ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-04-20(Tue)

 修繕したショルダーバッグを担いで仕事に出た。最初に買ってからもう5ヶ月経ってもいるし、いい具合に使い古した感も出ていて適当に貧乏くさくてグッドだし、自分の中ではこれはリニューアルした「新品だぜ」という気もちでもある。今回の修理、最近では稀な「いい仕事をした」という感覚だ。

     f:id:crosstalk:20210421160253j:plain:w500

 今日は駅の向こうのドラッグストアで、某ポイントカードのポイントが1.5倍で使える日だ。けっこうポイントがたまっていて、1.5倍なら1500円ぐらい使えるので仕事の帰りに買い物に行った。まあうまいこと「商魂」に乗せられてはいるのだろうけれども、財布の中の現金を使わないでいろいろ買えるのはうれしい。これもわたしが古い世代だからだろうけれども。まあいろいろと買って、ニェネントくんへのギフトに「ちゅーる」とかも買う。
 このドラッグストア・チェーンではもうひとつ、「お得」なポイントがある。それは某Amazonのギフトカードを買っても、その某ポイントカードにポイントが付加されるのだ。まあ1パーセントにすぎないけれども、1万円のギフトカードをここで買うと、100ポイントがついてくる。これはすっごい「お得」というか、一般にあまり知られていないポイントではある。それで今日のようにポイントが1.5倍になる日に利用すれば、つまり100ポイントは150円として使えることになるのである。カードを利用してもいくらかの特典もあるらしいけれども、1万円で100ポイントというのはいい。今日も、近いうちに新しいデジカメを買おうとは計画しているので、1万円のギフトカードをゲットするのであった。

 帰り道、道ばたに黄色い花が咲いているのが目にとまった。これは、どうみても「月見草」ではないだろうか。普通7月ぐらいにいっぱい咲く花と思っていただけに、ずいぶんと、あまりにも「早咲き」という感じではないだろうか。

     f:id:crosstalk:20210421155756j:plain:w500

 今日は暑い。家に帰る道を歩いても「暑いな~」という感じで、家に帰ったらぜ~んぶ脱ぎ捨てて、あとは半袖ですごすことになった。こういう暑さは、まだ明日明後日とつづくみたいだ。今朝ももう愛用のパーカーは着ないで家を出たけれども、もうそのパーカーも今年は「用済み」かな、とは思う。今まではとにかく、そのパーカーさえ羽織って家を出ればOKだったけれども、これからは「さて、今朝は何を着て出かけようか?」と、毎日考えなくってはならなくなるのだろうか。もうすぐ、「初夏だぜ!」といわれる季節になるのだ。

 夕食には「豚肉の生姜炒め」をつくった。今まで何度もつくったメニューだったのに、この日はしょう油を入れすぎたというのか味付けが濃すぎて、辛くってしょっぱくってまるで美味しくなかった。久々のクッキング大失敗の回ではあった。

 しかし、テレビの報道を見ていても、政府にせよ東京都にせよ千葉県にせよ、まともなCOVID-19対策をどっこもやっていなくって、「オレたちはこのまま国に見捨てられるのか?」とは思ってしまう。千葉県は先日の知事選挙で新しい知事になったわけで、けっきょく今回千葉県の一部地域も「まん延防止等重点措置」適用となったわけだけれども、午後8時を過ぎても営業する飲食店はないかとの「見回り」をするという。そういうことではないと思うのだがな~。
 ここで「もういい、自分のことは自分で守る!」というのが正直な気もちではあるけれども、それはスカ首相の言う「<自助>をやれよな!」ということにけっきょく従っているだけにも思えて、それはそれで腹立たしい思いに駆られるのである。
 

2021-04-19(Mon)

 返品したバッグとデジカメだが、デジカメはともかくとしてバッグの方の返品理由は「不良品」だったからというのではなく、あくまで「色をまちがえたよ~」という、「わたしの側の勝手な(不注意による)理由」ではあったわけで、返送料ぐらいはわたしの「自己負担」になるかな?とは思っていたのだけれども、今日はやばやと返送料のマイナスもなく全額返金されていた。ありがたいことです(デジカメの方の返金はマーケットプレイス絡みだからか、「2週間以内に」ということだ)。
 「それでは本来望んでいた色のバッグを再注文しようか」と考えたのだけれども、なんと、15日に注文してから4日のあいだに、300円ほど値上げされてしまっていた。ま、返品で送料も取られなかったからそのくらい、いいっちゃいいんだけれども、ちょっとだけ「ええっ」という感じは受けた。

 そこで、そのバッグが手元に届いたらなら、その品の縫製の弱いところを自分で補強して使おうとは思っていたのだけれども、「それだったら今手元にあるバッグを修理し、そして補強してやればいいのではないか」と思うことになった。
 問題は、肩ひもを吊るす金具が取れてしまったとき、メインのジッパーもまた要(かなめ)の開け閉めする金具が外れ、ジッパーが左右に開きっぱなしになってしまっていること。しかし幸いにも、その肩ひもを吊るす金具も、ジッパーの金具も捨てないで取ってあったので、うまく修理できれば、けっこうまともなバッグに再生できるではないか。

 そう思いついたので古いバッグを取り出し、まずは何とかジッパーを修理しようとがんばった。つまりジッパーというのは左右に分かれたでこぼこの嵌合部を、要(かなめ)の金具をくぐらせることによってかみ合わせさせるわけなのだけれども、その、いちど外れてしまった金具をもういちど左右のジッパー嵌合部にはめるというのは、これはなかなかに簡単にいくものではない。わたしもこういうことをやるのはこれが初めてではないから、だいたいのやり方もわかるし、根気よくやればうまくいくものだと思う。
 なんとか、端っこを細長いペンチで引っ張ったりしながら、うまく通すことができた。うれしい。そこでもう左右に離れっぱなしにならないように、すぐにバッグ本体に縫いつけて固定する。これでジッパー部は完成である。このことにプラスして、肩ひもを吊るすための半月形の金具をバッグに縫いつけて、さらにしつっこく補強する。もう一方の壊れてはいない方の金具も、補強のためにしつっこく糸を通して完成。みごと再生させた。
 前にいちど壊れたあと、肩ひもを吊り下げるのにバッグの端の小さなポケットのジッパー金具に肩ひものフックを引っかけていたわけで、それがポケットのジッパー金具がバッグの重さに耐えかねて壊れてしまったわけで、ココはもうジッパー金具がダメになっていたので、そのポケットはもう使えないとして、ジッパーぐちを縫いつけて開けなくしてやった。これが唯一の、再生後のマイナス点である。

 実はまさかこうやって壊れたバッグを「再生」できるとは思っていなかったので、まあ言ってみればあとからいちど購入した同じバッグが、色がダメだったから返品したおかげであり、こういうのを「ケガの功名」というのか「災い転じて福と成す」というのか「取らぬ狸の皮算用」というのか(最後のは違うな!)、世界のリサイクル志向にも合致した「良い選択」ができたと思うぜ。

 次はデジカメを買い直したいわけだけれども、実はさっきまでは「故障して返品したデジカメと同じ機種をもういちど買おう」と思っていたのだけれども、バッグを再生させたことでちょっと気が大きくなり、「次はワンクラス上のデジカメにしよう!」とか考えるのだった。
 考えてみたら来週の末からは「ゴールデンウィーク」もはじまるわけで、4月29日にいちど休みがあって翌30日に出勤したら、そのあと5月1日から5日まで5連休なのだ(この件については、ひょっとしたらまた<緊急事態宣言>で、さすがに無為無策のスカ内閣、小池都知事も、今度こそはまた「自宅待機」ということにする可能性がないでもないと思うが~そうなると当然<東京オリパラ>は中止だろうが、わたしはその方策を取るべきではないかと思ってはいる~)。
 もちろんそんなゴールデンウィーク、わざわざ人混みの中に出かけて行く気もちはまったくないが、先日調べてわかったところの、ウチから1時間ほど歩いたところにある「農業公園」とか、重要文化財の「古民家」などに行ってみたい気はある。ある程度人は集まるかもしれないけれども、屋外だし、まさかTDLみたいに「押し合いへし合い」になるということもないだろう。わたしは屋外であるならば、すぐそばでマスクなしで「くしゃみ」を繰り返す人、大声で笑う人でもいないかぎり、COVID-19に感染することはないだろうとは楽観視している。避けたいのは「混み合った交通機関」、「屋内イヴェント」である。
 つまり、今の計画では、ゴールデンウィークにはウチから歩いて行けるそんなスポットに行ってみたいのだが、そのときに新しいデジカメを持参していろいろ撮影してみたいな~、という気もちである(お弁当もつくって持って行きたい)。まだ日にちはあるので、じっくりと検討してから新しく買うデジカメを決めたい(まあ、今まで持っていたデジカメと同じメーカーのがいいかな、とは思っているが)。

 今はしょうがないからスマホのカメラでちょこちょこ撮影しているけれども、カメラを起動したときそのままの設定で撮影すればけっこうきれいに撮れるけれども、これがズームとかするとまったくボケボケでだめである。色彩的にも影の「黒み」が強い。
 これはウチの近くで撮った花。「テッセン」だと思う。やはり影の「黒」が強いかと。

     f:id:crosstalk:20210420162434j:plain:w500

 千葉県では明日から一部地域で例の「まん延防止等重点措置」が実施されるようで、ウチのとなりの市にも適用される。わたしの家はそのとなりの市との境目あたりにあるので、ちょびっと歩けばもう、「まん延防止等重点措置」適用地域なのだ。つまり、ウチから10分も歩いていつも使う駅に行けばそこは「となりの市」だから、飲食店は午後8時で店を閉めなければならない。でもウチのあたりは市がちがうから、8時で店を閉めることはない。
 つまり、駅前の居酒屋(ウチの駅前には居酒屋はほとんどないけれども)で集団で飲み食いして騒いでも、8時で店が閉まってしまう。「じゃあ河岸を変えよう」とその店を出て、ちょっと歩けばもう市がちがうからもっと遅くまで居酒屋はやっている。「そんじゃココで盛り上がろう!」みたいなもので、だから「まん延防止等重点措置」に何の効果があるというのか、という感想ですね。バカバカしいと思う。
 

2021-04-18(Sun)

 昨夜から今朝未明にかけて、このあたりではかなり激しい雨が降ったらしい。しかし、わたしが目覚めたときには窓から明るい光が射し込み、快晴の良い天気だった。日曜日恒例の北のスーパーへのお買い物の道すがら、歩道橋の上から東の方を見やると、雲の重なりが見られた。あの雲が、このあたりにも雨を降らせていたのかもしれない。

     f:id:crosstalk:20210419161548j:plain:w500

 その歩道橋の階段のわずかなすき間から雑草が成長していて、今、一輪の花が咲いていた。おそらくは今あちらこちらで見かけるヒメジョオンだと思う。ヒメジョオンは実は外来植物で、このようにとても繁殖力が強くって在来種を駆逐してしまうのだ。「要注意外来生物」に指定されているというが、こ~んなすき間にも根付いて花咲かせている姿を見ると、ちょっとだけ愛おしいとは思ってしまうのだった。

     f:id:crosstalk:20210419161628j:plain:w500

 一方、そういう「要注意外来生物」のひとつに、今オレンジの花を咲かせている「ナガミヒナゲシ」がある。ちょうどその花がウチのそばの空き地で二輪、花咲いていた。

     f:id:crosstalk:20210419161702j:plain:w500

 この花、一時期はものすごい勢いで野辺に咲き乱れ、空き地はすべてこの花に埋め尽くされてしまうのではないかという感じだったが、駆除して下さっていた方々の努力が実を結んだのか、近年その数はめっきり少なくなったようだ。このくらい、野原の中でちょこんちょこんと咲いているだけならば、やはり愛らしい花だとは思ってしまう。もう今ぐらいの数で落ち着いていただきたい。

 そういう「要注意外来生物」で思い浮かべるのは、わたしなどがまだガキの頃に空き地とかを埋め尽くしていた「セイタカアワダチソウ」で、夏にはこいつをいっぱい刈り取って「隠れ家」をつくれたものだし、秋を過ぎるとこの枯れた茎がいろいろと遊びに使えるもので、実はガキンチョとしては重宝した雑草だった。
 コイツも在来種を押しのけることはなはだしく、ずっと日本中で駆除活動が続けられたようで、もう今ではまるっきし見かけることもなくなってしまった。

 そういう「生きもの」の話だけれども、夜になってテレビの「ダーウィンが来た!」で、アノマロカリスを中心としてカンブリア紀の生きものの特集をやっていた。今はCG技術が発達して、「カンブリア紀の海の中はこ~んな感じだった」というリアルな映像が見られる。
 このカンブリア紀、それまで何億年もアメーバみたいな生きものしかいなかったこの地球上に、いきなり「大進化」した生物が山と登場してくる。番組でカンブリア紀の研究をされている学者氏が、その「大進化」の原因を「眼の誕生」のせいと語られていて、そこでわたしもかつて、その『眼の誕生』という(当時かなり売れた)本を読んで、カンブリア紀生物(バージェス動物群)に興味を持ち始めたことを思い出し、またその『眼の誕生』という本を読みなおしたくなってしまった。

 さてわたしは、昨夕でようやっと山ほどあったレトルトの「ミートソース」をすべて食べ終えて、ついに「スパゲッティ・ミートソース」から解放された。喜ばしいことである。刑務所から出所したような気分である。「では出所して、何か豪華なおいしいものを食べればいいではないか」というところだが、食材があまり揃っていないので、昼食はあり合わせの野菜を炒めてとろみをつけてぶっかければいいだけの「長崎皿うどん」、夕食は「厚揚げ、もやし、卵のオイスター炒め」などという、相変わらずビンボーくさい食事になってしまった。

 スカ首相はアメリカへ行ってバイデン大統領と会談を行ったのだけれども、けっきょく共同声明では「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」というあたりに落ち着き、スカ首相が外交問題では「壊れたレコードのように」繰り返していた「自由で開かれたインド太平洋」からはちょっとずれた位置に落ち着いたようだ。
 <東京オリパラ>開催に関しても、「バイデン大統領は開催するための首相の努力を支持する」というにとどまり、「ま、あんたががんばってるんならいいんじゃないの?」ぐらいのものであろう。もちろんおそらくスカ首相は改めて、バイデン大統領を<東京オリパラ>に招待したことは想像に難くないが、つまり「OKね」などとの返事はもらえなかったわけだ(あたりまえ)。しかも共同声明後の記者会見で、ロイター通信記者からの「公衆衛生の専門家も疑問視する中で、東京オリンピックパラリンピックを開催する無責任さ」をただされたことに対して、いつもの日本での記者会見でのようにスルーを決め込んだのだという。
 もうひとつ。スカ首相の日本側は、こんな時期に会談後の「会食」を熱望したという。いったいどれだけ「危機意識」が薄いかということをわざわざアメリカに露呈して見せたわけでもあり、「政治とは<会食>にあり」というスカ首相ら自民党の考え方のあらわれではあっただろう。もちろんアメリカ側に一蹴され、妥協案として「ハンバーガー会食」の場を設けられ、スカ首相は自分の目の前に出されたハンバーガーにまったく手をつけなかったという。まあアメリカ側から「お前がバイデン大統領とどうしても食事したいというから、ほら、セッティングしてやったぜ」というところだろうか。ある意味、スカ首相にとっては「屈辱」のハンバーガー会食だったのではないか。いい気味である。

 日本では、わたしの住む千葉県でも一部地域で「まん延防止等重点措置」対象地域として、この20日から実施される。わたしの住む市は対象地域ではないが、となりの市は対象地域だ。
 今日スーパーに買い物に行ったとき、とつぜんにわたしのすぐ後ろで大きな「くしゃみ」の声が響いた。「うわっ!」と思って振り向くと、かなり年配の男性がそのくしゃみの発生源だったようだ。マスクはされていたけれども、完璧に「鼻マスク」の状態ではあられた。もちろん、「鼻マスク」であられても、口がマスクで覆われていればそこまでに飛沫は飛散しないことだろうけれども、やはり「鼻マスク」というのは完璧なマスクのはめ方ではなく、すき間からかなりの飛沫が飛び散っていたことは考えられる。
 いろいろと最近の情報から、COVID-19感染は「接触感染」よりは「飛沫による感染」が大きな原因だろうとは思っている。わたしは今、ふつうに電車通勤をして職場で仕事をこなす過程で、「飛沫による感染」という危険性はほとんどないと思っている。しかし、この日のように突然に、自分のそばで「くしゃみ」とかされると、その危険性は一気にマキシマムに上昇する。その方がキチンとマスクをされていればいくらか安心もできるが、今日のように不完全なマスクのはめ方だったりされると、こわい。
 わたしも最近は、スーパーの中でなど「ソーシャル・ディスタンス」ということについつい意識がおろそかになってしまったりしているのだけれども、これからはそういうスーパーなどの「人の多い」場所では、「前後左右」に注意を払いながら行動しなければいけないな、とは思った。
 「過剰反応」と思われるかもしれないけれども、わたしは前に書いたように、ニェネントを残して発病して入院するわけにはいかないのだ。スーパーから帰って着ていた服を着替え、顔と手とを入念に洗ってから入浴した。
 

『愛を読むひと』(2008) ベルンハルト・シュリンク『朗読者』:原作 スティーブン・ダルドリー:監督

愛を読むひと<完全無修正版> [DVD]

愛を読むひと<完全無修正版> [DVD]

  • 発売日: 2014/02/05
  • メディア: DVD

 この原作本は日本でも翻訳されてかなり売れたようで、一時期某Book-Offの百円コーナーに、海外文学では珍しく何冊も並んでいたものだった。わたしもこの原作のことも映画のことも多少の知識はあったはずだが、今日こうやって映画を観たときにはどういう内容だかまるで記憶していなくって、スチル写真を見てもなお「朗読するのは女性(ケイト・ウィンスレット)の方だろう」とか思っていたし、その背景にこんな息苦しいドラマがあることも忘れていた。

 前半の美しい撮影が魅惑的で、この作品の撮影監督は当初ロジャー・ディーケンスだったのが途中からクリス・メンゲスに交代されたというが、ロジャー・ディーケンスの撮影が好きなわたしとしては、この「前半部」の撮影はロジャー・ディーキンスによるものではないかと思いたかった。
 ただこの作品、音楽が多少過剰気味で、「こういうシーンは音楽なしで観たかったな」と思うようなシーンが(特に後半に)多かった気がする。

 しかし、これだけ学習意欲のあった女性が、成人してからもずっと文字を読めないままで、そのことをひた隠ししていたというのはどういうことだろうか。彼女はユダヤ人収容所の看守として多くのユダヤ人の死に関わった「戦争犯罪人」として無期懲役で収監されるのだが、そこでとつぜんに、何の手がかりもなく、ただこの映画の語り手ともいえるマイケルから送られてくる朗読テープと、刑務所にある図書とから「文字」を学習して行く。このことは感動的だ。
 日本でも江戸時代、ただ「原著」と「英語辞書」だけを頼りに、英語文法も何も知らないままに原著を日本語に翻訳した学者がいたということだが(「英語」ではなかったかもしれない)、「熱意」とは、あらゆる困難を克服するものである。わたしがこの映画でいちばん感銘を受けたことでもある。
 ただ、彼女がまず「文字」を学ぼうと教材に選んだのはチェーホフの『子犬を連れた貴婦人』なのだが、これはもちろん「翻訳」によるものなわけで、ここでマイケルが朗読して彼女に送ったテープの「原典」と、ヒロインのハンナが刑務所の図書館から借り出す『子犬を連れた貴婦人』とが、同じ翻訳のモノでなければ、彼女の「学習」はさいしょっから挫折するわけだ。けっこう、物語としては「綱渡り」的な危うい路線を選んだものだ。というか、ハンナはマイケルと知り合った「路面電車の車掌」時代に、余暇を文字学習にあてていてもよかったではないかとは思う。

 ハンナが「自分が実は文字を読めない」ことを人に知られることを「恥」と感じ、誰にもそのことを話さなかったわけで、収容所時代に「朗読」を頼んだ収容者を、優先的にアウシュヴィッツに送り出していたということも、そんな収容者に「自分が文字を読めない」ことを知られたことによるのかもしれない。
 しかし、主人公のマイケルがここまで鈍感でなければ、彼だってとうの昔にハンナが「文盲」だと気づいていたことだろう。まあそれはそれでマイケルとハンナの関係が終わっただけの話ではあっただろうが。

 ハンナからマイケルに届く、「活字体」で書かれた手紙はやはり感動的で、これはまさに映画の視覚的効果だろう。そしてやはり、マイケルと出所を前にしたハンナとの再会のシーンはじんわりと抑えた演出で感動的であり、マイケルを演じたレイフ・ファインズケイト・ウィンスレットとの、二人の対面する演技に惹き込まれてしまう。

 ハンナは、最終的に「釈放されて外の世界に出ること」を自ら拒むわけだけれども、ハンナにとって、刑務所内で自分の愛する「本」を一日中読めること(もう、字が読めるのだ!)こそが「理想の生き方」であり、それは「引きこもり」の心理と同じものだったろうと思う。
 

2021-04-17(Sat)

 午前中、準備してあったデジカメの返品荷物を郵便局の方が集荷にみえた。昨日、必要事項をサイトに書き込んでいたので、差出人や宛先などすべて郵便局の方で送り状に記入されて持参され、つまり自分で郵便局に持ち込んだりするよりも、すべてがスムースに運んだのだった。

 集荷のあったとき、ちょうど注文してあったバッグがドアの前に「置き配」されていた。「いいタイミングだ」と梱包箱を開けてみると、おや、コレはわたしが意図していたバッグのカラーとは異なる。
 わたしは前に買ってすでに持っていたバッグと同じ色のものを注文したつもりで、そのバッグは「ブラック」というよりは「グレー」という色に近いだろうと思って「グレー」を注文したのだが、実はわたしの手元にあったバッグは「ブラック」だったのだ。
 これはわたしが「前と同じものを注文する」ということにもう少し気を配ればよかったわけで、ただ手元にあるバッグを見て、「これはグレーだろう」と勝手に決めつけていたからいけない。
 到着したバッグの布地はずっと色が薄く、いっしゅんは「これで我慢しようか」とは思ったのだが、これはぜったいに汚れが目立つ色だと思い、やはり前に買ったのと同じもの、つまり「ブラック」に交換したいと思うのだった。
 「思った色とちがった」という理由で、即座にまたもや返品手続きを進めた。今回の返品は昨日のように郵便局経由ではなく、「ヤマト宅急便」の事業所へ持ち込むというのがデフォルトの設定だった。逆に昨日のケースのように「集荷してもらう」とか、「ヤマト以外の配送方法を選択する」ということも出来るようだけれども、やはりいろいろと面倒そうで、デフォルトの「ヤマト事業所に持ち込む」という方法を取ることにした。

 調べると最寄りの事業所はウチから歩いて行けるところにあり、これはラッキーだった。手順としてはAmazonのサイトから「返品」を申し込むと、それが正当な理由であればAmazonからEメールが送られてくるわけで、そのあと「返品の現品とスマートフォンを持って」事業所へ行ってくれということ。
 なぜスマホを持って行かないとならないか、その理由が書いてなくて「ただスマホを持って行けばいいのか?」という感じだが、Amazonから送られてきたEメールには「返品コード」としてQRコードが添付されているわけで、その返品コードをヤマトの事業所で提示しなければいけないわけだ。まあメールを読めばわかるとはいえ、AmazonからのEメールは必ずしもスマホで受信するわけではないわけで、じっさいわたしもたいていのEメールはパソコンで受信しているわけだ。つまり、ただノコノコとスマホを持って行けばいいわけではなく、スマホの中に「返品コード」がないといけない。だから、Amazonからのメールをスマホに転送しておくとかしないといけないのだった。そういうこと、ただ「スマートフォン持参のこと」ということだけでなく、「返品コード」が必要なのだと書いておいてほしいとは、ちょっとだけ思ったのだった。
 しかしおそらく多分、そのQRコードをプリントアウトして持参すれば、スマホがなくってもOKなのではないかとも思う(あんまり大きいプリントアウトだと、事業所で読み取らせられないことがあるかもしれないが)。

 すぐに品物を荷造りし直し、ちょうど大きさもピッタリの手提げバックがあったのでその中に入れて「事業所」へ行く。歩いて15分まではかからない、いつも行く東のショッピングセンターのすぐそばだった。
 受付へ行って「Amazonへの返品です」というと、「ではココでQRコードを読み取らせて下さい」と指示される。スマホ画面にQRコードを表示させて読み取らせると、即「送り状」が依頼主のわたしの住所氏名を含め、バッチリとプリントアウトされる。それを現物といっしょに手渡せば返品手続き完了。実にかんたんではあった。

 しかし、一日に2件もAmazonに返品するとは、わたしは「返品魔」か?と思ってしまう。
 デジカメもバッグも、すぐに再注文してもいいのだが、デジカメは性能が低いとはいえどもスマホにカメラ機能がついているし、バッグは帰宅してから古いのをちょっと修理し、上部のジッパーはダメだけれどもまあ使えるだろうということにはしたわけで、「ここで少々クールダウンしよう」と、すぐさまに再注文するのは控えることにした。
 返品への道すがら、通い始めた歯科医院の前に美しい牡丹の花が咲いていたのを、スマホのカメラで撮ってみた。昨日通りでネコのヒゲ殿下を撮影したときのように、とっさの撮影ではうまく撮れないようではあるけれども、こうやってじっくり構えての撮影ならば相当きれいに撮影できる。

     f:id:crosstalk:20210417145210j:plain:w500

 事業所の帰り、手ぶらにもなったことだし、すぐそばのショッピングセンターに寄り道をした。いつもと違う道から寄ったので、3階から入る。3階には書店もあり、ちょっと見てみると店頭に『旅する練習』がたくさん置かれていた。うん、「地元(ご当地)小説」ですからね。
 1階のスーパーへ降り、安かったインスタント・コーヒーやチョコレートなどを買い、このところスパゲッティ・ミートソースばかり食べて味覚のヴァリエーションに飢えているので、「鶏もも肉炙り焼き」という肉のパックを買って帰った。

 帰宅して、昼食はまたまたスパゲッティ・ミートソース。もう本当に飽き飽きしたが、ようやっとミートソースを「あと一食分」に減らせた。
 夕方から「GYAO!」で『愛を読むひと』を観た。ケイト・ウィンスレットが素晴らしい。観て涙をこぼしながら、買った「鶏もも肉炙り焼き」を温めて食べた。どうして、こういう鶏肉はこんなにもおいしいのだろう。ただただ、こうやって「美味しく食べられるために」育てられたニワトリに感謝し、そんなニワトリの(きっと、何の楽しいこともなかっただろう)短かい「生」を哀れに思ったりする。
 はい、わたしがしっかりあなたを食べて、その美味しさを満喫させていただきました。ごめんね。とってもおいしかったよ。そしてありがとう。
 

2021-04-16(Fri)

 まだ買って半月の、新しいデジカメが壊れてしまった。今回はわたしの不注意で壊したのではない。もともと最初から電源のON/OFFのボタンの具合が良くないとは思っていたのだが、今日ついに、仕事先から帰るときにその電源のON/OFFができなくなってしまった。不具合、故障個所は明確で、きっとかなり単純な「故障」だとは思うのだが、もう自分で分解修理するのはこりごりだし、保証書もいっしょに送られてきていたはずだから、まずはサーヴィスセンターで修理してもらおうかと考えたのだが、帰宅して保証書を出してみると、「販売店」の印が押されていない。それでは保証は効かないし、だいたいそんな保証書の件で販売店とやり取りしてからサーヴィスセンターへ持って行くより、(まだ買って一ヶ月経っていないわけだし)もう「返品」してしまった方がいいのではないかと考える。
 けっきょく、購入したマーケットプレイスの店舗に電話をし、やはりAmazonへ返品することにした。

 返品の仕方を調べると、つまりAmazonサイト内で返品手続きをして、結果出力される宛先や返品用IDのバーコードなどなどをプリントアウトし、荷造りした返送品に貼り、郵便局に集荷してもらうようにということだった。
 別に自分で郵便局に持参してもいっこうにかまわないとは思ったのだけれども、実はその方がかえっていろいろとややっこしいみたいなので、明日の午前中に取りに来てもらうことにした。しかし、昨日のバッグの損壊といい、連日わたしにはアンラッキーなことが続いている。

 そんなカメラが壊れての帰り道、「野良ネコ大通り」でヒゲ殿下に出会った。草むらの中で休んでいたのだが、わたしが近づくと近くに駐車していた車の下に逃げ込んでしまった。デジカメがあればもうちょっとしつっこく撮影したのだけれども、スマホのカメラで撮影。ボケボケで、まったくダメな写真である。

     f:id:crosstalk:20210417160923j:plain:w500

 今日は金曜日だし、少しのびのびしようかとは思っていたのだが、4時からは歯科医でまた治療受ける予約をしているし、それまでの時間、返品処理の連絡を取ったり調べたり、荷造りをしたりで、それだけで時間が過ぎてしまった。ニェネントくんに夕食を出してあげ、わたしは歯医者へと家を出る。外の空はすっかりどんよりと曇っていた。今日は雨にはならないはずだけれども、明日は遅くからまた雨になるという。

    f:id:crosstalk:20210417160954j:plain:w500

 歯医者。今日は20分ほどの治療と初回より短かかったが、やっぱり痛いときは強烈に痛いのだった。続きはまた来週。

 夕食はスパゲッティ・ミートソース。実は書いていなかったが、今週は火曜日からずっと、食事はぜんぶスパゲッティ・ミートソースなのである。
 これは以前駅前のスーパーでレトルトパックのミートソース(1キロ)を買ってあったわけで、いつかは開封して食べなくっちゃとは思っていたのだが、いちど開封したらそこまで保存も効かないだろうから、一気に食べ続けようとは思っていた。それを実行に移しているわけだけれども、よくスーパーで売っている一食か二食用のミートソースのレトルトよりも味が濃くておいしいとは思っていたのだけれども、さすがに4日連続して同じメニューの食事というのは飽きてしまったというか、もうあまり「おいしい」なんて思って食べてるわけではない。まだまだそのミートソースは残っているので、明日の昼食、夕食ぐらいまでは同じメニューがつづくだろう。
 おかげで今週の食費はほとんどゼロ円というか、食材を買っても冷凍保存用とかスナック、おつまみ類ばっかりだった。今月の食費はかなりセーブできるのではないかと思う。
 

2021-04-15(Thu)

 バッグ本体と肩ベルトとの接続部が壊れてしまったショルダーバッグを、実はいまだに使いつづけていた。肩ベルトをバッグの脇のポケットのジッパー金具に強引にひっかけて使っていたのだけれども、今日、その肩ベルトをひっかけていたジッパー部が壊れてしまったのだ。実は今日から先日買ったピンチョンの『メイスン&ディクスン』(上巻)を通勤電車の中で読もうとバッグに入れていたわけで、さすがに大部の本ではあるしヘビーだし、バッグもその突然の重さに耐えかねたようだ。
 前から「新しいバッグを買わなきゃな」とは思っていたのだけれども、実はこの壊れたバッグのことを、デザイン的にも機能的にもけっこう気に入っていて、今まで使いつづけてきた。たくさん付いているポケットの、どのポケットに何をしまっておくかということも使い勝手の上でわたしにフィットしていたし、いろいろと他のバッグを見てみても「今のでいい」みたいに思っていた。
 ただ、この今のバッグの弱点はどこまでも「縫製の弱さ」で、「ここに大きな負荷がかかるというのにそれに対応した縫製をしていないではないか」というに尽きる。それでそのことは自分で補強してやれば「何とかなるだろう」とは思っていたわけで、実はまた同じバッグを買って(そんなに高価ではないし)、自分で弱点を補強すればいいのではないかと、先日100円ショップでちょっと太い針とちょっと丈夫な糸とを買ってあったりする。
 今日、そうやってついに今のバッグがアカンことになってしまったわけだけれども、「フン、準備は出来てますよ!」と、即座に同じバッグを注文した。週末には届くだろうから、補強処置をして来週にはそのニュー・バッグでお出かけできるだろう。英語でこれを「Papa's got a brand new bag」という。ジェームス・ブラウンである。

 朝、家を出てだんだんに空が明るくなってきた。今朝の東の空は黒い雲も流れていてこんな感じだった。

     f:id:crosstalk:20210415044401j:plain:w500

 今日もスズメを撮ってみたが、やっぱり黒くつぶれてしまった。どうしていつも、スズメの撮影はうまく撮れないのだろうか。

     f:id:crosstalk:20210415122436j:plain:w500

 もうそろそろその季節も終わるツバキの花。こういう原色の強い素材は比較的きれいに撮れる気がする。まだ新しいデジカメの熟練度が足りないか。

     f:id:crosstalk:20210415125528j:plain:w500

 というわけで、この日からピンチョンの『メイスン&ディクスン』とジョイスの『若い藝術家の肖像』読み始め。やっぱり『メイスン&ディクスン』はつらい。時制のジャンプが勝手すぎるというか、新しい登場人物が勝手に蹂躙するというか、翻訳も「擬古典調」というのでもないけれども漢字が多いし、一回目に図書館から借りて読んだとき、返却期限もあるから「とにかく読み進めよう」ということで猪突猛進し、それでわけわからなくなったんだなあということがよくわかる。じっくり読もう。

 昨日、五月の「文楽公演」に行くのはやめようと思ったわけだけれども、今日になってそんな人形浄瑠璃界の重鎮、吉田蓑助氏の引退という報道を目にした。そうか、もう吉田蓑助氏も87歳になられるのか。それはもう、「ゆっくり余生を休まれて下さい」というしかない。「上皇」であられることよ。
 わたしが文楽の舞台を最初に観に行ったのはもう二十年ぐらいは前のことだと思うけれども、当時の人形遣い太夫、三味線の人らの中で、かろうじてわたしがその名前を知っていたのは吉田蓑助氏だけだった。とにかくさいしょに舞台を観たときはその雰囲気を楽しむぐらいのものだったが、足を運ぶ回数が増えるとともに、吉田蓑助氏の人形遣いの技、女性の艶やかさの表現に魅了されるようになったのだった。昔のわたしの記憶でいえば、そんな吉田蓑助氏の女性造形、そして亡くなられた初代吉田玉男氏の「男気」造形との対比こそが、わたしを「文楽」にのめり込ませる後押しになったのだと思い出す。
 たしかに、この五月の国立劇場での文楽公演での「配役」をみると吉田蓑助氏の名前は見あたらない。おそらくは、もっと早い段階で氏の引退は決まっていたのだろうかと思う。

 わたしは今の新たな「COVID-19禍」では、とても「文楽公演」を観に行くどころではないだろうとチケットを買うのを断念したのだけれども、今日はさらに東京での新規感染者の数も増加し、このわたしの住む千葉県でも「まん延防止等重点措置」対象地域とされたらしい。
 スカ首相はこんな時期にバイデン大統領との首脳会談でアメリカへ行っちゃうし、小池都知事は今日の会見で「東京に来ないでくれ」という(しかし、<聖火リレー>は東京に向かっているのではないのか?)。すごいのは兵庫県知事で、「会食にはうちわで口をふさぎましょう」ということで、県の予算で大量の「うちわ」を作成し、県内の飲食店に配布しようとしていたらしい(すでにその「うちわ」は作成済みらしい)。もう、「食事のときにはうちわで口をふさぎましょう」というのはジョークにもならない。「もうろく」とはこのことを言うのだろう。まあ関西圏は大阪の吉村府知事というメチャクチャな人物もいるわけだが。
 どちらにせよ、わたしのとなり駅の市もまた、<「まん延防止等重点措置」対象地域>になるということ。もうただ「ズルズル」という感覚しかなく、いったい、日本のどこで、誰が「COVID-19」対策をやっているのだろうかと、この数ヶ月思いつづけてきたことを、この日もまた思うだけではある。