ったし、こういうところで普段「リベラル」なような顔をして、「日本人=名誉白人」のようなことを語る、実は反動的で心の底では保守派である(のではないかと思われる)人物こそ、排除されなければならないとは思ったりするのだ(もうこの方はこの世にいないからいいのだが、わたしの大っ嫌いな御仁ではあった)。

 あと、ラストのクレジットを見ていて、(どこで使われていたのかわからないけれども)1960年代のカルトバンド、「West Coast Pop Art Experimental Band」の曲が使われていたらしいのには驚いてしまった。ウェス・アンダーソン、やはりタダモノではないのだ。
 

2024-03-18(Mon)

 また新しい週が始まる。天気予報の言っていた通りに、昨日よりはずっと寒い朝だった。
 昨夜はわたしが寝るときからニェネントくんはわたしのそばでわたしと並んで寝てくれて、朝目覚めたときもわたしの上にいるのだった。わたしが寝てしまっているときに何をしているのか知らないけれども、「これから寝るよ」というとき、そして「目が覚めたよ」というときにわたしのそばにいてくれるのはうれしい。

 今日は天気はいいのだけれども、風が強い日になるということだった。いつもの月曜日のように「ふるさと公園」へと歩いたけれども、たしかに風はいくらか強いとはいえ、そこまでの「強風」というのでもなかった気がする(夕方にテレビで見た報道では各地で相当な強風が吹き、ブロック塀が風で倒れたり、トラックがひっくり返ったりしていたようだ)。
 この日の「ふるさと公園」は、先週1羽残っていたユリカモメの姿も見えなくなったし、コブハクチョウも来ていなくって、わたしが目にした鳥の種類は少なかったか。ムクドリオオバン、ドバトの姿が目立ったが、1羽のコサギが来ていたし、先週は数も少なかったカモたち、コガモカルガモらのカップルの姿が多く見られた。

     

     

     

 今日は芝生でドバトたちにエサをあげている人もいなかったので、わたしが芝生に足を踏み入れると、いっせいにドバトたちがわたしのうしろに集まってくるのだった。わたしへの「食べるものをちょうだいよ!」というプレッシャーが強いのだ。

     

 「ふるさと公園」からの帰り道、近くの道沿いにあるどうぶつ病院に立ち寄り、先週電話で注文してあった、ニェネントくん用のキャットフード(カリカリ)を買って帰った。
 以前、そのどうぶつ病院のお勧めで買ったキャットフードだけれども、あきらかにニェネントくんには「めっちゃおいしい」キャットフードらしく、毎朝、朝食に出してあげるときのニェネントくんの反応が、それまでとまるで違うのだ。もうニャンニャンないて「早くちょうだいよ」と催促する。それまで買っていたキャットフードの倍以上の価格なのだけれども、こんだけ反応が違うとやめることはできなくなる。いろいろと栄養値もいいのだろうし。

 この日もまた、駅前の小スーパーに立ち寄って、生麺のラーメンとかを買ってから帰路に着いた。
 帰りはいつもの「野良ネコ通り」を歩かず、ひとつ南側の道を歩いてみたが、歩き始めてすぐに、わたしの目の前50メートルぐらいのところを1匹のネコが道を横断するのが見られた。「今はこっちの道の方がネコも多いのかな。これからはこっちの道を歩こうか」などと思った。
 そのあと渡る跨線橋の風がこわかったが、被っているキャップを手で押さえ、何とか渡り切って帰宅した。

 午後からもういちど、ウェス・アンダーソンの『犬ヶ島』を観て、そのあとは今日から始まった「センバツ高校野球」をチラチラ見たりした。この日の試合はどれも、「手に汗握る」接戦、好ゲームだったみたい。
 高校野球も面白そうだけれども、ぜんぶしっかりと見ているとすっごい時間がかかってしまうのが難。
 その点、秒単位で勝負の決まる「大相撲」は、頭のわるい持続反応力のないわたし向きの競技だ(こういうこと書くのは、「大相撲」への差別になってしまうのかな?)。今場所は平幕の尊富士とか大の里の活躍が目立っているけれども、ここは優勝は貴景勝だろう、とか大胆な予想をしてみたい(別に貴景勝のファンではない)。この日、大関の豊昇龍にあっという間に勝ってしまった翠富士、そのインタビューはかわいかった。

 寝る前はパトリシア・ハイスミスの『アメリカの友人』を読み進めたが、今のところ、これはハイスミス作品でも「傑作」という展開だ。まさにじっさいに「あり得る」展開だし、ヴェンダースがこの作品を映画化しようとした気もちもわかる気がする(まあ、このあとどんな展開になるのかわかっていないで書いてるが)。
 

2024-03-17(Sun)

 今朝もまた、目覚めるとニェネントくんがわたしの胸の上で寝ていた。夜にわたしがベッドに行くときには、ベッドの外側、わたしの足元の段ボール箱の中で丸くなっているのだけれども、夜中のうちに、寝ているわたしの上に移動して来るのだ。

     

 成長をつづけている「猫草」、もう15センチを超える背丈にもなってきたし、そろそろニェネントくんにも「食べごろ」にもなったかと、ニェネントくんの食事トレイのそばに置いてあげた。
 ところがニェネントくん、猫草には見向きもせずに、まさに「ネコまたぎ」状態なのである。せっかく育てたのに、これはショックだ。やはり葉の先端がいちど枯れかけて茶色くなってしまっていることが、食欲をそそらないのだろうか。
 そのうち気が向いて食べることもあるかもしれないので、しばらく食事トレイのそばに置いておこうと思う。

 今日も気温の高い日になった。部屋にいてもセーターなしで過ごした。でも予報では明日からはまた気温が下がり、最高気温も今日よりも7~8度も低くなってしまうという。しばらくはそんな気温がつづくらしいので、桜の花の開花も少し遅れるのだろうか(たいていの開花予想では、21日だと予想しているようだが)。

 日曜日の朝はいつもとテレビの番組も異なるので調子が狂うのだが、毎日曜日、7時45分からは「さわやか自然百景」だ。この日は奄美群島沖永良部島周辺の冬の海。北の海から子連れのザトウクジラがやって来て、まだ産まれて間もない子どものザトウクジラが、お母さんクジラの周りで泳いだりする珍しい映像。産まれて間もないといっても、もう体長は3メートルを超えるのだ。
 もっとゆっくりと観たかったが、わずか15分の番組なので、そんな貴重な映像もあっという間に終わってしまう。取材ではもっともっと長時間撮影していることだろうに。

 日曜日で先週のまとめのニュース番組がつづくのだけれども、国会は参議院予算委員会で、自民党の「裏金事件」への追及がつづいている(もう「裏金問題」ではなく、「裏金事件」と、その呼称の重要度がランクアップしている)。共産党の小池議員が森元首相らの追加聴取を要求し、岸田首相も「森元首相も含めて検討する」との答弁だった。ここまで言っておいて、「やっぱりやらない」とはならないのではないかと思うが。

 ガザ地区の人道状況はさらに悪化していて、ユニセフは現段階で2歳未満の子どもの3人に1人が栄養失調の状態にあるとしているし、ガザ地区の支援物資配給所をイスラエル軍空爆したという。こんな酷い話は聞いたことがない。ネタニヤフ首相は、子どもたちや一般市民も殺戮すればまぎれてハマスも多少は倒すことが出来るとでも考えているのだろうか。

 あとのニュースは、アメリカのアカデミー賞で日本映画が受賞した話だとか、大リーグの日本人選手が結婚したとかのニュースばっかりで、もう見る気も起きないのだ。「買い物にでも行こう」とテレビを消して出かけるのだった。
 それでもって今日もまた、「豚なんこつ」を買ってしまったのだった。いったいどんだけ買えば気が済むのか、これでトータル9袋も買ってしまったのだ。コラーゲンをたくさん摂取して若返ろう!

       

 昼からは、ウェス・アンダーソン監督のストップモーション・アニメーション映画、『犬ヶ島』を観るのだった。
 先日、別のストップモーション・アニメ映画のことを「ストップモーション・アニメの良さを理解していない」、「CGと変わらないじゃないか」と批判したのだったけれども、この『犬ヶ島』はまさに「ストップモーション・アニメーション映画」の良さを生かした、楽しい作品だった。ウェス・アンダーソンらしい「小ネタ」も盛り込まれ、何度も観たくなるような作品だった。
 面白かったこともあり、明日もう一度観てみようと思う。感想もそのあとに。

 夕方からはテレビの大相撲中継を見て、6時からは「世界遺産」、そして7時半からは「ダーウィンが来た!」を見るというのが、だいたいの日曜日の過ごし方だ。
 寝る前に本を読もうとしたのだが、睡魔に襲われてしまい、ほとんど読めないままに眠ってしまったのだった。