ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『無言歌』(2010) ワン・ビン(王兵):監督・脚本

 1949年に建国された中華人民共和国では、1956年から「百花斉放・百家争鳴」という運動が起こった。これは「例え中国共産党に対する批判が含まれようと、人民からのありとあらゆる主張の発露を歓迎する」という、中国共産党の起こした運動だったようである。この「言論の自由」という空気に乗って、多くの知識人が党批判を含む発言をしたのだが、翌1957年には毛沢東によって「反右派闘争」が実施された。「百花斉放・百家争鳴」で発言した多くの人々が「右派」として告発され、多数の人間が甘粛省ゴビ砂漠に近い荒野にある政治犯収容所に送られ、強制労働につかされた。「百花斉放・百家争鳴」は、毛沢東による「トラップ」だったとも言われている。強制労働は「農地開拓」という名目だったようだが、砂漠同然の荒野は農地として開拓されるような土地ではなく、「強制労働」は「死の労働」となる。Wikipediaによると、「1958年には55万人の右派が辺境への労働改造や失職などの憂き目に遭い、あるいは死亡した」とある。
 このドラマは、その「政治犯収容所」に収容された人々の惨状をリアリスティックに描いた映画である。

 具のほとんどない少量の粥のみを食糧として配給され、収容された政治犯は栄養失調で動くこともままならない。野に生えた草の実を食すると、「腹が膨れて死んでしまう」という。捕えたネズミを丸ごと煮込んで食べた男は、翌日には死んでしまう。ついには先に死亡した仲間の人肉を食するようなことも行われる。
 収容所長は、労働の効率があまりに悪く、死者や病人ばかりが増加するため、しばらくは労働を休止する決定をする。どうやら収容所長にも「農地開拓」のノルマが課されていて、収容されている政治犯が死に絶えてしまうことは危惧しているようで、「ただ収容政治犯が死に絶えればいい」とは考えていないようだ。

 しかし、単なる地面に壕を掘って宿舎としているだけの収容地(この映画の英語タイトルは「The Ditch」である)では、労働は免除されても食物もなく、収容者はつぎつぎに死んでいく。
 自分の死を予感したある男は、「近々自分の妻がこの地を乙津れるはずだから、妻がわたしの遺体(遺骨)を持ち帰れるようにしておいてほしい」と班長に言い残して死ぬ。
 彼の死後一週間ほど経って、じっさいに彼の妻が収容所にやって来る。班長はさいしょは「彼は外出中だ」とごまかそうとするが、けっきょくは彼の死を認める。しかしその遺骸は目印もない無数にある土まんじゅうに埋められているだけで、遺骸に結びつけられた標識で識別できるだけであるし、班長は彼の遺骸の一部が削り取られ、食用にされていたことも知っていた。

 妻は収容所に居残って執念で墓の「土まんじゅう」を掘り返し、ついに夫の死骸をみつけ、荼毘に付して遺骨を持ち帰る。
 班長は「脱走」を決意し、自分の「師」と共に夜半に収容所を出るが、「師」はとちゅうで力尽きてしまう。班長がその後どうなったかはわからないが、その後、すべての生き残った収容者は解放され、収容所をあとにするのだった。

 リアリスティックな収容所での惨状は見るのもつらく、いつも見られる宿舎の外のどこまでも水平な地平線は、本来ならばいくらかは「美しい光景」ではあるだろうに、「何の希望もない」地平線と見える。

 ドラマとして、亡くなった男を探しに来た妻が「真実」を知っての「慟哭」はつらいけれども、正直言って少し「トゥーマッチ」という感想にはなる。

 しかし、常に「中国の隠された暗部」を捉えたドキュメンタリーを撮りつづけてきているワン・ビン監督は、ここでなせ、彼のキャリアで今まででも唯一の「劇映画」としてこの題材を取り上げたのか。
 おそらくそれは、彼の中で「中国の暗部」とは中華人民共和国建国までさかのぼって了解されることで、その中でまずはこの「反右派闘争」の暗黒面をこそ、リアリスティックに視覚化しようと思ったのではないだろうか。そういう意味で、ワン・ビン監督のドキュメンタリー作品の背後には、まずはこういう「反右派闘争」の非人間的な事実があるということだろう。

 現在の「中華人民共和国」は、なおかつ少数民族への非情な弾圧を継続し、近年の「香港」問題でもあるように、人権を抑圧し、民主主義から遠く離れた政策を拡大しようとしているように思える。
 常に、そんな中国の現状に「疑問符」を突きつける作品を撮りつづけれらているワン・ビン監督、近年までは香港、フランスなどのサポートで作品を製作されていたと思うが、現在中国国内の抑圧はさらに強くなっているのではないかと危惧する。
 ワン・ビン監督は、この『無言歌』で取り上げた「反右派闘争」~「強制労働」から生還された方々を追跡して撮り上げられた『死霊魂』を2018年に発表されたようだが、その後の動向を聞くことがないのが不安ではある。