ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ミレナへの手紙』フランツ・カフカ:著 辻瑆:訳(旧版「カフカ全集5」)

 電話とかE-mailとかLINEとかなかった時代、人々は皆、通信手段として「手紙」を使ったわけで、そのように「紙」として残された「手紙」というものは、後の時代にはある人物を知る上で貴重な資料になる。例えば、先日映画で観たファン・ゴッホの生活、彼の考えていたこと、思想の解明には、彼の遺した数多くの「書簡」こそが役立っていたりもするわけだし、多くの作家の残した書簡集というのは、そんな作家たちの「全集」の大きなパートを占めていたりもする。
 フランツ・カフカもその例外にもれず、特に恋愛関係にあった女性への手紙というのは、もはや彼の「作品」のひとつとも考えられているのだろう。
 その後に出た「決定版」では、カフカの婚約者であったフェリーツェへの手紙が2巻を占め、また妹のオットラへの手紙なども収録されているようだが、この旧版のカフカ全集には「父への手紙」と、この「ミレナへの手紙」とだけが収録されている。まあ「父への手紙」はかなり性格の異なる存在で、純粋に「手紙のやり取り」ということで読めるのはこの「ミレナへの手紙」だけであり、しかもミレナからカフカへの手紙はカフカによって廃棄されているので、ある意味、「何について語られているのか」わからないところもある。

 このミレナ・イェセンスカというチェコ人の女性は、カフカの作品をチェコ語に翻訳することでカフカと知り合うが、そのときすでにミレナは既婚者であった。ジャーナリストであったミレナはユダヤ人ではなかったのだが、ナチスドイツの時代にユダヤ人援護運動にかかわって強制収容所に収容され、そこで病死する。
 どうやら「自分の魅力」を異性に伝達するのに長けた存在だったというのか、このカフカから自分への手紙をこの書簡集の編者であるヴィリー・ハース(この巻だけ、編者はマックス・ブロートではない)に託したときの挿話でもうかがえる。それは1939年、ドイツ軍がプラハに進駐するというとき、ミレナと共にいたヴィリーは、不意にミレナに「あなたはわたしを愛したことがあったの?」と聞かれ、「もちろんですよ!」と答える。「ではなぜわたしたちはいっしょに暮さなかったのでしょう?」というミレナに答えられないでいると、ミレナは「明日の午後にお会いしましょう」という。
 翌日ヴィリーは約束の場所でミレナを待つのだがミレナは現れず、その代わりに段ボール箱いっぱいの、このカフカからミレナへの手紙が届けられたのだという。
 ここにもひとつのドラマがあるだろうし、「ミレナ」という女性を知る(知りえないのだが)ひとつのヒントがあるように思う。

 このカフカからミレナへの手紙を読み進めると、あきらかにひとつの「ドラマ」がある。まずはミレナという女性を知っての、カフカからの(おっかなびっくりの)アプローチがあり、彼女とじっさいに会ってから気もちを確かめ合ってからの「熱烈」なアプローチがある。毎日のように手紙を書き、時には日に複数回の手紙を書き、ミレナからの手紙を待ちわびている。カフカはミレナが夫と別れて自分のもとに来てくれるように呼び掛けているようだ。
 それが、カフカの手紙によれば「不意に」ミレナがカフカの前から姿を消し、この「恋愛書簡」の熱が一気に醒めて行く。手紙の頻度も急速に間隔が空くようになる。

 これはどうしても、いったいミレナの側からはどのような手紙がカフカに書かれていたのかを知りたいところだけれども、それはかなわない。表面的に読めば、カフカはミレナに翻弄されていたのだろうか、とも読める。
 人の私生活を覗き見るような、ちょっと後ろめたいような気分を持ちながら読んだ。