ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-11-16(Wed)

 朝目覚めて、ベッドから起き出そうとしたら腰がめっちゃ痛かった。きのうおとといと、ようやく痛みもやわらいで来たなと思ってはいたのだが、この朝は異様な痛み。痛くてベッドから抜け出して起き上がることが出来ず、苦労した。歩くのも痛い。さらにリヴィングへ行って座ろうとするとまた、めっちゃ痛くって座れない。腰を横にずらせて何とか座ることが出来たが、正座などという座り方はとても不可能だ。
 「どんなになってるのよ」と、鏡で左の尻を見てみると、もう尻の左の側面は10センチ四方以上にわたって真っ黒なあざ(痣)なのだった。転倒した当初はこんなにはなっていなかったと思うが、これは凄い。
 やはり病院へ行かなければならないかとは思うが、ウチのあたりの整形外科病院は、先日「脳神経内科」で行った総合病院か、北のスーパーのさらに向こうにしかなく、どちらも普通に歩いて20分ぐらいかかる距離だし、今の状態ではとてもそんなに外を歩けはしない。「タクシーを呼ぶしかないか」とは思うが、とにかくは今日は安静にしておいて経過をみようと思う。っていうか、安静にしていても「痛み」はけっこうあるのでツラい。
 これは「打撲傷」なわけだが、その初期には患部を冷やすのがいいらしいが、もう十日ぐらい経っているわけで、この段階では温めた方がいいらしい。「それでは」と風呂に入ると、若干楽になった気がする。

 昼は先月の「家計簿」を決算してみたが、食費もいつも以上に抑えたし、あんまり余計なものを買わなかったこともあって、今までにない「低支出」ではあった。これは先月の突然の「失業」ということにもよるのだろう。水道光熱費は計算していないが、それ以外の食費などの出費は5万円以内でおさまった。水道光熱費だって合計しても2万円ぐらいのものだから、トータルしても驚異的な低支出。これなら「生活保護」を受けていても貯金できるレベルではないのか。まあこの11月は病院とか通っているし、あちこち出かけたし、それ以上に炊飯器、買い物用のカート、コンデジなどなど買っているし、ぜったいにこんなレベルではおさまらないのだ。

 腰の痛みもあるし、今日は一歩も外に出なかった。新しいコンデジでいろいろ撮影してみたかったが、室内でニェネントくんを撮っただけになってしまった。何枚か撮ってみて、けっこうブレるし、ピントも合わないなあという印象はある。この一枚はきれいに撮れた一枚。

     

 あれこれカメラをいじくってみると、どうやら露出も多少は調整出来るようだし、いろいろと使い勝手は多いようだ。「使用説明書」にそのあたりの詳しい説明はまるで書かれていないのは「どうなのか」とは思うが。

 腰が痛いこともあり、午後からは「午睡」。何か面白い夢を見ていたようだけれども、目覚めてすぐに忘れてしまった。ただ、横になっていたのが良かったのか、腰の痛みは少し和らいだようで、そのあとは正座も出来るようになった。このまま快方に向かってくれればいいが。

 夜寝る前に、読むのを中断していた『キャッチ=22』の上巻を、ついに読み終えた。まだまだ下巻もあるし、今は読みかけの大岡昇平の『武蔵野夫人』も投げ出したままだ。今日は映画も観なかったが、これからの「ロング・ヴァケーション」、もうちょっと映画を観て、本を読むという「日常」を取り戻したいと思う。
 

2022-11-15(Tue)

 今日は「燃えないゴミ」の収集日。ついに壊れたデジカメも捨て、古い炊飯器も捨ててしまった。あとはニェネントくんのネコ缶の空き缶、そして空きペットボトルだが、こ~んなにペットボトルがたまるものだとは、ちょっと自分でおどろいてしまった。以前仕事に出ていた頃は駅のゴミ箱や自販機の横のリサイクルボックスに捨てていたし、そもそも自宅ではほとんどペットボトル飲料は飲まなかったから、こんなには貯まらなかったのだった。思ったよりもたくさん飲むものだなあと、びっくりだった。

 そして実は昨日、新しいデジカメを注文していて、この午前中には早々と配達されていた。
 先日壊れてしまったデジカメと同じものを買おうと思っていたのだが、けっこう価格が上がっていたもので、同じメーカーのもうちょっと安いものにした。

 デジカメと言えば今は「デジタル一眼レフ」「ミラーレス一眼レフ」、そしてもっと小型の「コンパクトデジタルカメラ(今はコンデジと呼ぶらしい)」などがあるけれど、わたしはそんなにレンズ交換できるようなプロ仕様のカメラはいらないし、バッグの中にすんなりと入ってどこにでも持って行ける「コンデジ」がいいのだが、そのあたりのことはよく知らないが、そんな「コンデジ」も今は人気が高いようで、いい値段になっていてびっくりする。十万円以上の品もざらにあり、わたしにはとても手が出せない。前に持っていたコンデジも、新品ならば5万円以上の価格がついている。まあスマホのカメラ機能より「ちょっと上」ということで需要もあるみたいだけれども、そのうちにスマホにけっこう追いつかれてしまうだろうかとは思う。

 買った新しい(といっても「中古」ではあるが)コンデジは、とにかく小さい。そして軽い。前のコンデジよりひとまわりは小さいというか、これならばこれからの時期はジャケットのポケットに難なくすっぽり収まってくれるだろう。
 前のコンデジと同じメーカーの製品なので、取り扱いにそんなに違和感はないのだが、残念なことに、前のコンデジのバッテリーは使えないのだった(予備のバッテリーは買っておかなくっちゃならないな)。あまり露出などをいじることは出来ないようで、前のようにクリアな月の写真は撮れないことだろう(「夜景モード」というのがあるだけだ)。

 その新しいコンデジでの一枚目は、もちろんニェネントくんを撮った。何も考えないでシャッターを押したらフラッシュが炊かれてしまったが、不満はない。

     

 昼食に、新しい炊飯器で炊いたご飯で「チャーハン」をつくってみた。パラッとしたチャーハンがつくれるご飯が炊けれるようなら、炊飯器としてまずは「合格」であろう。
 うん、とってもおいしいチャーハンをつくることができたので、すっごい満足である。考えてみれば、このところ美味しい炒飯がつくれなかったというのも、炊飯器が劣化していたせいではないかと思うのだった。

 食事のあとは、昨日観た『羊たちの沈黙』のDVD収録の「特典映像」、「迷宮の中へ」という一時間のドキュメンタリー、そしてメイキング映像などを観た。次は何を観ようかなあ。わたしの目の前に『エクソシスト』と『ブレードランナー』のパッケージが並んでいる。このどっちかにしようかなあ。
 そのあとは「大相撲中継」を見たが、引退して年寄・秀ノ山となった元大関琴奨菊(好きだった)がゲストで出演していた。これが断髪して体重も落ちてか顔もスッキリし、見違えるようなイイ男に変身していたのにおどろいてしまった(マスクしてるから確かなことは言えないけれども)。
 

『羊たちの沈黙』(1991) トマス・ハリス:原作 ジョナサン・デミ:監督

 もちろん、むかし鑑賞したことのある映画ではあるが、今となっては(わたしの「記憶障害」もあり)ほとんど記憶していない。そういうところで「初めて観る映画」と変わりはない。でも、とっても面白かった。この複合して重層的なストーリーは原作に内包されていたものなのだろうけれども、それをあからさまに前面に出さずにおいたあたりにこの作品の「成功」があるのかな、とも思う。

 もちろん、バッファロー・ビルという変態シリアルキラーを探り出し、拉致されている女性を救い出すという喫緊の問題はあるのだけれども、観ているとこの劇構成として、ヒロインのクラリススターリング(ジョディ・フォスター)とハンニバル・レクターアンソニー・ホプキンス)、そしてクラリスFBIの上司であるクロフォード(スコット・グレン)との微妙な三角関係物語、とも読み取れる。
 レクター博士は連続殺人事件解決のために自分のもとに派遣されたクラリススターリングから、彼女を派遣したクロフォードはクラリスと「関係」を持ちたいと望んでいるのではないかと推測するが、映画の展開はその推理は外れてはいなかっただろうというところをみせる。

 死体発見現場にクラリススターリングと共に到着したクロフォードは、奇妙な気遣いをみせてその場にいた男性の保安官、警官らを排除するのだけれども、そのあとにわざわざスターリングに「あれはおまえを気遣ってのことだった」と語り、マイナス点を稼ぐし、ラストにスターリングにレクターから電話がかかってきたとき、電話口に向かうスターリングを呼び止め(その電話がレクターからのものとは知らなかっただろうとはいえ)、まあ言ってみれば「邪魔」をするのである。
 しかしスターリングはレクターとの「面談」で彼女の内面について問われ、レクターへの執着は強くなっている。
 決定的なのは、レクターが警備の薄い「にわか刑務所」に移送されたとき、スターリングはクロフォードの指示ではなく自分の意思でレクターに面会することで、ここでこの映画の白眉である二人の「対話」がなされ、タイトルの「羊たちの沈黙」とは何か、ということが観る側にも明らかにされる。そういうところでは、クラリススターリングにとって、ハンニバル・レクターとの対話は、FBIでの身体的「訓練」を越えた、その内面の「精神的成長」を促すものではあったのだろう。

 その「白眉」の対話シーンの撮影、そしてアンソニー・ホプキンスジョディ・フォスターの演技は素晴らしいもので、特にアンソニー・ホプキンスへの演出、そのライティングとか素晴らしいものだったし、アンソニー・ホプキンスの「まばたきもしない」演技も「強烈」なものだったと思う。

 もちろん、そういう「背景」にプラスして、本題の「シリアル・キラー摘発」というストーリーがまた緊迫感満点の演出で、これは楽しめる作品だった。
 

2022-11-14(Mon)

 ずっとしばらく、転倒して強打した腰が痛かったのだが、転倒から一週間を経てだいぶ痛みも引いて来たように思う。もう右腰はほとんど痛みはないし、左腰もずいぶんと良くなった。まだベッドから起き上がるときなど痛みがあるが、もうちょっとの辛抱かな、とは思う。

 今日こそは、今日こそは市役所へ行って「自立支援医療制度」の申請を完了したいと、早い時間に家を出た。もちろん家を出るときには細心の注意を払い、「忘れ物」のないようにした。
 前回と同じように駅まで歩き、そこからバスで市役所へ行く。今回は忘れ物もないので、市役所の窓口でもスムースにことが運び、けっこう時間もかからずに申請を完了した。ただ「これは」というのは、提出したクリニックからの「診断書」のコピーを取っておかなかったことで、まだこれから活用できると思っていた「診断書」だっただけに、残念なことをしたと思った。

 市役所からの帰りも前回と同じく、バスで駅まで戻り、そのあと電車でひと駅地元駅まで乗り、駅前のスーパーでちょっと買い物をした。そしてそのあと、久しぶりに「ふるさと公園」へと足を伸ばして帰った。どうやら身体の調子はとってもいいみたいで、けっこう歩いたけれどもそこまでに身体の不調、疲れは感じなかった。

 この日の「ふるさと公園」の外には、オオバンが群れていた。しばらくオオバンたちの姿も見なかった気がする。

     

     

 代用にしている古いデジカメは、ズーム機能のミニマムかマキシマムかしかダメっぽいので、この写真はどちらもマキシマムのズームでの撮影。
 公園の中に入ると、カルガモの姿が見られた。

     

 このカメラでズームを「ミニマム」にして撮ると、この公園はこ~んな感じではある。この中間値での撮影は、ほぼ不可能ではある。やはり使いにくいカメラだし、新しいデジカメを買おうかとは思っている(写った写真だけを見ればそんなに悪くもないのだが)。

     

 帰宅してご飯を炊き、炊き上がるとまだまだいっぱい残っている「おでん」で昼食にした。

 さて、わたしもけっこう元気になったなあとは思うのだけれども、今考えるとまるで読書をしなくなってしまったし、映画なんか長いことな~んにも見てはいない。それで何か映画を観ることから「リハビリ」にしようかと思い、持っているDVDから何か観ることにした。
 とにかくは「記憶障害」というか「健忘」というのか、ど~んな映画にせよ、しっかりとそのストーリーや内容を記憶している映画などない。ただな~んとなく「こんな映画だったよな」という気分を記憶しているだけである。

 それで、「リハビリ」なのだから、いきなり七面倒くさい映画を観るのではなく、もっと娯楽性の高い映画を観ようと思い、今日は『羊たちの沈黙』を観た。
 う~ん、久しぶりの映画、面白かったですね。

 映画のあとは大相撲の中継を見て、夕食はまたまた「おでん」である。まだもう一回分のおかずになりそうな量の「おでん」が鍋に残っていたけれども、がんばって全部食べ尽くして満腹になってしまった。
 

2022-11-13(Sun)

 米がなくなってきたので、北のスーパーに買い出しに行く。5キロの米を買って持ち帰るのは大変なので、ついに先日買ったカートを使うことにした。
 カートを持って外に出て進むと、なるほどこれは「歩行補助」にはならないなと痛感した。「歩行補助」にするためには、わたしの前にカートを押して進めるようにして、その取っ手に手を添えて身を預けるようにしなければ補助にならないのだが、そうやって自分の前にカートを置いて進めると、そのカートの車輪の左右の動きが固定されているもので、すぐにカートが右や左にぶれてしまい、まっすぐには進んでくれないのだ。これは自分の後ろに引いて歩くしかなく、まるで「歩行補助」の役には立たない。まあこのところ体調も良く、歩いてふらつくこともないのでかまわないが。

       

 それで米を買ってカートに入れ、帰路に着くとこれまた結構扱いにくく、もう決して自分の前に押して進むことは出来はしないのだった。これは重い荷物を積むとカートを支えるポールが途中で折れ曲がる構造になっているからで、引いて歩くしかないのである。
 まあそれでも5キロの米を運ぶとかいうのでは確かに楽で、まさに「カート」としての購入になってしまったか、というところ。使い道がないわけではないからいいが、そ~んなに買い物のたびに引きずって行くなどということもしないだろう。ちょっと「高い買い物」だったかな。
 買い物の途中で、咲いていた花の写真を撮った。何という花なのかはわからない。

       

 この日は「おでん」をつくった。まあ「つくった」というのはほとんどウソで、ただ出来合いの材料を鍋に入れて温めるだけ、みたいなお手軽惣菜である。ただ「仕込み」には力を入れ、ダイコンは先にたっぷり煮込んで、白いところが見えなくなるまで煮た。トータルで40分ぐらい煮込んだのではないかと思う。あとはジャガイモも5~6分、先に煮込んでおいた。
 昨日から使い始めた新しい炊飯器で炊いたご飯で昼食にしたが、これはかなり美味しかった。ダイコンもいい具合の煮え具合だったし、何よりもジャガイモの下ごしらえがうまくいって、ぜったいに煮崩れはしないという硬さでジャガイモの旨さも引き出され、おでんには最適のあんばいだったと思う。

 昼食のあと、昨日の「ウィークエンドサンシャイン」の録音してあったビートルズの「リボルバー」特集を、USBをパソコンにつなぎ変え、パソコンからテレビに飛ばしてテレビの音声でひととおり聴いた。
 ウチのオーディオはまったく高級品ではないのだが、普通に聴いても低音が響きすぎ、「ちゃんと聴ける」という音量まで上げると、ちょっと近隣から苦情が寄せられるレベルになってしまうわけで、普通に音を楽しむには今日のようにテレビの音声で聴くのがいちばんいい(そりゃあ低音には不満はあるが)。

 わたしがそうやって音楽を聴いているあいだ、わたしの後ろでニェネントくんが、昨日買った炊飯器の空き段ボールの中にもぐり込んでまどろんでいた。やっぱりネコくんたちは段ボール箱が好きなんだなあ。昨夜は「引きこもり」になってしまって心配したニェネントくんだったけれども、この日はいつものような「元気」なニェネントくんに戻ってくれて、わたしもひと安心したのだった。

 さて、この日からは大相撲の九州場所が始まった。これから二週間、毎日楽しめるのだ。わたしは栃ノ心さえ勝ってくれればいいところがあり、日ごとに一喜一憂なわけだ(泣)。この初日は隆の勝との対戦で、いちどは土俵際まで攻め込まれたあと反撃、見事に勝利したものと思え、テレビの前で手を打って喜んだのだったが「物言い」がつき、攻め込まれたときに栃ノ心のかかとが土俵を割っていたということで、軍配がくつがえされ、敗戦となってしまった。がっくりではあった。

 実は昼に仕込んだ「おでん」は鍋からあふれるほどのけっこう膨大な量で、この夕食はもちろん、明日の昼食も夕食もこの「おでん」で、ということになりそうだ。
 それでこの夕食も「おでん」になったわけだけれども、ひとつヤバいこと。それは昨日の夕方に新しい炊飯器で炊いたご飯を、保温しておいてこの夕食に食べたのだけれども、コレが加熱され過ぎて水分が飛んでしまい、うつわの際の部分の白米がカパカパになってしまっていたことだ。これはちょっと食べられない。前の炊飯器は24時間保温もまったく問題はなかったのだけれども、この炊飯器は夕方に炊いた米は翌日の昼食が限界みたいだ。そのあとは炊飯器から出して保存しないといけないだろう。
 

2022-11-12(Sat)

 昨日はある意味「究極のミス」をしてしまい、もっと気分が落ち込んでもいいようなものだけれども、この日はけっこう明るく過ごせた一日だった(まあそれこそ「能天気」、いや「脳天気」になってしまったのかもしれないが)。ひとつには朝から今までになく体調も良かったことで、昼前に北のスーパーへ買い物へ行ったときも、足元がふらついたり転倒しそうになったりはしないのだった。

 もうひとつ良かったのは、この朝、毎週土曜日に聴いているピーター・バラカン氏ナヴィゲートの「ウィークエンドサンシャイン」が、ビートルズの『リボルバー(Revolver)』の特集だったことだろうか。これは先月末に日本でもリリースされた「スペシャル・エディション」の発売に合わせたもので、プロデューサーはジョージ・マーティンの息子さんのジャイルズ・マーティン。この「スペシャル・エディション」はネット上でも絶賛されている。ちょっとわたしも欲しいなあと思ったが、CD5枚組の「コンプリート盤」だと2万円を超えてしまう。まあ2枚組も1CDというのもリリースされているのだが。
 実はわたしがビートルズのすべてのアルバムで今でもいちばん愛好しているのが、この『リボルバー』なのではある。
 このアルバム、まずはジョージがソングライターとしてめざましい進歩を見せたわけだし、ジョンの曲などでの彼のギターのキレの良さも、まだ「ロック音楽」という意識のない「ポップ」として最高のプレイだったと思う(まあ、もう「ロック」だと言ってしまっていいのだが)。そしてそのジョンの曲がまた、ポップ音楽の「ラブソング」を越えた、キレッキレの自己主張をみせているわけだ。ポールは彼らしいリリカルな美しいメロディの楽曲を聴かせ、ジョージ・マーティンとのタッグでいろいろな楽器を導入させ、以後の進展を予測させる。それでリンゴだが、実はわたしはこのアルバムでのリンゴのプレイは「スゴい」と思っている。
 そういう、わたしの大好きなアルバムを朝から聴いて、元気にならないわけがない。

 「炊飯器」がダメだね、ということは書いたけれども、実は昨日Amazonに注文して「新しい炊飯器」を買い、早くもこの昼には配送された。
 箱を開けて出してみると、思いがけずも今まで使っていた炊飯器と同じデザインで、「あれれ」と思ってみると、前のと同じメーカーの製品の同じシリーズの小型版なのだった(前のは5.5合炊きだったが、新しいのは3合炊きなのだ)。買うときにはそういうこと意識していなかったのだが。

 さっそく夕方からこの炊飯器で米を炊き、昨日つくってあった残りの「白菜とブロッコリー、トマトの煮込み」で夕食にした。ちょっと惣菜の方があまりに味が落ちたので、「新しい炊飯器で炊いた白米」の味がどうこうとはいえないが、昨日だったら惣菜の不味さに引きずられて、「不味くって食べられないよ」となったところだっただろう。

 この夕方は、なぜかニェネントくんがリヴィングでパソコンの前にすわっているわたしのそばに寄って来て、わたしに向かって「にゃあにゃあ」と、何かを訴えるように啼くのだった。わたしに何かを訴えていることは確かなのだけれども、わたしはニェネントと12年もいっしょに暮してきた今もまだ、ニェネントの「ネコ語」を解さない。
 「な~に、何が欲しいの? 何をしてほしいの?」と聞くがわからない。何か体調が良くないのだろうか。近くに来たニェネントくんを膝の上に抱き上げ、からだをなでてあげ、ニェネントくんの顔を手のひらでおおってやると、ニェネントくんは前足をしっかりとわたしの腕にまわし、自分の方に引き寄せようとする。
 わたしのみた感じでは特に身体に悪いところもないように思えたが、夜になって寝るとき、いつものようにベッドの脇で寝たり、ベッドの上にあがってわたしのそばで寝たりしないで、押入れの奥のニェネントくんの「隠れ家」に引きこもってしまっていたので、やはり心配になってしまった。どうしたのだろうか?

     

2022-11-11(Fri)

 11月2日に市役所へ「自立支援医療制度」の新規・再開申請に行こうとして、家に大事な書類を忘れて市役所へ行く前にウチに戻ったりしたのだったが、今日はそのリベンジでまた市役所へ行くことにした。
 駅までは20分ほど歩き、そのあとは駅前から出ているバスに乗って市役所へ着いた。入り口にある各部署の配置図をみて「わたしはどこへ行けばいいのか」とバッグの中を見ると、なんと! またも大事な書類一式すべてをウチに忘れて来ているのだった。
 ウチを出る前に、封筒の中に必要書類を確認しながらすべて入れ、その封筒さえ持って出ればよかったのに、肝心のその、いちばん大事な封筒を忘れて来てしまったのだ。

 いったい何回こういうことを繰り返すのか。もうこれでは「認知症」と判断されてもしょうがない。
 いささかなりと自分の呆けぶりにあきれ果て、もう涙も流すような気分で帰路に着く。
 気分転換に市役所の近くのスーパーでちょびっと買い物をして、またバスで駅に戻る。ここから先を歩いて帰るのもいいが、距離もあるし、こちらの駅から自宅までの道は「いい景色」というわけでもないし、ネコもいない。
 それでひと駅だけ電車に乗って、いつもわたしが使っている駅に出た。こっちでも駅前のいつものスーパーで買い物をして、ウチまでゆっくりと歩いて帰った。この日は足の調子は悪くはない。

 「野良ネコ通り」に通りかかると、「ヒゲ殿下」がいつものようにクルマの屋根で休んでなくって、畑の奥を歩いている姿を見た。「ヒゲ殿下」の歩く姿を見るなどというのは、めったにあることではない。

     

 しかし、使っていたデジカメが壊れてしまって引っぱり出した古いデジカメは、やっぱり扱いにくい。まずは「ズームイン」「ズームアウト」が固定出来ないというか、操作すると最大倍率とか最小倍率へと「ズームイン」「ズームアウト」されるわけだけれども、「このズーム位置がいい!」とそこでストップしようとしてもストップしてくれず、最大か最小まで行ってしまうのだ。何とかズームボタンを途中で押したりしてようやっと「撮りたいズーム」に固定出来たと思うと、今度はピントが合わないのである。
 やはり、新しいデジカメを買った方がいいように思う。

 帰宅すると、わたしが忘れて行った「重要書類」は、ちゃんとパソコンの上に置いてあった。なんということだ。家を出るときにチェックしないわたしなのだ。「認知症」なのだからしょうがないかね。

 夕方、窓の外の夕焼け空の色がきれいだったので、窓を開けて写真を撮ってみた。これまた一苦労したし、色合いがいいとも思わない。

     

 そんな風に、窓を開けて写真を撮っていると、ニェネントくんが「お! 窓が開いてますね!」と外に出ようとわたしのそばに寄って来るもので、あわてて窓を閉めて撮影は中断した。

 しかしわたしはそのとき、あわてたもので窓の鍵をかけないままにしてしまっていたのだった。
 それからしばらくして、フッと窓の方を見やると、ニェネントくんが自力で窓を開けたらしく、その窓の隙間から外へ跳び出ようとするところだった。もうわたしには止められない。

 外に出てしまったニェネントくんを部屋に戻そうと、窓を大きく開けたままにして、わたしも外に出てニェネントくんを追う。
 以前だったら、外に出てしまったニェネントくんは隣家の庭にまで行ってしまうようなやんちゃぶりを見せてくれたけれども、最近はウチの周辺からあまり離れたところまでは行こうとしない。「ウチからあまり離れない方がイイ」との知恵をつけたのだろうか。
 そこまでに苦労せずにニェネントくんは部屋に戻ったが、これからは窓の施錠にはもっと注意深くしないといけないな。まさかニェネントくんは窓のところにいくたびに「今日は窓は開くかな?」と試してみてるとも思えないけれども、そこは人間にはわからない「ネコ知恵」があるのだろう。しかし、いくら施錠されていないとはいえ、あの窓を自力で開けてしまうっていうのは、けっこう力持ちなのだな。