ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019年11月のおさらい

講演:
●『世界文学としての中島敦池澤夏樹:講師 @横浜・県立神奈川近代文学館

展覧会:
●『不思議の国のアリス展』@横浜・そごう美術館
●人形作家・清水真理『Wonderland』@横浜・横浜人形の家 2階多目的室
●『中島敦展 魅せられた旅人の短い生涯』@横浜・県立神奈川近代文学館
●『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』@中村橋・練馬区立美術館

映画:
●『アイリッシュマン』マーティン・スコセッシ:監督

Book:
●『クマのプーさん 原作と原画の世界』アンマリー・ビルグロウ エマ・ロウズ:著 富原まき江:訳
●『南洋通信 増補新版』中島敦:著
●『完訳 グリム童話集 1』グリム兄弟:著 池田香代子:訳

ホームシアター
●『サイレンサー第4弾/破壊部隊』(1968) フィル・カールソン:監督
●『駅馬車』(1939) ジョン・フォード:監督
●『荒野の決闘』(1946) ジョン・フォード:監督
 

『荒野の決闘』(1946) ジョン・フォード:監督

 これはけっこう記憶していた映画だ。ヘンリー・フォンダ扮するワイアット・アープが保安官事務所の外で椅子に座り、前の柱に足を交互にかけるところとか、教会の集まりでワイアット・アープとクレメンタインが踊るシーン(ヘンリー・フォンダの足の上がり方がキリッとしていてカッコよかった)。そう、酒場の女、「チワワ」という変な名まえの女性が出てくるのはこの映画だったのか。演じているのはリンダ・ダーネルという女優さんで、この方は若くして自宅の火事で亡くなられたらしい。

 自分の弟を殺した犯人を捕らえるために保安官になったワイアット・アープが、ドク・ホリディ(ビクター・マチュア)の助けを得て犯人のクラントン一家との対決を制し、町を去って行くわけだけれども、そんな中に町での人々の暮らしぶりも描かれ、ワイアット・アープとドク・ホリディの愛憎関係というか、そこにチワワと、ドクを追って町にやって来るクレメンタインとの四角関係みたいなものも描かれる。チワワもクレメンタインもドクを追っかけてるわけだけれども、ドクは結核だから自暴自棄というか、ただ死に場所を探しているだけかもしれない。ワイアットはクレメンタインに「一目惚れ」なわけだけれども、ウブで自分の気持ちをしっかりと伝えられない。これがラストの「クレメンタイン、いい名まえです」という名セリフになる。

 しかし、どのシーンもどのシーンも、空の雲がすっごい映画だなと思う。ジョン・フォードは、「絵になる雲」を待って撮影したのだろう。
 単純に「撃ち合い」のアクション映画ではなく、シェイクスピア役者が出て来たりして、ドク・ホリディが実はシェイクスピアを暗唱できるインテリだということもサラリと描いてみせる。
 さいごの決闘シーンも、それはさすがにジョン・フォードで、遠くから駅馬車が疾走して来て、その駅馬車が対立する二組のあいだを駆け抜けてすっごい砂ぼこりがあがり、その砂ぼこりがおさまったときに銃撃戦が始まるのだ。
 この「砂ぼこり」が強烈で、あなた、当時はCGであとで操作したり出来ませんからね。こういうところに映画人の苦労というか手腕を感じますね。

 映像としてやはり、ところどころ「ドイツ表現主義映画」の影響を感じるショットもあり、特にさいしょの方で夜の町の酒場で酔っ払いが暴れるのをワイアット・アープがおさめるというシーン、酒場の中からの明かりで、その入り口に酔っ払いが逆光の黒いシルエットで立っているシーンなど、ジョン・フォードの美意識を感じる。
 けっきょく、どこのどんなシーンひとつにしても、今の映画監督にはまったくマネも出来ないような映画ではないのかと思う。
 

2019-11-30(Sat)

 寝た。昨夜は『普通の人々』を読みながらそのまま7時ごろから寝てしまい、今朝起きたのは5時。5時に目覚めるというのも相当なものだけれども、それでも10時間寝ている。寝すぎではないか。

 昨日は注文していたCD、After Dinnerの『THE SOUVENIR CASSETTE and FURTHER LIVE ADVENTURES』が到着した。

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 1980年代、わたしがいちばん入れ込んだバンドは「After Dinner」だった。このことを書き始めるとどんどんと長くなるのでやめておくが、この頃からわたしは「日本のミュージシャン、アーティストも世界的に引けを取るようなものではない」という考えを抱くようになり、そのことがわたしのイヴェント開催への後押しになったものだと思う。そういう意味でもわたしの中では重要なバンドではあった「After Dinner」、このCDは当時リリースされたカセットの『THE SOUVENIR CASSETTE』の30年を経ての再発売+ボーナス・トラックというCD。うれしいCDではあった。
 オリジナル音からリマスターされたという音は、リヴィングにセットしたオーディオ・セットでは「むむ、カセットの音も良かったな」という印象もあったけれども、これを和室のラジカセにセットして聴いたところ、やたらに音がクリアでインパクトも強かった。音を聴く条件次第で、ここまでも印象が違うのか、という受け止め方ではあった。

 午後からジョン・フォードの『荒野の決闘』を観て、そのあと昨日買った『普通の人々』をベッドに横になって読んでいたら、案の定そのまま寝てしまった。目覚めたらもう5時を過ぎていたが、「ここはちょっとがんばってみよう」と米を炊き、ほんとうに久しぶりに「カレー」をつくった。自分で言うのもアレだけれども、細心の注意を払って調理して、美味なカレーが出来たと思う。これでしばらくは我が家の食事は「カレーライス」がつづくことになるだろう。
 

2019-11-29(Fri)

 金曜日になった。月曜日からこの日まで、ただ金曜日になることを待ち焦がれて労働している気がする。朝から「あと数時間拘束されたらわたしは自由だ」と思ってウキウキしている。しかも今日は久々に晴天。雲ひとつない青空だ。それでも気温は低く、もはや「冬」本番になった気分だ。

 仕事が終わり、「さあ今日はどうしよう?」という感覚。帰りに乗換駅で下車して、そばの本屋で前から買いたかった『普通の人々』という本を買った。副題が「ホロコーストと第101警察予備隊」。いかに当時の<普通の人々>がホロコーストに加担してしまったのか、という書物だと思う。

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 今の日本でも、自分のことを「普通の日本人」とする人物がとんでもないレイシストであったりする。この本はそのあたりとは別の問題だろうとは思うが、やはり「レイシズム」、そして「保守・反動政権」に寄り添う人たちのことを、多少は知ることが出来るだろうか。

 この本屋では、キャッシュレスだと5パーセント値引きだというのでSuicaを使おうとしたのだけれども、よくわからないけれどもそんなに簡単に使えるわけでもないらしく、けっきょく現金で支払った。

 それから「衣料」。もうすっかり冬になってしまった。今は昔から着ているセーターを着ているが、ひょっとしたら10年以上着つづけているこのセーター、いいかげんボロボロになっている。「もう新しいのに買い替えよう」と、となり駅で下車し、「オーソドックスなデザインの衣服ならこの店よ」というUNIQLOに立ち寄り、今着ているセーターと同じようなセーターを買った。
 もう一軒、「ここは衣料品は安いよ!」という店にも行き、室内でうろちょろ出来るズボン(というのかな?)を買った。

 そのまま帰宅して、けっきょくこの金曜日は「お買い物」の金曜日で終わってしまった。さっそく買って帰った衣服に着替えたが快適で、まあ冬はこれからが本番だし、「もう少し<冬の衣料>を買っておきたいな」とは思うのだった。
 

2019-11-28(Thu)

 今日もまた雨模様の天候で寒い。天気予報はけっこう外れっぱなしで、今日だって「午後から雨になるかも?」という予報だったのに、午前中から冷たい雨が降るのだった。

 いちおう書いておきたいのだが、わたしの知る「世間」では、安倍首相の「桜を見る会」のスキャンダルがずっと問題になっている。このことはまずは明らかに「公職選挙法」に違反しているし、実は反社会的な活動をする人物も招待されていたことも判明している。内閣府は「招待者リスト」はシュレッダーにかけて廃棄したとしているが、今の世の中で紙媒体さえ廃棄すれば「もうデータはないよ!」などと言えるわけもない。これが3~40年前であれば、すでに安倍晋三は逮捕されて総理の座を明け渡していたはずだが、ここまで事実が暴露されてもなお、いまだに総理の座に居座っている。ここにはメディアの追及姿勢の問題もあるのだけれども、NHKは早々にこの問題の追及を報道することを放棄しているように見える。
 今は2019年だけれども、今現在のこの日本は、4~50年前のフィリピンのマルコス体制とかに近いものがあるのではないだろうか。
 わたしは、教育というものが行き届けば人々の意識は進化し、民主主義というものが徹底されるものとは思っていたのだが、実はそうではなく、いとも簡単に100年ぐらいは逆行することもあるのだと知った。ネットとかで目にするような、ネトウヨなどと呼ばれる人々の意識は、戦前の開戦派、レイシストの人々の意識と変わりがない。
 人はそれぞれ歴史から学んで行くものだと思っていたが、まったくそうではないらしい。それぞれの人は生まれたときはまったくのゼロで、そこから先、学ぶ気のないものはそのまま蒙昧の中で生きて行くのだろう。

 今日は早々と注文してあったDVDが到着し、いちどに30枚ものDVDが揃った。カレンダーはもうじき12月。これから毎日1作ずつ観て行っても、年内すっかりかかってしまう。

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 って、今日は『荒野の決闘』を観ようと途中まで観たのだが、「今日はこのあたりで」と中断してしまった。長いことDVDを観る習慣から遠ざかっているからこんなものだ。残り29枚のDVD、年内に観終えるとは思えなくなった。
 

『駅馬車』(1939) ジョン・フォード:監督

 この作品は過去にも観た記憶はなかった。ちょうど、わたしが映画に熱中した時期は、蓮實重彦の「ジョン・フォード論(序章)」によれば、ジョン・フォード評価の低かった時期でもあったのだろう。あの頃に「ジョン・フォードを観よう」という声はたしかになかった。

 アメリカ先住民(インディアン)はその頃にはもう「居住地(リザヴェーション)」に押し込められていたようだけれども、そんな中、酋長ジェロニモに率いられたアパッチ族が居住地から出て人々を襲っているらしい。6人乗りの「駅馬車」がそういう状況下に西部の平原を横断しようとする。乗客はほとんどアル中の医師のブーン、騎兵隊の指揮官の夫に会いに行くという貴婦人然としたマロリー夫人、酒の商人のピーコック、そして町から追い出されるらしい、おそらくは娼婦らしいダラスの3人だったが、賭博師のハットフィールドがマロリー夫人の護衛役を買って出て乗り込む(雰囲気としては下心があるようにも見える)。あとは御者と、保安官とが馬車の上に乗って同行する。
 出発してすぐに銀行の責任者のヘンリーが乗って来るが、どうやら彼は銀行に届けられた大金を持ち逃げしようとしている気配。さらに平原の手前で馬車はリンゴ・キッドに出会う。彼は監獄を脱獄し、馬車の行き先にいる、兄弟を殺したプラマー兄弟にかたき討ちに行くのだ。馬車に乗っていた保安官にいちおうは逮捕され、馬車に同乗する。8人の旅である。

 この、6人乗りの駅馬車内の閉鎖空間と、その外の広大な平原(ジョン・フォードお気に入りの「モニュメント・バレー」である)との対比がまずは見事であろうか。
 馬車が中継地に立ち寄るたびに情況が変化するというか、情況がわかって来たりもするのだけれども、それぞれの乗客の描きわけがいい。リンゴ・キッドは皆から冷たくあしらわれるダラスのことを「女性を尊重しろ」と言い、皆をたしなめたりもする。マロリー夫人は途中、赤ちゃんを出産したりもする。
 「西部劇」というと「男の闘いのドラマ」という印象があるが、そんなドラマの中にちゃんと女性を配置して、有無を言わせず「女性の権利」を打ち出しているあたりにも、この作品の突出した普遍性、現代性を感じる。

 ついにアパッチ族が来襲する。その一撃の「矢」による「奴らが来たぞ!」というメッセージが強い。そのあとの跳躍する「馬」の撮影の見事さ、リンゴ・キッドの活躍(これはスタントマンのヤキマ・カヌートという人物の功績らしい)。
 騎兵隊の到着でアパッチ族を撃退した駅馬車は最終目的地に到着し、リンゴは保安官の許しを得て宿敵のプラマー兄弟との決闘に向かうが、その前にダラスに「オレの牧場で(脱獄の罪で監獄行きする)オレが帰るのを待て」というのだね。

 ひとつこの映画で面白いのは、その肝心のクライマックスの「決闘シーン」がないこと。決闘を終えたプラマー兄弟の一人が居酒屋のドアを開けて入ってきて、「え?リンゴ・キッドは敗れたのか?」と思わせたところで、彼はドッと倒れるのである。
 こういう「肝心のところを見せない」というのは、例えば駅馬車の中で「もはやこれまで」と思ったハットフィールドがマロリー夫人の頭に銃を向けたとき、その銃を持った手が崩れ落ちるところでもあらわされただろうか。

 わたしには、この作品でブレイクしたリンゴ・キッド役のジョン・ウェインの良さというのはよくわからないのだけれども、武骨なガンマンの中に優しさを持つ男という設定はよくわかった。
 娼婦のダラスを演じたのはクレア・トレヴァーという女優さんらしいが、当初この役にはマレーネ・ディートリヒも想定されていたらしい。彼女が「娼婦」であるということはセリフとして語られることはないのだけれども、出発地で彼女を送り出す地元の女性たちの表情、そして彼女が馬車に乗り込もうとするときにチラリと見える彼女の脚、そのあとの町の男たちのにやついた表情のカットで、だいたいのことはわかることになっている。この場面は「お見事」ではあります。
 アル中気味の医師(トーマス・ミッチェル)や小心者の酒のセールスマン(ドナルド・ミーク)も味わい深いが、銀行の金を横領、持ち逃げしようとする男の印象だけは正直、イマイチなところがあるとは思った。
 

2019-11-27(Wed)

 朝から小雨が降り、やはり寒い一日になった。昨日は今頃まで出していた扇風機を押し入れに片づけて、交代で電気ストーブを引っぱり出してリヴィングにセットした。リヴィングにはエアコンがあるのだが、これは冷房には効き目があるのだけれども暖房にはさっぱりである。暖かい風がどうしても足元の方まで降りて来ず、頭の上を吹き抜けるだけでわたし自身はちっとも暖まらない。フィルターの向きをあれこれと調整してもダメで、もう冬の暖房はエアコンではなく電気ストーブに頼るに限る、ということになっている。そんな電気ストーブの初稼働だった。
 今日は「どてら」を着こんで暖房につとめ、電気ストーブのお世話にならないようにがんばった。やはり寒い日だったけれども、昨日の方が気温が低かったのだろうか。

 部屋にこもり、夕方からジョン・フォードの第一弾として『駅馬車』を観る。そう、いろいろとAmazonを閲覧していると別の10枚組の「西部劇集」などというものもあるわけで、そこに今手元にあるジョン・フォードの別の作品も収録されているし、他の作品にも面白そうなものがあるもので2セット注文してしまった。2組で20枚だが、送料を入れても合わせて1500円にもならない。というか商品よりも送料の方が高い。
 中古DVDの置かれた店にときどきこういうシリーズの10枚組が置かれているのを目にすることもあるが、だいたい1セットで1500円ぐらいするし、そもそも「このセットを探したい」と考えても、かんたんに巡り会えるものでもない。そういう意味でも、自分の部屋で「これが欲しい!」と注文すれば、すぐに配送してくれるシステムは便利だ。