ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-11-10(Thu)

 自分の体調が壊れてしまったのと同じように、わたしの身の回りの品も、この今になってあれこれとダメになって来ている。

 まずは「炊飯器」だ。しばらく前から「この炊き上がりはあんまりではないのか」とは思っていたのだけれども、やっぱりヒドいことになってしまっている。
 ちゃんと米は炊けるのだけれども、炊き上がった米にはムラがあり、「半煮え」みたいに、米粒に炊き上がっていない「芯」が残っていたり、そうでなければ炊け過ぎというか、一粒一粒がパラリと分離して炊き上がらず、べっちゃべちゃになってしまう。ぜったいにチャーハンなんかつくれないだろうな。というか、「米」としてまったく美味しい炊き上がりではない。
 わたしは多少は自炊でまずい料理(おかず)をつくってしまったとしても、「ご飯」の炊きたての米の味にまぎらせて「ま、いいか!」という食事をしていたわけだが、その「ご飯」自体がまずいとなると、いくらクッキングにがんばって「美味しいおかず」をこしらえても、この「ご飯」のせいで食えなくなってしまうのだ。
 調べてみたら、この炊飯器を買ったのは6年半ぐらい前のことで、「炊飯器の寿命は6年ぐらいね!」というネットの記述に合致している。メカ的に「電源が入らない」とか「炊けなくなる」などということではなく、「炊けるけど不味いよ」という劣化の仕方というのも、一種「老化」だね、という感想になる。ま、新しい炊飯器を買わないとならないだろう。

 そして次は、デジカメが壊れてしまった。これはひょっとしたら先日わたしが転倒したときに、バッグにしまってあったデジカメもぶっつけてしまったせいかとも思うのだけれども、電源ボタンを押すと正常ならばレンズ部分がグインと前面に飛び出してくるわけだけれども、それが外部の構造に邪魔されて出て来れず、「カタカタカタ」と音を立ててレンズを前に出そうとするのだけれども、それが出来なくって電源が落ちてしまう。
 これは内部構造的な故障ではなく、外のフレームが歪んでしまったせいのことだと想像出来るわけで、「これは自分で修理出来るだろう」と、細いネジ回しなどを持って来てあれこれやってみた。
 レンズ部の手前の円形のフレームを取り外してみると、ちゃんと正常に起動して、「ほら見たことか」とは思ったのだが、それでまたその円形フレームをつけ直してやると、またダメになってしまった。

 ‥‥こうなるともう、わたしの手には負えないところだった。もうちょっとうまく修理すれば復帰した可能性は大きいけれども、そこまでの能力はわたしにはなかった。
 「これはもうダメだね」と思ったが、このデジカメを買ったのは1年半前のことで、その前まで使っていた同じメーカーのデジカメは、まだ保管してあったのだ。その古いデジカメは特に大きな故障があったわけでもなく、取り出して使ってみると普通に使えた。「なんだ、こっちを使えばいいじゃないか」とは思ったが、実はやはりその古いデジカメには「不具合」があり、いろんな設定をしようとすると設定画面がクルクルと変わってしまい、特定するのがむずかしいのだった。このせいで画像を削除しようとして、「全画像」を削除してしまったこともあったのを思い出した。
 やっぱり新しく買い直した方がいいかな、とAmazonで検索してみると、もうこの機種は「製造中止」になっていて、残っているモノはけっこうな価格になっていた。調べてみると、1年半前にこのデジカメを買ったときもそのくらいの価格はしていたようで、「わたしもずいぶん太っ腹で買ってしまったのだな」と感心してしまった。今回もまた、「太っ腹」で行ってみようか?

 ということで(ということもないが)、この日は何もしなかった。国分寺のクリニックへ行く連絡を取るとか、やることはいろいろとあるというのに。

 あと、外を歩くのが不安だということもあって購入した、買い物用のカートが到着した。まあ単純に「歩行補助」というのではなく、いろいろとお買い物の役には立ちそうに思う。例えば5キロのお米を買ったときなどに役立つだろうし、北のスーパーの「リサイクルステーション」へ不要な本などを持って行くのにも使えると思う。今の「歩行障害」が解決しても、役立ってくれるモノと思う。
 その、古いデジカメで買ったカートを撮影してみた。

       

2022-11-09(Wed)

 この日は国分寺の<てんかん>専門クリニックに、「処方薬のカルバマゼピンが悪さをして副作用の<障害>が出ている可能性があるのです」と連絡し、早急に通院しなければというコマンドがあるのだけれども、この日は水曜日でクリニックは「お休み」なのだった。

 相変わらず、日曜日に転倒して強打した腰が痛み、寝ていて起き上がるときなどツラい。特に左側の腰の痛みが大きいけれども、右側にも痛みはある。まあ何度も転倒しましたからね。
 右頬にも転んだときに出血した傷跡が残っていて、まださわると痛みがあるし、日曜日に履いていたスラックスの右膝には穴があいてしまい、ナチュラルに「ダメージドパンツ」になってしまっている。けっこう気に入っていたスラックスだっただけに惜しい。

 今日は昼前に郵便局へ行き、「元:勤務先」へ、先日の回答への返事のレターパックを送った。これで早ければ今週中にも、わたしは大金を手に入れるのだ(まあ「大金」などというものではないが)。
 とにかくはわたしはどう考えても今は「就労不能」なので、つまりは当面の「生活費」として受領するしかない。まあすぐに消えてしまうことだろうが。

 書いているように、このところ自分の歩行が不安定なので、「それって、歩行補助用の<買い物カート>を買えばいいんじゃないか」と思い、Amazonでいろいろと検索してみた。まさに「歩行補助用」というのはデカくって、いかにもいっしょに歩くと「障がい者」っぽいので抵抗もあり、そこまで「歩行補助用」というのではなく、あくまで「買い物カート」メインの、それでも、「あれば身体の支えになるのでは?」というカートを注文した。
 とにかくは「歩行補助用」のカートよりは圧倒的に安かった。まあ到着してみないと、「わたしの歩行補助」に役立つものかどうかはわかるだろう。まあ「歩行補助」の役に立たないとしても、買い物には大いに役立ってくれそうだ。例えば米の5キロパックを買うときなど、ぜったいに役立つだろう。

 ニェネントくんは、わたしがたいていは一日中ウチにいるようになったので、きっと「あれれれれ?」って思ってるんじゃないかと思う。前よりもわたしのそばにいることが多くなり、わたしが和室(寝室)からリヴィングへ移動するとき、リヴィングから和室に移動するとき、必ずわたしについて来る。夜はわたしが寝ている布団の上にあがって来て、わたしと並んでずっと寝ている。下手したら一晩中わたしといっしょに寝ているんじゃないかと思うが、この夜はわたしが寝ている布団の上でゲロを吐いてくれたのであせった。

     

 ‥‥ネコという動物は、「嘔吐」ということを日常的にやらかす動物で、たいていは「消化出来なかったもの」を吐いたり、「毛づくろいして呑んだ毛玉」を吐いたりで、ニェネントもそんなネコの一匹なのだろうけれども、「ヤバい」嘔吐というのもあるわけだから、気を配らないといけない。でも今のところニェネントは、十年以上もこ~んな生活なので、実のところわたしはそんなに心配してはいない。まあ「どんなゲロを吐いたか」はその都度チェックはするけれども。
 しかし、この夜の「布団の上での嘔吐」にはまいった。
 

2022-11-08(Tue)

 (しばらく、この日記は「非公開」にしていましたけれども、わたしの精神状態もよろしくなったようで、「まあいいや」ということで、また一般に公開することにしました。)

 今日は近隣の「脳神経内科」のある総合病院へ診察を受けに行くつもりでいて、歩くのが不自由と思えるわたしを心配して、娘が付き添ってくれるとの連絡もあった。

 午前中にその病院の受付に電話して話を聞くと、どうやらやはり、「紹介状」なくしての初診というのはけっこうむずかしいようで、そもそもこの日火曜日の午後には「脳神経内科」の診察はないということだった。
 がっかりして、いちどは娘にも「今日の受診は無理なようだ」と連絡を取ったのだけれども、このままではずっと診察を受けられない可能性もあり、他の近郊の「脳神経内科」のある病院を検索したところ、その行こうと思っていた医科大学の附属病院のすぐとなりに、「脳神経内科」もある結構大きそうな総合病院があるのだった。
 「なぜ最初の検索でこの病院を見つけなかったのだろうか」と、自分の「検索能力」をいぶかしくも思ったが、とにかくはその病院へ電話してみて、「初診だと予約の患者が優先されて待たされるかもしれないけれども、この日は午後なら脳神経内科の診察もあるので、問題はない」ということだった。
 娘に連絡して、午後からいっしょにその病院へ行くことにした。娘にはわたしの「歩行障害」の話もしてあるので、駅からタクシーで来てくれ、そのまま病院までタクシーで行くと。

 午前中、やはり昨日の「元:勤務先」からの「満額回答」がうれしくもあり、担当してくれた方にひとことお礼も言っておきたく、その労働基準監督署に電話し、最初に面談してくれた方を探していただき、「あなたにサジェストしていただいた通りに請求したら、全面的に認められました」と、わたしの喜びを伝えた。
 わたしは、こういうことを担当していただいた方に伝えるのは大事なことだと思っている。今は一般に、思い通りの対応をしてくれなかった相手をディスるというか、批難することこそ一般的になっているようだけれども、そうではない、今回はわたしひとりでは思いつかなかっただろう「対応策」を提示してくれて、それが見事な成果を生んだのだ。
 まあ「公的機関」ではあり、「やってくれて当たり前だ」という見方もあるのかもしれないが、個別の事案に対して明確な対応策を出してくれるのは大変なことだろう。そしてその(相談しない限り、わたしが思いつきもしなかったであろう)「対応策」が見事に実ったのだから、わたしはやはり「お礼」を伝えておくべきだと思ったのだ。電話口の、先日面談していただいた方からも「よかったですね」との言葉をいただいたが、この「よかった」というわたしの気もちは、電話口のその担当の方と共有したかったことなのだ。話をしていて、その方にもわたしの気もちが伝わったようなので、わたしも満足して電話を切った。ありがとうございました。

 昼を過ぎ、1時すぎに娘がタクシーで迎えに来てくれた。そのタクシーに乗り、病院到着。「眼科」も「歯科」もある、けっこう大きな総合病院だ。待ち合いのロビーもカラフルな椅子が置かれ、悪い感じではない(まあ入っただけで「悪い感じ」という病院もないだろうが)。
 さすがに「初診」はけっこう待たされ、ようやっと診察を受けるのに2時間ぐらいは待たされた。担当医に自分の病状を説明し、「パーキンソン病」ではないかと疑っていると語ると、やはりそれは自分勝手な診断で、「何でも自分で決めてしまう方なんですね」って言われてしまった。
 CTスキャン検査を受け、その結果でも「異常」は見られなかったし、つまりは先日久しぶりに「側頭葉てんかん」のクリニックへ行き、そこで処方された薬品「カルバマゼピンテグレトール)」の「悪い」副作用なのではないか、ということだった。
 カルバマゼピンは「側頭葉てんかん」を抑える、古くから使われている「特効薬」(治療薬ではなく、あくまでも「発作」を抑える薬)なのだけれども、「副作用」も大きい。グレープフルーツがダメなことを代表していろいろとあるのだけれども、たしかに言われてみると、先日久しぶりに国分寺のクリニックへ行って、その「カルバマゼピン」を処方してもらい、それを服用し始めてから今回の「障害」が始まっているわけだから、話として整合性はある。
 けっきょく、国分寺のクリニックへ再訪して、「カルバマゼピンの副作用が出ている可能性があるのです」と告げることがまずいちばんにやることだろうということ。
 ‥‥なるほど、納得である。

 もう4時半ぐらいに病院を出た。ずっと付き添ってくれた娘には感謝しかない。当初の思惑通りにとなりの医大付属病院へ行っていたならば、「初診」で7700円取られていたから、トータルで一万円ぐらいかかっていただろうけれども、おかげでその三分の一ぐらいで済んだ。よかったよかった。

 この病院から駅までは歩いても10分もかからないので「歩けるよ」と言って、娘といっしょに駅まで歩いた。わたしにはとってもうれしい「至福」の時間ではあった(あとになってみれば、もっともっといろいろと話したいこともあったのだが)。
 駅で娘と別れ、わたしも「こういうときぐらいは」と、駅前のタクシー乗り場からタクシーを拾い、自宅までタクシーで帰った。う~ん、タクシーを自分で拾って乗るなどというのはいつ以来のことになるか? おそらくは5年以上のスパンになるのではないかと思う。うん、タクシーは乗り心地よかった。

 この夜は「皆既月蝕」だった。わたしも月蝕の始まる時間とかに外に出て、写真を撮ってみた。

     

     

2022-11-07(Mon)

 仕事に出ていないとはいえ、けっこういろいろなスケジュールがわたしを待ち構えている。今、喫緊の問題はひとつにわたしの体調であり、もうひとつは先月の解雇後の「元:勤務先」との折衝ではある。
 今日は、先日その労働問題で高田馬場の「労働基準監督署」に行き損ねたこともあったので、まずはもういちど高田馬場の「労働基準監督署」へ行って問題を突き詰めることにして、明日には「身体状態」問題解決のために近隣の病院へ行こうとの予定を立てた。

 そういうことで、9時過ぎに家を出て、高田馬場の「労働基準監督署」へと向かう。もちろん先日のようなナンセンスな「忘れ物」は繰り返さないように、充分に気をつけて出発。この日も「小春日和」というか、好天である。

 労働基準監督署に到着し、本来だったら「予約」してから訪れなくてはならないらしかったが、とにかくは前回とはちがう方との面談をしていただく。
 前回の相談内容から、「こういう行動を取ったんですよ」と、その「元:勤務先」へ送付したファクシミリを提示してみたけれど、「こういうのは郵送でなくてはならないですよ」と言われ、「それはそうだったかもしれない」とは思うのだが、いろんな面で前回の相談内容とは異なることを言われたので、「だったら前回の面談でそういうことを言ってくださればよかったのに」とか言うと、けっこう詰めた内容の話を聞かせていただいた。
 まずは、わたしの住まいの市の市役所でも「労働問題相談」をやっているそうで、そこでは「あっせん」へ向けてのしっかりした経路が示されるだろうということ。こういうことは前回に話してくれればよかったのに。「弁護士に仲介してもらって」ということでのプラクティカルなことも話を聞き、大変に参考になった。わたしとしてはまずは、その市役所でやっている「労働問題相談」を受けることから次のステップになることだろう。

 「有意義な面談だった」と思いながら帰路に着き、帰宅してからその市役所での「労働問題相談」の件を調べてみると、確かにそういう「年金・労働相談」の相談会は実施されているのだが、それは月に一度、「第二水曜日」のみということで、なんと、それは「あさって」なのである。あわてて担当窓口に電話してみるが、受付の午後三時を若干過ぎていたこともあり、そのあさっての相談会にわたしが参加できるかどうかは今は返答できないので、明日の午前中に折り返し返答するということだった。
 ここでその「相談会」に参加できないと、次の12月の「相談会」まで一ヶ月待たなくってはならないから「深刻」ではある。「なんとかならないかな」と願う気もちである。

 しかし、明日はなんとか病院に行きたいとは思っているし、あさってには市役所へ行かなくってはならなくなるか。いそがしいことだ。

 その時点で、ケータイにこの朝から知らない方からのメールが届いていたことを思い出し、まあそういう「知らないメール」というのはしょっちゅう届くわけだから放置していたのだけれども、気になってそのメールを見てみると、なんと、そのメールはわたしの「元:勤務先」の管理部部長からのメールで、その内容はなんと、わたしがファクシミリで要求した内容を全面的に認め、当時の社員の対応を詫びるものだった。つまり、「満額回答」ではあった。

 正直言って、「驚愕」した。もちろんわたしの「要求」は理にかなったものではあったし、認められるべきだろうとは思っていたが、自分の発想ではあのような要求はぜったいに出て来なかったわけだし、そういうことでは今日の「労働基準監督署」で応対していただいた方よりも、前回「労働基準監督署」で面談して下さり、「これは契約期間中の賃金を請求出来ますね」とサジェストして下さった方のおかげである。

 というか、えらいのは、泣き寝入りしないで「これからどんな方策が取れるか」と考え、「労働基準監督署」に相談に行ったわたしなのであろう。
 まあ実際のところ、わたしの今の「身体状態」は就労を継続出来るような状態ではなく、こんな騒動がなくってもわたしは「退職」という道を選ばざるを得なかったかもしれない、とは思うだけに、喜びはなおさらである。
 これであさっての市役所での「労働問題相談会」へ参加する必要もなくなった。

 あとはわたしの「身体状態」のこと。明日行こうと思っている病院のことを調べ、「初診」でも大丈夫だろうと確認した。
 このあたりの経緯(いきさつ)を娘に知らせたら、娘はわたしの明日の通院に付き添ってくれるという返答を得た。うれしいことである。

 今日はその高田馬場からの帰り、自宅駅から「野良ネコ通り」を歩いて、車の屋根でくつろいでいる「ヒゲ殿下」の姿を見れた。う~ん、なんだかわたしと同じように「気分良さそう」だ。

     

2022-11-06(Sun)

 それでこの日は10時ごろから、我孫子駅手賀沼公園周辺で昨日今日と開催されている「ジャパン・バード・フェスティバル」へと出かけた。体調は万全とはいいがたく、大事をとって「お出かけ」はやめようか、とも考えたのだが、けっきょく出かけてしまった(これは「大失敗」だったとは言えるが、自分の病状を早くに認識するという意味では、「良かった」とも言えるだろうか)。

 公園の会場に到着してみると、やはりかなりの数の人たちが集まっていた。

     

 いろいろなテントの出店が出ていたのだが、そこまで珍しいものも出されていなかったようだし、やはりちょっと価格が高いのだ。
 手賀沼のほとりに行ってみると、望遠レンズをセットしたカメラをかまえている人たちが、ズラリと並んでいた。まるで「撮り鉄」みたいだな、などとは思った。

     

 そして肝心の手賀沼の方では、あまりに多くの人が集まって騒々しいためか、一羽の水鳥の姿も見かけられなかった。

     

 さて、ここからがヤバいのだが、会場を歩いていたわたしは、前のめりに制御出来ずに転倒してしまったのだった。これは先日、コンビニの前で倒れたときと同じ状態だった。やはりそばを歩いていた人から「大丈夫ですか?」と声をかけられた。

 ここで無理して徒歩で帰ろうなどとせず、タクシーを使ってさっさと帰ればよかったのだけれども、しばらくその場で椅子に座って休むと回復したようでもあったので、そのまま徒歩で帰るのだった。
 そして徒歩で帰る途中、ウチまであと500メートルぐらいのところで、またまた連続して2回転倒してしまった。このときは右頬を強く打ち出血した。口も強く打ち、前歯に痛みが走った。メガネも「割れたか?」と思ったのだったが、こっちは無事だった。

 これはもう、完全に「病人」である。何とかゆっくりと歩いて帰宅したが、立っていると今にもぶっ倒れそうだ。
 先日、救急車を呼ばれたときにつづいての「歩行障害」なわけで、「もう何がどうあっても入院治療しなければならないだろうか」とも思い、ネットで調べてみたのだが、わたしの「自分で制御できない歩行障害」というのは<突進歩行>と呼ばれているようで、この症状は<パーキンソン病>に特徴的にみられる症状だという。

 その<パーキンソン病>について調べるのだが、これは「入院治療」するようなものではなく、<側頭葉てんかん>と同様に、薬物で発症を抑えることしか出来ないみたいだ。
 ならば早く病院へ行って診てもらおうとは思う。まあ「<パーキンソン病>ではないか?」というのは、あくまでわたしの勝手な「自己診断」だから、病院へ行ってみたら「即入院ですね」と言われることもあり得るのだが。

 病院を調べると、これは「脳神経内科」で診てもらう疾病なのだけれども、自宅最寄りの駅の向こう側の「医大付属病院」に「脳神経内科」はあるのだった。あまりそんじょそこらにある「科」でもないので、ラッキーと言えばラッキー。
 わたしは当初この病院は「紹介状」がないと診察してもらえないのかと思っていたが、その病院のHPをみるとそういうことではないようだった。それと、この病院では<てんかん>も診てもらえるようで、それだったら<てんかん>は国分寺、<パーキンソン病>は地元と分けて受診するのもおかしなもので(双方影響し合っているだろうから)、もしもこれからその地元「医大付属病院」で今回の症状を診てもらうなら、いっしょに<てんかん>もこっちの病院で診てもらった方がいいだろう。先週水曜日にこの日記に書いた問題が、もっとリアルな問題として迫って来たようだ。まあとにかくは、まずはその「医大付属病院」へ受診に行くことから始まるだろう。
 

2022-11-05(Sat)

 朝起きるのがつらい。それは「まだ寝ていたい」からというのではなく、「また、何をするでもない長い一日が始まるのだ」という思い、「絶望感」に近いものだ。

 クリニックから送られて来た「診断書」に、「2年前の旅行のことを憶えていない」と書かれていて、「わたしは2年前に旅行などしてはいない」と反発したわけだったが、今日この日記で検索してみると、なんと2年前には「あいちトリエンナーレ」を観るために、ちゃあんと「旅行」していたのだった(ほんとうは一泊する予定が、台風接近のために日帰りになったようだったが)。
 これはショックだった。って、こういうことをクリニックの主治医先生に話したという記憶もないのだが、「診断書」にそのようなことが書かれていたということは、その名古屋行きのことを先生に話をしていて、そのあとにそのことを記憶していないということが、主治医先生にわたしとの面談で認識された、ということなのだろう。
 まあわたしは今でも「認知症」という診断には疑問もあるけれども、こういうところでの「記憶障害」というのは確かなことだろうとは思うしかない。

 おとといは午後から、サブスクでフレデリック・ワイズマン監督の『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』を観始めたのだけれども(むかし一度観たことのある作品だが)、観ていて途中で眠ってしまっていた。もうちょっとこう、娯楽性の高い映画を選べばよかったのに、とは思う(ほんとうは『巨大生物の島』というのを観たかったのだけれども、配信が終わってしまっていたのだった)。

 そもそも、これまでに観た映画を記憶していないということでは、この日記の「おさらい」というカテゴリーを閲覧してみると、もうほとんどの映画のことを記憶してはいないのだ。まさに「記憶障害」ということなのだが、そんな中で意外と記憶している映画もあって、それはその映画を観終えたあとで、別のこととリンクさせて憶えているような作品なのだった。
 どうもそういうあたりに「記憶」の要(かなめ)があるようにも思え、これから先の「生き方」のヒントになるかもしれない、などとは思うのだった。

 この日は、昼近くになって北のスーパーへ買い物に出かけた。朝食代わりのバナナ、そしてウィスキーなどなど。
 このスーパーでは前の週までは、千円以上の買い物をすると百円のポイントがつくということをずっとやっていて、「ま、うまく買い物すると一割引きに近いね!」という気分でもあったのだけれども、それがなんと、「千円以上の買い物で五十円のポイント」と、半額にされてしまっていたのだった。なんということだ!とは思う。

 スーパーからの帰り道、ウチのすぐそばで茶トラのネコがいるのを見た。このネコは以前、早朝にわたしが出勤で家を出たときに出会ったネコにちがいない。

     

 帰宅して昼食を取り、ネットを閲覧していると、今日と明日と、東の駅前とか手賀沼公園周辺で、「ジャパン・バード・フェスティバル」というのが開催されているらしい。
 まああんまり人が集まるイヴェントは避けたい気もちもあるけれども、このところまったく歩くことも少なくなったし、「鳥」は好きだから、散歩がてら「行ってみようか」とは思うのだった。
 

2022-11-04(Fri)

 これからはあまりにもネガティヴなことを書くと思うから、もうこの「日記」を公開するのはやめようと思う。自分自身の感覚として、今のわたしの状態は「うつ」と言ってしまっていいのだろうと思う。

 この日は高田馬場労働基準監督署へ行って、先日のその後のことを伝え、どこまで労働基準監督署が協力してくれるのかを探ろうということでもあったのだが、午前中に準備して家を出て、その途中目白駅でなぜか途中下車し、持ち物をチェックしたらば、この日の面談でいちばん大切な書類を持って来るのを忘れていた。直前まで、「これを持って行かなくっては」と、新しいクリアファイルに入れ直していたというのに。
 先日、「自立支援医療制度」の件で市役所に行こうとしたときにも大切なものを忘れてしまっていて、やはりこれは「認知症」の症状だと言われてしまっても仕方がないと思える。

 ぐるりと常磐線~山手線~また常磐線と巡回して自宅駅に戻り、自宅に戻ると、ちゃあんと机の上にその書類を入れたクリアファイルが置かれていたのだった。

 もう何もやる気も起きず、ぐったりと午後を過ごしたが、実はもうひとつ、昨日の夕食のために炊いた白米が「炊き方の失敗」なのか、米に芯が残ったような炊き上がりで、まったく美味しくはなかったのだった(食べるのにも苦労するレベル)。それはわたしが炊飯器にセットするときの水加減のミスではないかという気もして、もしもこういうことも「認知症」ゆえのことだったとしたら、ちょっとばかし「重症」ではないかと思えるのである。

 わたしが思うのはニェネントくんのことで、ひょっとしたら早い時期にわたしはニェネントくんと別れなければならないとは思う。
 それでどうなるのか。ニェネントくんはまるで「野良ネコ」と同じように「保護」され、けっきょくは処分されてしまうことになるのだろうか?
 そんなことは我慢が出来はしない。今考えたのは、今できるのはFacebookの友人知人とかに「わたしの状態」を知らせ、「万が一のときにはニェネントくんを引き取ってもらえるでしょうか?」と皆に問い合わせることだろうか。今考える中では、これがいちばんの「良策」ではないか、とは思える。

 今日の写真は、無駄に電車に乗っての帰り、途中の跨線橋の上から見えた「チョウセンアサガオ」の花。