ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-10-10(Sun)

 金曜日に行けなかった水戸芸術館ピピロッティ・リスト展だけれども、あと一週間の会期、「やはり行きたいなあ」と考えると、わたしのスケジュール的にはこの木曜日、14日ならば行けるだろうかと思う。もう長いこと、仕事の通勤区間以外のところには行っていないので、いいかげんにその外に動きたいとも思う。何とか実現させたい(昨日今日の土曜日曜はネット予約優先のようで、ネット予約しないで優先されない状態で行くとどうなるかわからないので、とても行けなかった)。

 そうやって金曜日には前の日の地震の影響で乱れまくった電車の運行だけれども、この日にはまたまた、埼玉の蕨にあるJRの変電所で火事があり、都心を中心に午後から大幅に電車がストップしてしまい、そのあとも遅延がつづいたらしかった。こんな日にお出かけしなくってよかったというか、「COVID-19禍」が落ち着いたみたいだからといって、浮かれて「お出かけ」とか考えるではないぞよ、という声がどこかから聞こえてくるみたいだ。

 そういえば、昨日と今日とは日が暮れる頃に月と金星、そしてさそり座のアンタレス星とが並んでみえるというのを思い出して、7時ごろに外に出てみたのだけれども、もう今の季節は「日が暮れる頃」というのは6時とかもっと早い時間のことで、7時というのはもうとっくに日も暮れてしまっている。かろうじて地平線近くに月の姿は見られたけれども、あたりに金星とかの明るい星は見られなかったのだった。いちおう月の姿は撮影したけれども、これはスマホではきっと「真っ暗け」の絵になってしまうことだろう。

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 今日は夕方から、テレビで「キャンディーズ」の特集みたいなのをやっていた。わたしはてっきり、当時の後楽園球場での「解散お別れコンサート」を放映するのかと思っていたのだが、そうではなくキャンディーズの「解散まで」の歩みを追った「回顧映像」なのだった。ちょびっと期待が外れたが、それでも観てしまった。
 わたしはキャンディーズ現役当時から、コメディエンヌ的才能もあって、それでいてちょびっと大人じみた雰囲気もあるミキちゃんが好きだったのだが、やっぱりこの日古い映像を見て思ったのは、それぞれの楽曲での軽い振り付けでのダンス(踊り)でも、ミキちゃんは実にキレッキレというか、「全身で踊っている」という感じで素晴らしいのだった。腕の上げ下げ、その角度、腰あたりでの重心の移動、足のステップ、み~んな素晴らしい。
 そして、唯一彼女がセンターで歌った「わな」という曲が、キャンディーズらしくもなくちょびっと大人っぽいし、ここでのミキちゃんの歌唱もいいのだ(ランちゃん、スーちゃんの絡みも)。曲調は日本的なのだけれども、この曲での3人はどこか「ソウル」っぽい(「スリー・ディグリーズ」かよ、ってか)。惚れ惚れとしてしまった。

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 そんなキャンディーズ番組のあとは毎週のように「世界遺産」を見て、そのあとは「世界ネコ歩き」。もちろん再放送だが、この回はモロッコのマラケッシュ。前にみたイスタンブールで撮られたドキュメンタリー映画猫が教えてくれたこと』でも強く思ったことだけれども、どうしてここまでに、ムスリムの人たちはネコにやさしいのだろうか。そして、ネコとの優しい関係を築けるのだろうか? この一点で、わたしはムスリムに惹かれてしまうことがある。

 ‥‥今日はまるで、本は読みませんでした。
 

2021-10-09(Sat)

 昨日、働きすぎたのだろうか。今日は朝からぐったりしていて、一日ずっとゴロゴロとしていた。一歩も外には出なかった。
 それでこの日はずっと、一昨日到着した本を読んでいたのだった。書くこともないのでこの本のことを少し書くけれども、おそらくはたいていの人にとって、興味のない本だろうとは思う。そもそもが洋書だし。

 その本はRose Simpsonという人の書いた『Muse Odalisque Handmaiden (A Girl's Life In The Incredible String Band)』といい、去年イギリスで刊行された本である。

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 この本について説明するとすっごく長くなるだろうけれども、まあ今日は書くこともないのでちょっと書いてみようと思う。辛抱して下さい。
 まず、この本のタイトルを訳せば、『Muse(文芸を司る女神)、Odalisque(ハーレムに仕える女奴隷)、Handmaiden(侍女)』というところだろうか。副題の「A Girl's Life In The Incredible String Band」のIncredible String Bandとは、1960年代後半から70年代初期にかけて、イギリスでカルト的な人気があったフォーク・バンドである。著者のRose Simpsonは、そのIncredible String Bandに1968年から1971年まで在籍したメンバーであった。
 ほとんどの人は知らないだろうけれども、Incredible String Bandは1969年夏の、あのウッドストック・フェスティヴァルに出演したバンドでもあった(もちろん、映画『ウッドストック』には登場しないのだが)。

 やはり軽く、そのIncredible String Bandのことを書かなくてはならないだろうけれども、このバンドは今でもわたしが最も愛するバンドではある。中心メンバーはRobin WilliamsonとMike Heronの二人で、バンドのレパートリーは基本この二人それぞれの書いた曲によっていて、この二人は「Lennon=McCartney」に匹敵するソングライティング・チームとまで言われていたのだ。彼らの2枚目のアルバム、「5000 Spirits or The Layers Of The Onion」と3枚目の「The Hangman's Beautiful Daughter」(このレコード・ジャケットにRose Simpsonが写っている)は当時のイギリスの音楽シーンに大きな影響を与えた。Paul McCartneyも彼らの音楽を愛したし、Rolling Stonesの「Their Satanic Majesties Request」は、Incredible String Bandの影響のもとに製作されたという。アメリカでもBob Dylanが彼らの曲を絶賛したこともあったのだ。シタールやウードなど、その他諸々さまざまな民族楽器を駆使した音楽は、それこそ「ジャンル分け」も不可能なような魅力を持っていたと思う。その曲を、2曲ほど紹介いたしましょう。

 2曲目の「Creation」は、わたしが最初にこのバンドの音楽に夢中になった「きっかけ」のような曲で、長いのを我慢して聴いていただければその最後のところで、「どうしてこうなるの?」という奇怪な展開をお楽しみいただけるかと思います。

 彼らのプロデューサーが、かつてPink FloydSoft Machineにも関わり、Fairport ConventionやNick Drakeをも手掛けたJoe Boydだったということも、BeatlesのプロデューサーがGeorge Martinだったことに匹敵する重要なことだったとは思う。
 しかしこのあと、Incredible String Bandのメンバーらは、あの「サイエントロジー」にどっぷりとはまり込んでしまう。このことは「ドラッグ・カルチャー」の路線として「そういうことにもなるだろう」ということではあるけれども、当時のロック/フォーク・バンドでここまでに「サイエントロジー」にはまり込んだバンドというのも空前絶後ではあった(ちなみに、先に書いておけばこの本の著者のRose Simpsonはそんなバンドの指向に違和感もあり、1971年にバンドを脱退するのだが)。

 Incredible String Bandの、「ウッドストック」での舞台は「悲惨」だった。ほんとうは金曜の夜、Joan BaezやMelanieらフォーク・シンガーが多く舞台に上がる日に出演の予定だったのが、降り始めた雨のため、(このときには電気楽器の使用にこだわっていた彼らは)翌日の昼に出演を延ばしたのだが、彼らの前後はCanned HeatだとかKeef Hartley Bandとかのブルース系だったし、そもそもその時にIncredible String Bandがやった曲は、「サイエントロジー」のプロモーションだといわれてもしょうがないような曲だったりもした。う~ん、やっぱり、Crosby, Stills and Nashが夜の舞台であれだけ映えたこともあるし、Incredible String Bandらも「金曜日の夜」の舞台だったなら、もう少しは注目を浴びたのではないかとも思ってしまう。
 このときのウッドストックの舞台は、YouTubeで検索すれば見れるのだけれども、そこには「動くRose Simpson」の姿も見られるだろう。
 この時期、Rose Simpsonはベースギターを学びはじめ、そのレコードで卓越したリズム感を披露しはじめることにもなり、のちにSteve Winwoodは自分のソロアルバムに、彼女を「ベース・プレイヤー」として招いたという(そのときには彼女は音楽界からリタイアしようとしていたこともあり、実現はしなかったが)。下がその、ウッドストックでのバンドのライヴ映像っす。「どこのヒッピーたちがまぎれ込んで来たねん?」という空気感満載ですが、聴く人が聴けば「こいつら、タダモノではない」とおわかりいただけるでしょう。

 さらに困ったことに、Incredible String Bandは翌1970年、サイエントロジー思想と自らの音楽とを統合し、「音楽とダンス」との舞台「U」というのをぶち上げる(この舞台のサントラ的な2枚組のアルバムもリリースされたが、わたしは好きなアルバムではあるし、Roseの素晴らしいベースギターを聴くこともできる)。まあBeatlesでいえば「Magical Mystery Tour」的なものではあったのだろうか。ここまでは彼らの「サイエントロジー」への傾倒に苦々しい思いを抱きながらもプロデュースに付き合っていたJoe Boydはこの舞台を観て、「Disaster!」との言葉を残してついにプロデューサーをリタイアし、時を同じくして、Rose Simpsonもグループを抜けた。
 しかしその後もグループはメンバーをとっかえひっかえしながら、かつての「魔術的サウンド」を失いながらも、より「ロック」に近接した4枚のアルバムをリリースし(中にはわたし的には好きなアルバムもある)、1974年に解散するのだった。

 Robin WilliamsonとMike Heronはバンド解散後もソロ・キャリアを積み重ね、ときどきはIncredible String Bandの再結成みたいなこともやっているようだし、Mike Heronは小さなライヴハウスでの日本公演もやった。もちろんわたしも行ったけれども、「この人、あのウッドストックの大舞台にも立った人なんだよな」と思うと、何か感慨深いものがあった(もっと、メンバーのもう一人の女性だったLicoriceについても書きたかったけれども、めっちゃ長くなってしまうので彼女については今日は書かない。別の機会に書くかもしれないけれども)。

 ‥‥長々と書いてごめんなさい。それでこの『Muse Odalisque Handmaiden』の本にようやく戻るけれども、シニカルなタイトルに読み取れるように、当時(今も?)の音楽シーンの中での「女性」の立ち位置にも言及されているだろうか。
 Rose Simpsonはグループ脱退後に大学へ行き、ドイツ文学の博士号を取得し、一時期のネットでの記述ではスコットランドのどこかの町の町長だか市長になったということも書かれていたと思うが、今はそういう記述も見つけられないので、「誤り」だったのだろうか。
 しかしおそらくはこの本は、単純に「わたしは昔は有名なバンドのメンバーだったのよ」ということではなく、もっとジェンダー的な、フェミニズム的な視点から、当時の音楽シーンへの「批判」も書かれているのではないかと思う。わたしはペラペラとめくって読んでみて、やっぱり「わからない単語」が多いというか、わたしの英語力でスラスラと読めるような本ではない(もちろん、わたしの英語力ではどんな本だろうが「スラスラ」と読めるわけもないのだが)。

 今日はとにかくは「辞書を使わないで」どのくらいわかるかと読み進め、大学の登山部のリーダーだったRoseが、登山部の拠点だった山小屋がまたRobinとMikeがよく訪れるスポットだったことから、彼らと知り合うところ、「The Hangman's Beautiful Daughter」のジャケットを撮影するところまで読んだ。まだこのあたりまでは読みやすいか。
 

2021-10-08(Fri)

 朝起きて、テレビをつけてみると、いつものような「トラムの旅」だとか、動物ドキュメンタリーの切り貼り映像ではなく、なんと!「たき火」をするその火種、燃える木の枝を延々と映した映像がつづくのだった。「意表を突かれた」というか、「やられたなあ~」という感じだった。こういう映像が嫌いなわけではないけれども、ずっと見つめつづけるようなことはしないな。
 パソコンをつけてみると、昨夜の地震はけっこう大きな被害が出ていたことがわかった。都内や千葉県でケガ人も出たというし、地震の時点でたいていの電車はストップし、「帰宅困難者」があふれたらしい。
 それでは「この朝も電車は動かないのではないのか」とも思ったが、Yahooの報道ではどの線も異常なく運行しているという(って、まだどの鉄道も始発電車が動く前の時間なのだが)。

 とにかく、出勤の準備をしていつもの時間に駅に行ってみるのだが、駅の改札の前に駅員らしい人が3人いて、やって来る乗客に「今、電車は動いていません」と告げていた。なんということ。
 しかし、5時には運行が始まるということだったので、それだったらいつもわたしの乗る電車は4時55分発なわけで、そんな大差があるわけでもない。とりあえず改札を通り、ホームへ行ってみた。
 意外なことに、ホームには電車が来ていてドアが開いていて、出発を待っているという感じだった。これはあとでわかったのだが、つまり昨夜の地震でこの電車はこの駅のホームでストップしてしまい、そのまま夜を明かしたということらしい。つまりわたしの乗った電車は、昨夜10時40分ごろに都心へと向かうはずだったのが、ホームで夜を明かして大幅に遅延したあげくのことだったようだ。
 とにかくはいつもの座席に座って、動き出すのを待ったのだけれども、5時に動き出すという予定は遅延し、どうもまだまだ動き出しそうにない。しばらくは本を読んでいたけれども、「じゃあ、寝ましょうか」と目を閉じた。ときどき、車内アナウンスで「さらに出発は遅延する」と言っているのが聞こえた。
 そのうちにようやく動き出したのだけれども、時計を見ると6時15分で、つまり1時間20分遅れである(この電車に限っていえば8時間ぐらいの遅れになるんだろうけれども)。
 駅に着くたびに待たされていた人たちが続々と乗ってくるし、「安全確認」もあるのだろう、電車のスピードはいつもの半分ぐらいのもので、ひと駅間が5分以上かかる。ふつう、わたしの乗る区間の所要時間は45分ぐらいなのに、今日は1時間半はかかった。そして、車内は「超」満員。こ~んな満員電車に乗ったのは何十年ぶりのことだろうね。まあわたしは隅っこに座ってるからそこまで影響はないけれども、降りるときに「無事に降りれるか」と心配した。

 けっきょく、職場に着いたのはもう8時も過ぎた時間だった。遅れることは会社にSMSで伝えてあったけれども、職場にはうまく伝わってなかったようで、「アイツは来てないぞ!」となっていたらしい。
 もうひとりの同僚がわたしの仕事も少しやってくれていて助かったが、基本的にはだいたいの仕事がそっくりそのまま、手つかずで残っている。2時間近い遅延はハードだった。「もう、今日はこの仕事はパスしよう!」というのは飛ばしてやっても、いつもより遅くまでがんばったのだった。

 しかし、本来だったら今日は仕事のあと水戸まで行って、水戸芸術館ピピロッティ・リスト展を観るつもりだったのだが、仕事を終えた時間でなんとか、わたしが帰路に使う常磐線の各駅停車は復旧していたというか、普通に電車も運行されていたのだが、さて水戸へ行こうとすると、その常磐線の快速はまだまだ30分以上の遅延があり、運休される便も多いらしかった。少なくとも3時ごろまでは正常には戻らないだろうと。
 むむむ、それはやはり行けないな。せっかく予定を立てていたけれども、今日の水戸行きはパスするよりないだろう。とにかくは今日は疲れたし。

 そういうわけで、帰りはひと駅乗り越して駅に近い大きなスーパーに立ち寄り、昼食用にお弁当を買い、それと今週は「かみなり」と「地震」とつづけて恐怖に見舞われたニェネントくんの慰労のため、ニェネントの好きなサーモンとかいっぱい入っていた「刺身の切り落とし」などを買った。

 帰り道、空には秋っぽい雲、そしてまだまだギラギラしている太陽とが見られた。

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 途中の民家の前に、きれいな花が咲いているのが目にとまって撮影した。花の咲き方とかアジサイっぽいけれども、色は鮮やかだ。

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 帰宅して調べると、これは「ランタナ」という植物らしく、日本では「シチヘンゲ」とも呼ばれているらしい。花の色がどんどん変化していくのでこういう名がつけられたらしいが。
 本来は南アメリカ原産の熱帯~亜熱帯の植物で、Wikipediaによると東南アジアとかオーストラリアでは広範囲に野生化し、「やっかいな雑草」とされているらしい。いわゆる「侵略的外来種」なのだけれども、日本では冬を越すのがむずかしい植物らしく、そういう「やっかいな」野生化の問題は起きていないようだけど、これから先「温暖化」が継続すれば、いったいどうなることやら。

 帰宅して、わたしは買って来たハンバーグ弁当で昼食にし、しばらくしてから、ニェネントくんの夕食には「ぜ~んぶ刺身!」というぜいたくな食事を出してあげた。4種類ほどあった「刺身」で、やっぱりニェネントは真っ先に「サーモン」に食らいつき、「キミはどんだけサーモンが好きなんや!」ということが、たしかに立証されたのだった。
 わたしの夕食は、そんなニェネントくんの刺身の残りをいただいたのだった。わたしはニェネントくんの<しもべ>なのだから、いただけるだけでもありがたいことである。
 

『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017) チャン・フン:監督

 「光州事件」については、ある程度の知識はあった。しかし、ここまでに当時の韓国国内で「光州」だけが「Out of Limits」的に見られていたことはわからなかったし、軍隊が「自国民」に対して銃器を構え、「水平撃ち」をするという恐怖は、やはりこの映画によって初めて知り得たことだろうか。

 この映画がいいのは、何といってもその脚本にあるだろうと思う。ストーリーとしては完璧に「巻き込まれ型」であり、主人公のタクシー運転手は映画の初めでは「大学生は勉強してろ!」と、光州での反体制デモに否定的な意思を示すし、彼には「守るべき」幼い娘がいる。しかし、ただドイツ人ジャーナリストを光州まで連れて行き、また無事に帰ってくれば10万ウォンを得られるということにとびつく。なんとか光州にたどり着き、そこで彼とドイツ人ジャーナリストを助けようとする複数の人と出会う。
 ここまでで注目すべきは、そういったタクシー運転手とドイツ人ジャーナリストを助ける人々が誰もが、体制への「NO!」を語るような、反体制な人物ではなかったということだろうか。そういう意味で、この作品はうまく「政治性」を逃れているのではないか、という見方も出来るだろう。特に、通訳をやる学生がとってもいい。

 ただ、さいごにそのタクシー運転手がドイツ人ジャーナリストに「連絡先」を問われ、とっさに偽名を彼のノートに書きつけるというのは、そこで自分の本名を告げれば、あとあと「ヤバいこと」になるのではないかという、彼(タクシー運転手)のとっさの判断があったわけだろう。
 けっきょく、この邦題に反して、「約束は海を越えそこなう」わけだけれども、リアルな世界では、この映画のおかげでそのタクシー運転手の「実像」はあらわになったということもあったらしい。

 映画的にみれば、「室内での照明をもうちょっと‥‥」とかの感想もあるけれども、とにかくは「人と人とをつなぐヒューマニティー」を説得力を持たせながらも描いているということで、この映画を観る人がこの映画の主張を見誤ることはないだろう、というパワーを受け止めることになる。
 

2021-10-07(Thu)

 朝(早朝)、家を出ようとして、「待てよ? 今日の降水確率は?」と見てみると、「雨」という予報は出ていないのだけれども、降水確率は20パーセントぐらいになっていた。「それはヤバい数値ではないか」と、バッグの外に放り出してあった折りたたみ傘をバッグに入れて出かけた。たしかに空には星も見えず、雲が空を覆っているみたいだ。
 勤務先駅で降りて外に出ると、弱い雨が降っていた。「やっぱりね」という感じだ。

 駅前の信号を渡ろうと青に変わるのを待っていると、わたしの目の前を道路沿いに、白いちょっと大きめの鳥が飛んで行くのだった。シラサギとかそういう鳥の羽ばたき方ではなく、からだも太め。わたしは「カモメ」の種類の何かだろうと思った。当然、カメラを取り出して撮影できるような状況ではなかったが。
 このあたりはJRの線路に沿って「濠」もあるので、その濠に沿って飛んで来たりしたのだろう。やっぱり「カモメ」なのではないかと思う。

 空はこの日は一日曇天で、ずっと「今にも雨が降り出しそう」という天気だった。

 仕事を終えての帰り道、いつもの「野良ネコ通り」で、昨日につづいて「ハナクロ」くんに出会った。駐車してある車の屋根の上で寝そべっていた。

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 もうちょっと先に歩いたところで、珍しく「トンボ」が葉っぱにじっと留まっているのに出会った。トンボを写真に撮る機会もめったにないので、喜んでカメラを向けた。

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 コイツが種類がわからないのだが、とにかくは「ヤンマ」系ではないし、「赤トンボ」類でもないだろう。もちろん「シオカラトンボ」でもないのだが、調べた感じでは「ウスバキトンボ」という種類ではないのかと思う。けっこうよく見られる種類らしいが、わたしはこのトンボの種類のことは知らなかった。

 そしてこの日も、昨日久々に出会ったワンコくんにまた出会った。というか、普段この家の庭の奥のところにいるとは知らなかったので出会えなかっただけの話で、「そこにいるのだよ」とわかれば、しっかりと出会えるのだ。う~ん、可愛いワンコだなあ。

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 今日はまた「イカゲソの天ぷら」を買って帰ったので、昼食は最近のわたしの大好物、「とろろそば」プラス「イカゲソ天」である。なんか、この程度のもので「なんて美味しいんだろう」と感じてしまうのもわたしの「貧しさ」ではないかとも思うのだけれども、やはり、「なんて美味しいんだろう」とは思ってしまうのだ。

 夕方は「GYAO!」で『タクシー運転手 約束は海を越えて』を観た。1980年の韓国の「光州事件」から、実話をもとに撮られた作品。映画の根底に流れる、ヒューマニティーへの信頼に心打たれる作品だった。

 夕食は生トマトでソースをつくったスパゲッティですませ、そのあとはさっさとベッドに行って、本を読みながら寝てしまったのだけれども、夜中に「地震」で目が覚めた。最近の地震はいつも、まずはスマホに「警報」が来たあとに「揺れ」が来ていたように思うけれども、この夜は揺れるのと警報とがだいたい同時だったように思う。
 わたしは「そこまでに大きな地震でもない」と思ったのだけれども、じっさいは震源地も千葉県北西部と近く(ウチだって「千葉県北西部なのだが)、東京や埼玉では震度5強にもなったらしい(このあたりは震度4だったみたいだ)。
 地震で目が覚めると、そばのキャットタワーの上にいたニェネントが「揺れ」にうろたえてしまっていたので、「大丈夫、大丈夫」とあたまをなでてやった。
 しかし、今週は「かみなり」そして「地震」と、ニェネントの「苦手」「怖い」の2連発。ニェネントくんには受難の週になってしまった。
 

2021-10-06(Wed)

 水曜日なので、仕事の終わったあとに歯医者へ行く。先週抜歯してしまった右下はそのままにして、これからしばらくは左下の歯の修繕作業になる。毎回、治療の前に今の治療の内容を説明してくれ、「聞いておきたいことはありますか?」と聞かれるので信頼できる。というか、そういうのはあったりまえのことなのだが、前の歯科医ではこういうこともやってくれなかったのだった。とにかくは、医者をチェンジしてよかったことだとは思う。

 この日の治療を終えてちょっと遅くなった帰路、「野良ネコ通り」でまずはハナクロくんに出会った。わたしがハナクロくんに出会うときは、いっつもハナクロくんはデレ~ッと寝そべってばかりだけれども、この日もやっぱりゴロリと地面に伏せっていた。これからは過ごしやすい季節だから、ゆっくりと養生していただきたいものだ。

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 今日はそのちょっと先、駐車場にとめられた車の上に、ヒゲ殿下もいらっしゃった。「なんだよ~」という感じでわたしを振り向いた、その目つきがたまらない。やはり、「殿下」ではあろう。

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 ウチの近くまで来ると、スズメたちが群れていた。カメラを構えてちょっと近づくと、み~んな警戒して近くの屋根の上に避難してしまった。それでも、屋根の下から撮影することが出来た。

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 さらにウチのそば、以前わたしのお気に入りのイヌを飼われていた家のところまで来ると、庭にそのイヌがいるのに出会えた。
 しばらくそのイヌの姿を見ていなかったので、「どうしたのかな~」と気にしていたのだけれども、元気そうな姿を見ることが出来て、うれしくなった。
 このコは、ちょっと目と目の間隔が狭いというか、独特のかわいらしい表情で、わたしの大好きなイヌ、ワンコではある。毎日ウチに帰るとき、このイヌ(ワンコ)の姿を見ることが出来たらわたしは幸せなのだが。

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 帰宅して、遅くなった昼食は「とろろご飯」。もうこのところ、すっかりわたしの「主食」は山芋になってしまったようだ(まだまだ山芋は残っている)。「これではいけない」と、夕食には残っていたニラを使って、「豚バラ肉のニラ玉炒め」というのをやってみた。ネットでみたレシピに「たまごを炒める前にちょっとお酢をまぜるといい」みたいに書いてあって、そういう、たまごにお酢をまぜるのは前にやって、美味しくなかったような記憶があるんだよね、などと思いながらも、「ま、やってみるか!」と、お酢を使ってみた。
 ‥‥結果。やはりたまごにお酢をまぜるのはわたしの口にはあわない。記憶は正しかったのだ。もう二度とたまごに酢をまぜるようなことはやるまいと、心に誓うのだった。

 さてこのところ、Twitterをやめたせいもあるのかもしれないけれども、ネットのニュース報道などにまるで興味がなくなってしまっている。いちおう報道では新しい岸田内閣の組閣内容とかあれこれと書かれているけれども、だってまだな~んにもやっていない内閣ではあるし、今からどうのこうのと言ってもしょうがないではないかとは思うのだ(そもそもが「自民党」の政権ではあるわけだから、何がどう転んでも「支持する」などということになるのはあり得ないが)。
 今はCOVID-19の新規感染者数も劇的に減少し、これも今の段階でどうこうと言えることではないと思う。そして何度も書いているように、わたしは皇室がどうのこうのということにはまるっきし興味もないし、けっきょく今、リアルタイムのニュースを「読んでおこうか」という気もちにならない。今は通勤時間とかにスマホを見てみても、「かわいい動物」の映像とか、「ネコの気もち」とか、そんなのを見たり読んだりするばかりではある。むむ、こういうのが、意外と「健全」なのではなかろうか?などと思ったりもする今日この頃ではある。
 

2021-10-05(Tue)

 昨日の朝、出勤で駅に行くときに東の方に振り向いて、「オート撮影」で写真を撮ってみたら、肉眼的には空はまだ「真っ暗」だったのに、撮影された写真では東の地平線の方がもう明るくなり始めていて、そんな空をバックに黒い雲も映っていたのが面白かったので、この日の朝もやってみた。やはりこの朝も空は肉眼ではもう真っ暗だったけれども、撮った写真ではいくぶん地平線あたりは明るくなりかけているように見えた。ただ、撮影に失敗してけっこう「手ブレ」の大きな写真になってしまったことでもあるし、今朝の写真は残念だけれども載せないことに。

 仕事を終えての帰り、「野良ネコ通り」への道の途中で、家の前に咲いていた黄色い花のまわりを、黄色いチョウが飛び回っていた。「いいねえ~」とカメラを向けると、チョウは「どうぞ撮影してチョ!」って感じで、花の上にしばらくとどまったりしてくれる。おかげで、けっこうたくさんの写真を撮らせていただいた。ありがとう!

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 この花はマリーゴールドだと思うけれども、チョウは懸命に調べてみたら、「ツマグロヒョウモン」のオスだとわかった。
 ツマグロヒョウモンは、ちょっと前までは関東地方では見られなかったチョウらしいけど、今はいっぱいいるのだ。生態系はどんどん変化する。マリーゴールドの黄色い花と、ツマグロヒョウモンの黄色い羽根とがマッチして、美しく映えていた。

 そのあと「野良ネコ通り」を歩いて行くと、駐車場の脇でネコが寝ている姿が見られた。顔が見えなかったけれども、どうやら黒い鼻が見られるようだ。このネコはきっと、「ハナクロ」くんだと思う。

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 今日はまたまた駅前のスーパーで「山芋」を買ってしまい、また帰宅してからは「とろろそば」をつくるのだった。このところ、すっかり「山芋」にハマってしまった。
 あと、昨日冷凍庫のチェックをしてみたら、やたらとレバー肉ばかりがストックされていたので、「これは<レバニラ炒め>だね」と、ニラを買って帰り、夕食は「レバニラ炒め」になったのだった。まだニラは残っているので、明日は「ニラ玉」でもやりましょうか。

 さてさて、今はちょっと暑い日がつづいているとはいえ「秋たけなわ」。COVID-19も新規感染者数が大幅に減少もしているし、そろそろお出かけしてみたいとも思ったのだが、そういえば水戸の芸術館でピピロッティ・リストの展覧会「Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島」をやっていたのではなかったか?と、水戸芸術館のサイトを見てみると、もちろん今開催中なのだが、なんと、10月の17日でおしまいなのだった。つまり、もう今週と来週っきりで終わってしまう。「ずいぶんと短かい会期だなあ」とは思うけれども(ほんとうは9月1日から始まる予定だったのが、<緊急事態宣言>の影響で短縮されたらしい)、終わってしまうのならしょうがない。
 それで、「やはり行くなら土曜日しかないか」とは思ったけれども、水戸芸術館のサイトをみると、作品で日没以降の時間に鑑賞できるというものもあるらしい。それならば金曜日に仕事が終わったあとに水戸に直行して、午後の遅い時間から観はじめるのがいいのではないかと、今週の金曜日に行こうとの計画を立てた。ニェネントくんには長い留守番で申し訳ないことになるけれども、めったにないことだから許してほしい。
 しかし、ピピロッティ・リストのことだから「映像作品」が多いことと思うけれども、わたしが仕事を終えて水戸芸術館に直行しても3時近くになってしまいそうだ。そんな時間から、いくら日没後の作品が観たいからといって、ゆっくりとちゃんと展示作品を観ることはできるだろうか? まあとにかくは行ってみようと思う。久しぶりの「遠出」で、楽しみだ。

 その次の金曜日は、国立のクリニックへの受診の日でもあるし、やはり秋らしくも「お出かけ」がつづきそうだ。