ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-02-14(Sun)

 地震宮城県などでは震度6強。このあたりは震度3か震度4というところだったようだ。テレビを見ているとやはり東北での被害が大きいようだったけれども、この夜の、地震直後の報道では、ケガ人こそ出たけれども、亡くなられたりした方はおられなかったようだし、建物の崩壊や火災などということもほとんどなかったようだった。とにかく、津波の心配はないということにホッとする。
 こういうときにいちばん心配なのは、「原子力発電所」の状態なのだけれども、これも「大きな事故」はない、ということ。
 しかし、5年前の熊本地震のとき、まずはかなり大きな地震が起きたあと、その二日後にそれを上回る規模の地震が起きたことを思い出してしまうわけで、ツイッター上などでもそのことを心配する声は大きい。「この一週間ほどは、大きな余震に注意してほしい」という報道もあった。

 起きてテレビを見たりネットを見たりしていたら、午前1時になってしまった。もうこれ以上起きていてもしょうがないだろうし、寝ることにした。
 いっときはおびえたらしいニェネントも、落ち着いてすぐに抱き上げて揺らしてあげた。ネコは地震の揺れにおびえるけれども、こうやって飼い主が抱いて揺らしてやると、「な~んだ、お前が揺らしてたのかよ!」と思い、気もちも落ち着くのだという。まあ地震のあと少し時間も経っていて、ニェネントもとっくに落ち着いていたのかもしれないけれども、これは「スキンシップ」である。ニェネントを抱き上げたままベッドに横になり、ニェネントといっしょに寝るのだった。

 朝は5時ごろに目覚めた。まだ外は暗い。部屋の寒暖計は12度ぐらいを示していた。テレビをつけると、どこの局も昨夜の地震の報道ばかりだ。いくつか道路際の土手の崩壊などあったようで、常磐線など不通になっている箇所もあるようだけれども、死者はもちろん重傷者もいなかったようで、震度6強だった割には被害は少なかったのではないかと、わたしもホッとした。
 しかし、わたしとて近々もっと大きな地震が来たら?と思わないわけでもない。ちょうどあと一ヶ月であの「東日本大震災」から10年になるところでのこの地震(大震災の余震だというけれども)、「忘れてはいけません」と、自然世界から言われているみたいだ。
 けっきょく、わたしが4年前に今の住まいに転居したというのも、長い長い遅延の末に、地震の影響の出ていたそれまでの住まいに住みつづけられなかった、という解釈もできる(ちょくせつの原因はアパートの火災だったけれども)。
 10年前の地震のとき、いちばんの被害は一週間ほど断水したことだった(壁にひびが入ったりもしたけれども)。しかしあのときは、すぐ近くの公園の真ん中にあった共有の水道からちゃんと水が出ていて、毎日バケツで水を汲みに行ったものだった。あたりの家はみんな断水していたから、時には行列もできた。米を持ってきて、お米をといでいく「豪」な方もいらっしゃったな。
 今の住まいは、台風が来て市内で停電箇所があってもここは停電しなかったし、断水もしたことはない。しかし、そんなこれまでのことなどで安心してはいられない。震災以来、入ったあとの風呂の湯は次に入るまで抜かないでそのままにしているし(断水したときにトイレを流すのに使う)、水さえあれば戻せるアルファ米もけっこうストックがある。そこで肝心なのは、「きれいな水」ということになる。このあたりの公園も、前のときのように断水しても水が出る「非常用」の水道があればいいのだけれども、やはり大きなペットボトルで何本か買ってストックしておいた方がいいだろうか。あとはやはり、ついに停電したときにどうするか、とか考えることは多い。今まで、けっこう深く考えないでスルーしてきてしまった。
 そして何より、ココに住めなくなって避難しなければならなくなったときのことだ。そう思い、このあたりの「避難場所」を調べてみた。そして、「ペット同行」が可であるかどうかもチェックしなければ。
 調べたら意外と遠い。歩いて15分ぐらいの、JR線路を越えたところの小学校だ。ペット同行は「可」だけれども、まさか「放し飼い」にするわけにもいかないし、ニェネントのトイレをどうするかとか、考えなくっちゃならないことがいっぱいある。

 今日は日曜日だし、いつものように早い時間にスーパーに買い物に行く。災害に備えて何か買えばいいのだけれども、けっきょくそういうものは何も買わなかった。危機意識なし。
 スーパーの外に、「ご主人さま」の出待ちをするイヌの姿があった。イヌはかわいい。ネコもかわいいけれどもイヌのかわいさはまた別モノだ。

     f:id:crosstalk:20210214095553j:plain:w500

 帰宅して寒暖計を見ると、もう17度ぐらいになっている。人が快適に過ごせる適温は18度ぐらいというけれども、それに近い室温があってもすっごく寒く感じ、電気ストーブをつけてしまう。

 昼食に、ちゃっちゃっと野菜や肉を炒めて、とろみをつけて出来合いの麺にかければ完成という、お手軽な「皿うどん」をつくる。野菜はまだ残っていた白菜と、ニンジンとネギ。これに冷凍庫で凍り付いている豚肉を解凍していっしょに炒めればいい。
 そこで問題になるのが「冷凍してある肉の解凍」で、普通だったら電子レンジでちゃっちゃっと解凍できるのだが、今は電子レンジが死にかけている。
 試しにいちおう、電子レンジを使ってみたけれども、やはりダメだ。「ダメだねえ~」と、レンジをポン、ポンと叩いてまたやらせてみると、叩かれてヤル気を出したのか、無事に解凍できたのだった。前にも叩いてみたことはあって、そのときはダメだったのだけれども、今日は叩き方が良かったのだろうか。これからもこういう調子でがんばってくれれば、余計なお買い物をしないですむのだが。
 今日はそんな解凍の仕方が良かったのか、今までになくとってもおいしい皿うどんができた。

 午後は、この日記を書いているとけっこう時間がかかってしまう。前からの問題だが、こうやって日記を書く時間というのはバカにならない。無理してぜったいに「毎日」書こうとするからいけないのだと考えることもある。もうちょっと簡潔に、10行ぐらいで終わらせる日記でもいいではないかとも思う。そのうちにどうにかしなくてはならないかもしれない。

 テレビで、今東京の「江戸東京博物館」でやっている「古代エジプト展」の特番をやっていた。見ていて、「やっぱりこの展覧会は観に行きたいものだ」と思った。まだ3月いっぱいは開催中だから、きっと行くことにしようと思う。そうそう、このところ、東京での「COVID-19」新規感染者数は連日500人以下で推移している。それはもちろん、そもそもの検査数を少なくしてるとか、「濃厚接触者」の追跡調査をしなくなったとか、たんじゅんに「感染者数が少なくなったね」などと思い込めないところはあるのだけれども、まあ「江戸東京博物館」はわたしの勤め先から電車で10分ぐらいの駅だし、駅の目の前らしいし、やはり「行ってみよう」と思う。

 すぐ夕方になり、夕食はブロッコリーとゆで卵とでサラダをつくり、またアルファ米でかんたんにすませた。
 もう一週間以上、夕食はずっとアルファ米ですませていて、まったく白米を炊いていない。それはめっちゃ経済的なことなのだけれども(アルファ米は「いただきもの」だから、まるでお金がかかっていない)、そろそろちゃんとお米を炊いて、普通に食事をする頃あいだろうと思う。

 夜はいつものように、ニェネントくんと遊びながら本を読み、寝ようとするときにはニェネントがわたしの横でゴロッとしている。こういうのが、今のわたしにとってはかけがえのない「しあわせ」な時間なのだろうな、と思う。
 

『白鯨との闘い』(2015) ロン・ハワード:監督

白鯨との闘い [Blu-ray]

白鯨との闘い [Blu-ray]

  • 発売日: 2016/11/16
  • メディア: Blu-ray

 これは、ハーマン・メルヴィルが大傑作『白鯨』を書くためのリサーチとして、かつて巨大な鯨に襲われて母船が難破し、ボートで漂流したという元船乗りの話を聞きに行くという構成で、「事実に基づく」とされている。
 まあわたしもメルヴィルの『白鯨』は読んで強烈な印象が残っているので、「どんなものか」とまずはこの作品を観て、「はたしてどこまでが真実か?」と、あとでいろいろと調べてしまった。

 この映画は原題を「In The Heart Of The Sea」といい、ナサニエル・フィルブリックという人の書いた同じタイトルの書物が2000年に刊行されている。本の副題が「The Tragedy Of The Whaleship Essex」といい、本は全米図書賞を受賞していて、日本でも「復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇」のタイトルで翻訳が出ている。
 どうやら映画はこのナサニエル・フィルブリックの本の映画化と捉えていいのだろうけれども、原作から離れてそれなりのフィクションが盛り込まれているようで、これを「事実に基づく」と言ってしまうと、のちのちかなりの誤解の種を撒くことになってしまうのではないかと思った。

 ナサニエル・フィルブリックの本は、わずか14歳でそのエセックス号に乗り込んでいた「生き残り」、トーマス・ニッカーソンが生還後55年を経て1876年に書き残した手記を基にしているということだ。
 それでニッカーソンに遭難体験を書き留めるように勧めた作家がじっさいにいたそうなのだが、それはメルヴィルではない。そもそも『白鯨』が刊行されたのは1851年のことであり、メルヴィルがニッカーソンの体験記を読んだわけもないし、この映画でのようにニッカーソンに会ってもいない。
 興味深いことに、ニッカーソンの原稿はその後誰にも読まれずにトランクにしまいっぱなしにされ、1960年にようやく親族がこれを読み、原稿の重要性を認識。捕鯨の歴史家に認証を依頼し、1984年にようやく刊行されたのだった。
 それが、ナサニエル・フィルブリックによって、エセックス号の船長であったジョージ・ポラード・ジュニア、一等航海士の(この映画の主役である)オーウェンチェイスらの話や書き残したものがプラスされ、「復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇」として刊行されるのである。

 では、メルヴィルはどのようにしてこの「エセックス号の悲劇」を知って、『白鯨』を書いたのか、という疑問が出てくるが、実はこの映画ではまったく触れられないが、オーウェンチェイスは母港ナンタケットに生還後にすぐにゴーストライターの助けを借り、エセックス号の災害を説明し、悲惨な難破船の物語を完成させているのだ。調べてもその物語は今は入手不可能のようだけれども、当時は本になっていたのかどうか、それなりに読まれたのではないだろうか。じっさい、メルヴィルがそのオーウェンチェイスの手記を読んでいることは確からしい。また、今はどこに書かれていたのかわからなくなってしまったが、メルヴィルはそのときの船長のジョージ・ポラードにじっさいに会って、話を聞いているらしい。それはひょっとしたら、この映画でメルヴィルがニッカーソンに会いに行ったことに酷似しているかもしれない。

 わたしはその、「復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇」は読んではいないのだけれども、Wikipediaの英語版などで調べれば、それなりに「エセックス号の遭難」のことは知ることができる。そのことをつき合わせると、この映画で描かれていること、語られていることはけっこう事実とは異なることがあるようだ。
 わたしはそのようにWikipediaなどで調べる前にこの『白鯨との闘い』を観て、基本は「事実」だと思っていたものだから、「それはすごい!」と思ったこともあるのだけれども、特に一ヶ所、遭難したボートが無人島にたどり着き、その島に居残りたいという4名を島に残して残りの船員が島を出、つまりオーウェンチェイスらは生還するわけだが、映画では生還後に再びオーウェンチェイスは自らエセックス号の航路と同じ海域に出かけ、4人を残した島で奇蹟的に生き残っていた3人を救助したと語られていたわけだけれども、調べるとそれは事実は異なっていて、生還したオーウェンチェイスらの話を聞いた捕鯨船組合だかがただちにその海域の近くに航海する捕鯨船にそのことを知らせ、3人を救助したというのが真相なのだった。とにかくは、島に残っていた4人のうち、3人は救出されたのだ。
 ここでちょっと、映画ではまるで触れられなかった「裏話」を書いておきたい。その島に残って無念にも生還できなかったのはマシュー・ジョイという男なのだが(映画では、キリアン・マーフィーが演じていた)、実はオーウェンチェイスは生還後にさいしょの妻が産褥で亡くなり、そのあとそのマシュー・ジョイの未亡人と再婚しているのだった(さらにその後を語ると、その2度目の結婚でもマシュー・ジョイの未亡人は産褥で亡くなり、またオーウェンは再婚するのだが、その妻はオーウェンチェイスが航海に出ているあいだに「日にちの合わない」子を出産し、オーウェンチェイスは彼女と離婚する。さらにオーウェンチェイスはもういちど再婚することにもなるのだが、まあこの話は本筋とは関係がない。さらに書けば、オーウェンチェイスはその晩年に、漂流中の体験からのPTSDともいえる、奇怪な行動を取るようにもなるのだった)。

 なんか、映画のことを何も書かないで、その背後のことばっかり延々と書いてしまった。
 わたしはロン・ハワードという監督の作品についてよくは知らないのだけれども、そこまでコテコテにエンターテインメントに徹するのではなく、そこそこに「文芸的」な要素を残したい監督さんじゃないのかと思う。イギリス映画のようにコテコテに「文芸映画」にはならないし、ヨーロッパ映画みたいに作家の個性は出さない。
 この『白鯨との闘い』でも、これはいとも簡単に倍率を引き上げた『ジョーズ』みたいに演出できるわけで、まあじっさいにそういうところもあるのだけれども、ちょっとセーブしている印象はある。それはもちろん、日本のタイトルとは裏腹に、この映画の主題は「クジラと人間との戦い」だけにあるのではなく、「海の真っただ中(In The Heart Of The Sea)で遭難すること」の恐ろしさを描くものであったからでもあるだろうけれども、それだったら、何も『白鯨』など引き合いに出す必要もなく、ハーマン・メルヴィルを登場させる意味もないことになる。ここに、そこそこに「文芸的」でありたいという監督の希望が読み取れるだろうか。どうも、一般に「読破」がむつかしく、「難物」といわれている『白鯨』とリンクさせることで、ちょっと作品に「箔」をつけようとでもしたのだろうか。というか、『白鯨』を映画化してみたいものだけれども、これはとても手に負えるものではない。せいぜいリンクさせることで「文芸的」味わいを持たせようとしたのだろうか。
 いろいろと、SFX画面の迫力、19世紀の漁港、捕鯨船の再現、その渋い色調など、気に入ったところもあった作品ではあるけれども、けっきょくは中途半端なエンターテインメント作品に終わってしまったのではないかと思える。
 

2021-02-13(Sat)

 朝起きて、リヴィングの気温計を見るとやはり10度ぐらいだった。でも、今日はかなり暖かくなるということだ。
 早い時間に「GYAO!」で映画を観ようと、午前中に『白鯨との闘い』という、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』の元ネタとなったという「事実」の映画化作品を観た。映画を観ているときに電話があり、となり駅の書店におととい注文していた本がもう届いているという知らせだった。ずいぶんと早いものだと、ちょっとおどろいた。午後からの予定もないので、さっそく今日受け取ってこようかと考える。

 昼食のあと、本を受け取りにとなり駅へと出かけた。外は晴天で、ちょっと薄着で出かけたのだけれども、たしかにかなり暖かいようだ。
 まっすぐ書店へ行き、本を受け取る。ほんとうはこの本は今読んでいる『世界動物発見史』を読み終えたあとに読もうと思っていたのだけれども、やはりじっさいに手にしてしまうと早く読みたくなり、少しずつ『世界動物発見史』と並行して読んでいこうかと思う。

     f:id:crosstalk:20210213152432j:plain:w500

 昨日ネットを見ていて、今回の芥川賞を受賞した作品ではないが、候補になって好評を得ている本のことを読んだ。たしか小学生の女の子とその父親とが、我孫子から鹿島まで利根川の土手をずっと歩いて行くという小説で、今の「COVID-19禍」以後の、人の生き方への視点も含むみたいな。
 我孫子はわたしの住む市だけれども、ウチから利根川への距離はずいぶんある。去年の正月に「初もうで」で「布施弁天」というところへ行き、その弁天さまのすぐそばが利根川の土手だったけれども、ウチからは歩いて1時間かかる。その小説がどのようなものか、我孫子でもどこのことを書いているのかはわからないけれども、自分もその小説のように利根川の土手を歩こうとしたら、またとんでもない距離を歩かなければならないだろう。

 その本のタイトルも(たしか「旅」なんとかというタイトルだと記憶していたが)、作家の名前も記憶していなかったのだけれども、せっかく本屋に来たのだから、その本を探してみようとした。ちょうど「芥川賞受賞作」を掲載している文藝春秋が置かれていたので、その芥川賞審査員による「選評」を読むと、わたしの探していた作品のタイトルも、作家名もわかった。乗代雄介という人の、『旅する練習』という本だった。
 その本を平積みのコーナーとか新刊書の棚で探してみたが、もう売れてしまったのだろう、見つからなかった。

 しかし、その著者による本として、『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』という、けっこう分厚い本が棚に置かれていた。
 「ミック・エイヴォリー」って誰よ、って感じで、おそらく一万人の人に聞いても知っている人がいるかいないか、というところだろうけれども、ふふ、わたしは知っている。ミック・エイヴォリー(Mick Avory)とは、1960年代から活動したイギリスのバンド、キンクスのオリジナル・ドラマーなのである。そして偶然にもわたしは、半月ほど前にそのミック・エイヴォリーの名が登場する夢をみていたのだった。
 わたしとしては目覚めて、「なんで今どき、ミック・エイヴォリーが夢に?」とは思っていたのだけれども、ひょっとしたら無意識にどこかでこの『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』という本のことを見ていて、それで夢に登場したのかもしれない。
 その本は、作者の乗代雄介が自らのブログに書き継いできた文章を中心に構成されているらしく、面白そうなので(わたしにフィットするタイトルのこともあり)よほど買ってしまおうと思ったのだけれども、これが日本の作家の本らしくもなく、学術書とか海外文学の本みたいなかなり高い価格がつけられていて、やはりちょっとためらい、買わずに店を出てしまった。
 ちなみに、帰宅してからネットを検索して知ったのは、この『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』というのは、キンクスの名作アルバム「The Kinks Are The Village Green Preservation Society」のデラックスエディションに収録された、ボーナストラック曲のタイトルなのだった。わたしはそのデラックスエディションは持っていないので知らなかったが、聴いてみるといかにもアウトテイク的なインスト曲ではあった。

 本屋を出て、また先日のように駅の反対側の家電量販店に行って、もう一度「電子レンジ」「オーブントースター」をチェックしてみようかと思ったのだけれども、どうせ何もわからないで店を出ることになるだろうからやめた。でも、急に「鶏の唐揚げ」が食べたくなり、家電量販店の先にあるスーパーへ行って、安い発泡酒といっしょに買って帰った。発泡酒ぐらいは、飲んでもいいのだ。

 帰宅する道、ウチのすぐそばのマンホールの上で、マンホールの小さな穴から虫が飛び出してくるのを待ち受ける、ハクセキレイの姿が見られた。

     f:id:crosstalk:20210213151315j:plain:w500

 帰宅して発泡酒を飲んで鶏の唐揚げを食べ、かんたんな夕食をとる。部屋の気温計をチラッと見てみると、なんと20度を指していた。それはもう暑いぐらいではないか。早く寝ようとベッドへ行き、『世界動物発見史』を読み、そのあとに今日買った『カモノハシの博物誌』をちょこっと読んでから寝た。

 夜中、地震で部屋が揺れ始めて目が覚めた。横揺れだし、それほど大きくもないと思っていたらだんだんに揺れが大きくなり、キャットタワーのてっぺんで寝ていたニェネントもキャットタワーから跳び下りてキッチンへ走って行った。
 わたしは何もしないでただベッドで横になっているだけで、「ああ、これでこの建物がつぶれてしまったら、わたしは天井の下敷きになってしまうのだな」と漠然と思うだけだった。
 地震の揺れはけっこう長い時間つづいた。部屋の中で何かが落ちたり倒れたりする気配もないままに揺れがようやく収まって、時計を見てみると午後11時10分ぐらいだった。
 枕元にあったスマホを手にしていろいろと情報を得て、震源地は福島沖だと知る。今年の3月はあの「東日本大震災」から10年になるのだけれども、今になってまた同じような場所で地震が起きたのだった。
 もうわたしはすっかり目が覚めてしまったのだが、日付けも替わるので、あとのことはまた明日に書く。
 

2021-02-12(Fri)

 ずっと前に買ってあった、室内用の気温計が見つかった。ぴょんと、リヴィングの机の前にかけておいた。それで朝起きてその気温計を見ると、だいたい11度ぐらいを指していた。それはやはり寒いだろう。寒いから電気ストーブをつけるわけだけれども、電気ストーブはそのストーブのごく周囲しか温度は上がらないから、気温計はせいぜい13度ぐらいになる程度だ。まあ、こういう「寒い日」ももうちょっとの辛抱だろう。

 昨日は祭日で休みだったが、今日出勤すればまた明日、明後日は土日で休みになる。出勤するのもかったるいし、仕事もまるでヒマだった。空は晴れたり曇ったりしていたが、そんなに「寒い」という天候でもなかった。
 仕事を終えて自宅駅に着くと、空はすっかりグレイの雲に覆われていて、その向こう側に太陽の光が透けて見えた。

     f:id:crosstalk:20210212123753j:plain:w500

 駅前のスーパーで、今日は半額になった豚肉を3パックも買った。これで当分肉の心配はいらないだろう。帰宅してリヴィングの気温計を見ると13度。この時間は戸外よりも室内の方が寒い。

 テレビをつけると、昨日ほぼ決まってしまったような報道だった森委員長の後任だけれども、今日になってその話はご破算になってしまったようだった。「どういうことよ」と思ったら、どうもその後任に推されていた川淵三郎氏が、昨日の取材であれこれとしゃべりすぎたことにも原因があるみたいだ。つまり、森喜朗氏から「わたしは辞任するからあなたが次にやってもらいたい」と電話があったということも話していて、「それでは森氏は何も反省していなくて、しかも自分で後継者を決めるなんてとんでもないではないか」ということだ。
 川淵氏は、今日の評議委員会で自分の名が出ても辞退するということで、すべてまたさいしょっからやり直し。いかにもこの<東京オリパラ>を象徴するような混乱ぶりである。
 3時からはその森喜朗氏の辞任の「演説」があったのだが、15分間にわたって自分のこれまでの功績を延々と語り、しかも今回の<女性侮蔑>発言の自覚、反省はまったくなく、「わたしは女性を持ち上げようとしているのだ」と語り、今回の騒動はまるで誰かにはめられたように思っていることがよくわかった。どうやらネット上の彼への批判にはいろいろ目を通したらしく、「わたしを<老害>よばわりすることは許せない」とかのたまっておられた。
 このことで浮かび上がってくるのは、「COVID-19禍」にかかわらず、そもそも今の日本はオリンピックやパラリンピックを迎え入れて開催できるようなキャパシティのある国ではないということだろうか。
 だいたいからして、森氏に関する報道に付加されるコメントで、森氏を擁護するものとして「ギリシアのオリンピックは女性は参加できなかったんだぞ」などと書く人物が相当数存在する国が、この日本なのだ。アホらしくなる。

 そうでなくっても、海外からも<東京オリンピックパラリンピック>の予定通りの開催を危ぶむ声も聞かれるようになっている。この件に関してアメリカのバイデン新大統領は、「科学に基づいて判断されるべきだ」と語ったということだ。この言葉は、スカ首相が何度も何度もくり返して語る「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として開催する」という言葉の<非科学性>への批判として聞くこともできるだろう。どちらにせよもう最終決定までの時間はあまり残されてはいないだろう。スカ首相もいつまでも無茶を言ってはいられないということだ。

 さて、明日は仕事も休みなのでちょっと遅くまで起きていて(といっても8時半ぐらいのものだが)、キッチンへ立つとニェネントがわたしの足もとに寄ってきてわたしを見上げて、わたしの顔を見て「にゃあん」となくのである。それは明らかに、わたしに何か訴えようとしてないているわけだ。「いったい何を訴えたいのだろう?」と思えば、それはすぐに「ねえ、もう寝ようよ!」と訴えているのだとわかる。
 つまり、ニェネントの一日のいちばんの「お楽しみ」というのは、わたしがベッドに入ってからわたしの上に乗っかって、わたしに遊んでもらうことなのだ。だから、リヴィングでごろごろしているわたしが、ついに和室に行ってベッドに寝る時間が楽しみでしょうがないのだ。
 そんな、ニェネントと遊ぶなんて、わたしとしては別にベッドでだけでなく、リヴィングでも抱いてあげていつでもやってあげられるのだけれども、そういうところではニェネントくんはしっかりと「ツンデレ」で、ふだんはわたしが抱き寄せようとしてもサッと逃げてしまう。どうやら、ベッドで寝ているわたしのからだの上で遊ぶことこそが、最上にゴキゲンらしいのだ。
 「わかったよ、もう寝るよ!」と着替えて、ベッドに行くとニェネントもいそいそとついてきて、いつものように遊んで、この一日もおしまいになるのだった。
 

2021-02-11(Thu)

 よく知らないけど今日はなんかの祭日で仕事も休み。起きたのは5時過ぎだったけれども、今朝は前の時のようにニェネントが「起きてよ~」と来ることもなかった。
 しかし、仕事がないからと朝寝したつもりでも5時には目覚めてしまい、窓の外はまだ真っ暗というのは、全然「朝寝した」という気分ではない。それこそ朝寝をしたつもりで目覚めたらもう外が明るくなっていた、みたいな感じに早くなるといい。

 今日は電車に乗って買い物とかに行くつもりでもあるのだけれども、その前に自宅に近いスーパーに買い物に出かけた。今日も空は青空で、あまり寒さも感じない。
 いちおう、ニェネントくんのごはんにトッピングしてあげる「ネコ用カニカマ」を買うつもりだったのだけれども、白米の売り場を見てみたら、精米日から2週間を過ぎている「コシヒカリ」が2割引で売られていたもので、買ってしまった。
 ほんとうはその後の予定の「電車での買い物」で行くスーパーが、今日買い物をすると次回全品1割引になるクーポン券をつけてくれるので、次回にそのクーポンを使って米を買おうと思っていたのだけれども、そっちのスーパーの米はたしかに安いのだけれどもつまりは「標準米」みたいなもので、例えば「コシヒカリ」とかで考えれば元の値はどっちも同じようなものだから、クーポンを使って1割引よりは、目の前で2割引になっている「コシヒカリ」の方がお得だろう。そういう考えではあった。

 いちど帰宅して、ちょっとひと休みしてから駅へ。お米は買ってしまったけれども、やはりまずは最初に考えたように、2駅向こうの駅前にあるスーパーに行って買い物をする。どれだけの量を買っても次回1割引のクーポンをもらえるのだから、たとえば「もやし」一袋を買うだけでもいいのだけれども、マヨネーズやケチャップなどはなくなってきているし、特にマヨネーズに関してはこのスーパーの自社ブランドの製品が圧倒的に安いからマヨネーズとケチャップを買い、あまり酒を飲まなくなってから買いまくっているチョコレートもいっしょに。

 次は電車で一駅戻り、駅前の家電量販店に行って懸案の「電子レンジ」「オーブントースター」などをチェックする。
 この件はいろいろ考えたのだけれども、やはり今の電子レンジでトースター機能がついているものは、どれも今ウチにあるレンジよりも相当能力が落ちるようで、焼く時間は今のヤツの倍かかるし、中にはとちゅうで裏返してやらないといけなかったりする。つまり、パンを焼くにはやはり別に「オーブントースター」を買い、それとトースター機能なんかいらない「電子レンジ」とを買うのがいいだろう、という結論になった。
 それで、「オーブントースター」もピンキリあるわけだけれども、あんまり安いばかりのものではなく、ある程度キャパシティのあるものを買いたいと。その「オーブントースター」を決めたあとに、その価格を考え合わせて「どんな電子レンジがいいだろうか」と決定しようということだ。
 その家電量販店に行ってみたのだけれども、この店舗は見本商品をずらりと並べてあるだけで、それぞれにどのような機能が付いているのかということはまるでわからない。こういうところは先週行った市役所のそばの家電量販店の方がずっと優れていて、そっちでは見本品の前にそれぞれどんな機能が付いているのかを見比べられるようなカードが添えられていたのだった。
 けっきょく、もしもこの店舗で買おうという気があるのなら、先にいろいろと検討して「これにしよう」と決めた上で買いに行くしかないだろう。しかも、その自分で決めた製品がこの店で売られているかどうかは、店に行ってみるまでわからないのだ。つまり、この店で買うという選択肢はないだろう。それで、「何がいいか」ということは、家でAmazonなどの通販サイト、そしてメーカーのサイトなどをチェックして決めるしかないだろうということ。まだまだ、買うのはもう少し先のことになるだろう。

 次は駅の反対側にあるデパートの中の書店に行き、今読みたい「カモノハシ」の本を注文する。
 今わたしは本を買うときは新刊書以外は基本Amazonを利用しているのだけれども、それは中古商品をマーケットプレイスから買っていたわけで、定価よりはずっと安く買えた。しかし今回の「カモノハシ」の本はまだ刊行されて半年しか経っていなくて、まだほとんど新刊書。マーケットプレイスでも出ているのだけれどもそんなに安くなっているわけでもない。まあ「ちょっとでも安く」というのであればそんなマーケットプレイスで買ってもいいのだけれども、先日、このような「外出自粛」のもと、じっさいの書店も売り上げが落ちているという話も聞いたし、書店を助けるという意味でも、ふだん新刊書を買っている書店に注文するのがいいだろうと(この書店は、店頭からすっかり「ヘイト本」を排除しているということでも信頼していて、応援したい書店ではある)。
 実は書店に直に本を注文するというのは、もう二十年とか三十年ぶりのことで、以前だったら注文してから書店にその本が届くまでに十日とか二週間とかかかっていたように思う。それで今日注文してみたら、3~4日で届くということだった。昔とは変わったのだ。

 書店での注文が終わるともう12時を過ぎていて、「せっかく出てきたことだし、今日の昼ごはんはデパ地下でお弁当を買って帰ろう」ということにして、地下にもぐっていろいろな店のお弁当を見てまわった。祭日のお昼どきということで、けっこう人が込み合っていた。「こんなもんでどうだろう?」という寿司の詰め合わせを買う。

 電車で自宅駅に戻り、自宅へ歩いている途中の公園で、またまた「ツグミ」の姿を見た。このあたりは最近、急にツグミの数が増えたのだろうか。

     f:id:crosstalk:20210211125055j:plain:w500

 帰宅して、買ってきた「お弁当」を食べた。けっこうボリュームがあり、半分食べただけで満腹になり、残り半分で「夕食」にしよう、ということにした。

     f:id:crosstalk:20210211125934j:plain:w500

 テレビを見ると、東京オリパラの組織委員会会長の森氏は、ついに自ら辞任することにしたようだった。それはそれでいいのだが(ほんとうは「更迭」というかたちになった方が良かったのではないか、とは思う)、すでに後任がだいたい決まっていて、それが元の本サッカー協会会長の川淵三郎という人物ということなのだが、ツィッターなどでは「この人物は極右」と告発する声が大きくあがっているのだった。しかも、彼が後任と選ばれる経緯というのが、その辞任する森会長の指名だということで、さらに反発が拡がっている。これはまるで、安倍元首相がいろいろな疑惑から首相を辞めたけれども、後任は「安倍政治を引き継ぐ」というスカ首相になったことに似ている感じもあり、まあ東京オリパラの組織委員会森喜朗の「院政」ということになるようなものだろう。
 どうも、いつまでもいつまでもスッキリしないことはなはだしい。そもそもが<東京オリンピックパラリンピック>が開催される可能性も極めて低い状態でこんなことばかりやっているわけで、早く中止を決めてしまえばどれだけいろいろなことがスッキリすることだろう、とは思う。
 

2021-02-10(Wed)

 日中はだいぶ暖かくなってきたのだけれども、まだまだわたしが家を出る時刻は気温が低い。スマホで見る天気情報では、そんな午前4時とか5時とかは0度とか、1度とか出ている。手袋をしないと手が冷たい。それで職場に着いて仕事を始め、7時半ぐらいには外を巡回するのだけれども、もうその時間にはけっこう暖かくなっている。
 週間予報を見ると、まだまだ当分は最低気温は0度近辺で推移するようだけれども(来週の月曜日は最低気温も一気に7度とかいうが)、最高気温は15度を越える日がつづくようだ。

 仕事を終えて帰宅するときにはすっかり青空で、「春」っぽい。空には横になびく細い雲のところにクロスする飛行機雲が重なり、大きな十文字が出来ていた。

       f:id:crosstalk:20210210123141j:plain:w400

 帰宅して、昼食はちゃっちゃっとスパゲッティ・ペペロンチーノをつくる。どうやら何か入れ忘れたのか、味が足りなくって「これは失敗か」というところだった。しばらくペペロンチーノもつくってなかったので、「ペペロンチーノなんかかんたんだよ」と、いい加減につくってしまったか。

 森東京オリパラ組織委員会会長の問題はまだ収まらず、今開催されている国会審議の動向も気になるのだけれども、今日もまたNHKは中継をやらない。それで昼食のあと、YouTubeでやっている国会中継をずっと見てしまった。
 YouTubeのライブ中継の楽しいのは、閲覧者がコメントを書き込むことが出来、そのコメントがずらりと閲覧できるところだ(つまり、「チャット」だね)。今日はこの中継を見ている人はほぼ全員が今のスカ政権に批判的な人ばかりで、以前はときどきネトウヨっぽい書き込みが場を荒らしていたけれども、そういうのはほとんどなかった。
 ただ、これは書いておきたいが、山本太郎を応援する複数の人物らが、国会の審議内容に無関係なテンプレート的なコメントを連続し、非常にうざったい。というか、こういうやり方はまさにネトウヨらがくり返していた手法なわけで、当人らはそれが山本太郎への「応援」になっていると思っているのかもしれないが、コメントを見ている閲覧者からすればそれはまったく山本太郎の応援になっていなくって、逆に「山本太郎の支援はやめよう」と思わせる効果しかないのである。わたしは前にもちょっと書いたことがあるが、山本太郎の支持者というのは時に、「山本太郎信者」という顔を見せ、「こんな連中が多数派になると恐ろしい」と思わせられるだけなのだ。
 そういうコメントはブロックして見ていて、けっきょくわたしもチャットに参加してしまい、中継が終わるまでずっと見てしまった。今日の質疑ではやはり、共産党の議員による元農林水産大臣の追及、「アニマル・ウェルフェア」問題の掘り下げがすばらしく、わたしなども学ぶことが多かった。こういう問題はふだんテレビなどでもここまで掘り下げられることもなく、やはりこのような質疑応答を中継しないNHKというものは、「公共放送」の名に値(あたい)しないではないか、とは思うのだった。

 国会中継が終わり、フッと落ち着いてみると、窓の外が夕焼けで赤く染まっていた。「きれいな夕焼けだなあ」と、窓を開けて写真を撮っていると、そのスキにニェネントが開けた窓から外に出てしまった。むむむ、窓を開ける前にニェネントの居場所をチェックして、「そこに居れば窓の外に出ないだろう」とは思ったのだけれども、ニェネントだって走るからね。

     f:id:crosstalk:20210210172622j:plain:w500

     f:id:crosstalk:20210210172642j:plain:w500

 きゃ~、ヤバい。いちど外に出てしまったニェネントを、また部屋に戻すのはけっこう苦労するのである。「まいったな」と思い、窓は開けたままで玄関から外に出て、窓の方に行ってみる。
 そのときにはもうニェネントの姿は見当たらず、「ふむ、部屋に戻ったか?」とわたしも部屋に戻ると、ニェネントは和室で「ふふふ」みたいな態度でまどろんでいたのだった。
 まあ今はニェネントも外に出ても、以前のようにとんでもないところに行ってしまって、しばらく戻ってこないということもなくなったみたいだけれども、それでもやはり、窓が開いていれば外に出てしまうのだ。要注意。

 明日は祭日で仕事も休み。ちょっと離れた駅に買い物に出て、そのあとにとなり駅に戻って、今欲しい「カモノハシ」の本を書店で注文し、そして駅前の家電量販店でもういちど、電子レンジとかオーブントースターの「現物チェック、検討」をやろうと思っている。
 

『団地妻 白昼の不倫』(1997) 小林政広:脚本 サトウトシキ:監督

f:id:crosstalk:20210211085447j:plain:w300

 以前観た傑作ピンク映画『団地妻 奥様はゆうれい』(劇場公開時タイトルは『不倫日記 濡れたままもう一度』)に引きつづき、小林政広脚本、サトウトシキ監督、葉月螢主演という「黄金トリオ」による作品。楽しい。

 団地の棟のあいだを歩いてくる葉月螢をカメラが追い、葉月螢のモノローグがかぶさる。「わたしの名前は坂井朝子、朝は早起きの朝子です。おっちょこちょいの朝子でもあります。」
 もう、この葉月螢独特の、棒読みに近いイントネーションのモノローグを聞くだけで笑ってしまう。そう、この作品は「喜劇」なのだ。

 団地に住む朝子は、夫(本多菊雄)と結婚8年目。夫は毎日仕事の帰宅は12時頃。どうやらこれまでさんざん浮気してきたらしいが、今はどうやら落ち着いているようだ。しかし夫としてはセックスのときに朝子がいちいち「気もちいい~」という言葉をくり返すのがイヤなのではある。

 朝、夫が自転車で出勤してしまうと、朝子は団地の同じ棟、となりの部屋のミチコと遊ぶ。だいたいはボウリング場へ行くようだが、朝子はボウリングがちっとも上達しないでいる。二人はそのボウリング場で野口という男(川瀬陽太)と知り合う。「なるほど、この男と不倫するわけか」と観ていても、これがなかなか進展しない。逆に野口はミチコと不倫するのだった。

 一方、朝子の夫は毎朝、自転車にまたがって出発するときに、やはり自転車に乗る女性(長曾我部蓉子)に「おはようございます」とあいさつされ、「ようし、きょうもがんばるぞ!」と自転車をこぐのである。こちらはこちらで、この二人は不倫しそうなものではあるが。

 毎朝、夫が家を出るとき、朝子は目を閉じて口を突き出し、キスを求めるのだが、夫はいつも無視して行ってしまう。セックスが一週間もなかったりする。部屋のとなりから、隣家のミチコが旦那とセックスするよがり声が聞こえてくる。朝子は「つまんない」とひとりごちるのだ。
 ある朝、朝食を食べながら夫は朝子に「離婚しようか」と言う。朝子はおどろくのだが、夫は「冗談だよ」といい、朝子にキスするのである。

 別の日、朝子は夫に「あなた、湯豆腐食べたいって言ってたでしょ? 今夜湯豆腐つくるから、早く帰って来てね」と送り出す。
 夕方、湯豆腐の材料を買い物して帰路に着く朝子は野口にばったり出会い、野口の言うままにホテルに入ってしまう。いきなりフェラチオを強要され、服を脱がされた朝子は「ダメよ」とホテルを飛び出す。しかしそこで、朝子は夫と出くわしてしまうのだった。
 「これは大変、夫婦げんかだよな」と思って観ていると、二人はどうということもなく湯豆腐を食べるのだった。でも、夫は途中で部屋を出て、団地の外廊下でタバコを喫う。そこに毎朝の彼女が来て、「どうしたんですか?」と話かけ、夫は「妻が浮気してるんですよ」と話す。女性の方も、「わたしも同じ。夫が浮気してるの」と話す。いやこれはついに、この二人は結ばれるかと観ていると、夫は彼女に「今夜、どうします?」と聞くのだが、彼女は「もちろん、帰ります」と。「そうでしょうね」、「もちろん」。

 なんやねん、全然「不倫」しないじゃないか。

 実は毎朝の彼女は朝子を誘った野口の妻で、やはり同じ団地の同じ棟の住人だった。
 風呂に入っていた朝子は帰って来た夫に、「あなた、誤解なのよ。わたしが愛しているのはあなただけ」と語るが、夫は「寝るよ」と先に寝てしまう。

 別の日、夫が帰宅すると朝子はひとりでワインを飲んでいた。朝子は夫にも「飲め」と勧め、ちょっとしたやり取りのあと、二人でワインを飲む。朝子は「ずっとあなたに恋してた。浮気なんて、一度も。死ぬまであなただけでいいと思ってた。でも、あなたは違ってた。ずっとわたしのことなんかどうでもよくって、ずっと他の女と。」と語り、夫は朝子の服を脱がしてセックスする。
 同じとき、となりでもミチコが旦那とセックスをしていた。同じとき、自転車の彼女も、実は彼女の夫だった野口とセックスを始めるのだった。

 ラストは朝子のモノローグで、「多分、わたしの最後の恋は、この人とのクソ面白くもないセックスに明け暮れることなんだと思います。」と。

 やはり、登場してセリフを語り、モノローグがかぶさるだけですべてを「葉月螢ワールド」に持って行ってしまう葉月螢の偉大さ、なのだけれども、それを支える小林政広の脚本のすばらしさがあるし、サトウトシキの演出の巧みさが輝く作品。
 セックスのあと、夫と話しながらティッシュを丸めて股間を拭いていた朝子がポイとティッシュを投げ捨て、カメラが床に転がるティッシュを捉えたショットはよかったな。
 そして、外廊下での夫と自転車の彼女との会話のあと、いくつかはさみ込まれる東京の夜景のショット。

 まあはっきり言って傑作『奥様はゆうれい』には及ばないとはいえ、充分に楽しめる作品ではあった。それで、この「葉月螢、小林政広サトウトシキ」のトリオによる作品は他にないものだろうかと探したら、この2年後の作品に『新・団地妻 不倫は密の味 今宵かぎりは…』というのがあり、どうやらその作品でも葉月螢は「朝子」を演じ、その夫を同じく本多菊雄が演じるという、この作品の続編的な作品があるようだった。
 どうもその作品、以前「GYAO!」の無料配信のリストに載っていたように思う。見逃してしまったかと思うけれども、「GYAO!」では時期を置いて同じ作品を何度も配信するので、気長に待つことにしよう。