ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『愛を読むひと』(2008) ベルンハルト・シュリンク『朗読者』:原作 スティーブン・ダルドリー:監督

愛を読むひと<完全無修正版> [DVD]

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  • 発売日: 2014/02/05
  • メディア: DVD

 この原作本は日本でも翻訳されてかなり売れたようで、一時期某Book-Offの百円コーナーに、海外文学では珍しく何冊も並んでいたものだった。わたしもこの原作のことも映画のことも多少の知識はあったはずだが、今日こうやって映画を観たときにはどういう内容だかまるで記憶していなくって、スチル写真を見てもなお「朗読するのは女性(ケイト・ウィンスレット)の方だろう」とか思っていたし、その背景にこんな息苦しいドラマがあることも忘れていた。

 前半の美しい撮影が魅惑的で、この作品の撮影監督は当初ロジャー・ディーケンスだったのが途中からクリス・メンゲスに交代されたというが、ロジャー・ディーケンスの撮影が好きなわたしとしては、この「前半部」の撮影はロジャー・ディーキンスによるものではないかと思いたかった。
 ただこの作品、音楽が多少過剰気味で、「こういうシーンは音楽なしで観たかったな」と思うようなシーンが(特に後半に)多かった気がする。

 しかし、これだけ学習意欲のあった女性が、成人してからもずっと文字を読めないままで、そのことをひた隠ししていたというのはどういうことだろうか。彼女はユダヤ人収容所の看守として多くのユダヤ人の死に関わった「戦争犯罪人」として無期懲役で収監されるのだが、そこでとつぜんに、何の手がかりもなく、ただこの映画の語り手ともいえるマイケルから送られてくる朗読テープと、刑務所にある図書とから「文字」を学習して行く。このことは感動的だ。
 日本でも江戸時代、ただ「原著」と「英語辞書」だけを頼りに、英語文法も何も知らないままに原著を日本語に翻訳した学者がいたということだが(「英語」ではなかったかもしれない)、「熱意」とは、あらゆる困難を克服するものである。わたしがこの映画でいちばん感銘を受けたことでもある。
 ただ、彼女がまず「文字」を学ぼうと教材に選んだのはチェーホフの『子犬を連れた貴婦人』なのだが、これはもちろん「翻訳」によるものなわけで、ここでマイケルが朗読して彼女に送ったテープの「原典」と、ヒロインのハンナが刑務所の図書館から借り出す『子犬を連れた貴婦人』とが、同じ翻訳のモノでなければ、彼女の「学習」はさいしょっから挫折するわけだ。けっこう、物語としては「綱渡り」的な危うい路線を選んだものだ。というか、ハンナはマイケルと知り合った「路面電車の車掌」時代に、余暇を文字学習にあてていてもよかったではないかとは思う。

 ハンナが「自分が実は文字を読めない」ことを人に知られることを「恥」と感じ、誰にもそのことを話さなかったわけで、収容所時代に「朗読」を頼んだ収容者を、優先的にアウシュヴィッツに送り出していたということも、そんな収容者に「自分が文字を読めない」ことを知られたことによるのかもしれない。
 しかし、主人公のマイケルがここまで鈍感でなければ、彼だってとうの昔にハンナが「文盲」だと気づいていたことだろう。まあそれはそれでマイケルとハンナの関係が終わっただけの話ではあっただろうが。

 ハンナからマイケルに届く、「活字体」で書かれた手紙はやはり感動的で、これはまさに映画の視覚的効果だろう。そしてやはり、マイケルと出所を前にしたハンナとの再会のシーンはじんわりと抑えた演出で感動的であり、マイケルを演じたレイフ・ファインズケイト・ウィンスレットとの、二人の対面する演技に惹き込まれてしまう。

 ハンナは、最終的に「釈放されて外の世界に出ること」を自ら拒むわけだけれども、ハンナにとって、刑務所内で自分の愛する「本」を一日中読めること(もう、字が読めるのだ!)こそが「理想の生き方」であり、それは「引きこもり」の心理と同じものだったろうと思う。