ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-05-08(Wed)

 ニェネントくんに「異常」がないとわかり、ホッとして喜んでいる。ニェネントくんといっしょに、お祝いのパーティーをやりたい気分だ。

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 しかし昨夜はニェネントはわたしと遊ばず、わたしが寝るときもリヴィングへ行って、出窓に乗って外を見てばかりいた。どうやら窓の外にネコが来ていたのではないかと思う。

 このところわたしは寝るとき、ビル・エヴァンスばかり聴いている。むかし持っていた「Complete Riverside Recordings」をコピーして所蔵しているのだ(オリジナルは売却したのよ)。CDで全12枚。かなりのボリュームで、まだ6枚目とか7枚目にさしかかったところ。エヴァンスにとってリヴァーサイド時代はやはり最重要時期で、有名なスコット・ラファロ~ポール・モティアンとのトリオもこの時代。わたしもこの時代のエヴァンスが大好きなのだが、こうやって久しぶりに聴くと、なんだかピアノの音が硬いようにも思ってしまう。もちろん再生装置が大したものじゃないせいかもしれないが、ちょっと聴いていて疑問に思うところはある。
 ちょうど今、そのビル・エヴァンスの半生を追ったドキュメント映画が公開されている。これはぜひ観に行きたい。明日行こうか明後日行こうか、考えている。

 寝ながら読んでいる「世界の名著」のアナーキスト三羽ガラス集、『プルードンバクーニンクロポトキン』のうち、クロポトキンの『近代科学とアナーキズム』を読み終えた。次はバクーニンを読もうか。
 あと通勤のときはメルヴィルの『白鯨』を読んでいるのだが、これが面白くないわけではないのだが遅々として進まない。どうも、面白い本というのは逆に読むスピードが遅くなるようだ。
 

2019-05-07(Tue)

 連休が明け、今日から仕事が始まった。朝はけっこう平気で目覚め、気分もすぐに連休前と同じようになって家を出る。ただ「日の出」の時間が早くなったので、家を出るときに外はかなり明るくなっていた。
 職場に着いて仕事を始めると、意外と「風邪」が抜け切っていなくって、鼻水が出る。鼻をかむと黄緑のドドメ色のドロドロの鼻水で、もう快方に向かっているのだろうとは思う。
 それで、職場の人たちにお会いするのもずいぶん久しぶりの感覚で、ついつい「明けましておめでとうございます」とか言いたくなってしまい、それでは新元号を祝う人たちと同じではないかと、イヤになる。

 さて、今日はニェネントを動物病院に連れて行く。今日もニェネントはすっかり元気で食欲もあり、吐いたりもしない。ネットでみた簡単な(シロウトでもわかる)診断でニェネントの腹にさわってみて、内臓に疾患があれば痛がって嫌がるところ、平気で腹をさわらせてくれるので「大丈夫そうだけれども」という感覚はある。でも、ちゃんと病院で診てもらったこともないし、ニェネントは普通のネコよりよく吐くようだし、便もいつもカッチカチなわけだし、ここでキチンと診てもらっておこう。
 それで検診を受ける病院だが、ウチから歩いて3分のところに「動物病院」はあるわけだけれども、前にそこに行ってニェネントのことが「狂暴」だからとロクに診てもらえなかったことが気にかかるし、通勤で使う駅のちょっと向こうに「動物病院」があり、そこはネットで検索すると利用者の感想も書いてあるのだけれども、診療費がずいぶんと安いみたいだ。歩いて15分ぐらいかかるけれども、やはり今日はそっちの動物病院に行ってみることにした。

 新しいペットキャリーにニェネントくんに入ってもらって、家を出る。ニェネントくん、ほんとうに久しぶりの<外出>である。歩いている途中でキャリーの中のニェネントは「にゃ~にゃ~」となくけれども、そのなき声はそこまで<不安>という感じでもなく、「どこ行くのよ?」と言っているように聞こえる。
 病院に行くと、周りの<患者>はみんな犬ばかり。ネコはニェネントくんだけである。受付を済ませて順番を待っていると、同じく待っている人に「ネコですね」とか話しかけられる。ちょっとばかしペット談義をしたりしたけれども、この病院ではネコは珍しいのだろうか? ニェネントくんはおとなしくしている。

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 順番が来て呼ばれ、わたしもいっしょに診察室に行く。よかった。ここで前の病院のようにニェネントだけが診察室に連れて行かれると、また<狂暴>になってしまう。主治医は若い男の先生で、症状を話して診てもらう。まずはわたしがキャリーからニェネントを出そうとすると、看護の女性がすぐにエリザベスカラーをニェネントにつけ、ニェネントの体をタオルでくるんでキャリーから出す。その看護の女性の二の腕にいっぱい傷跡が残っていて、やっぱり「やられる」んだなあと思う。そんな、よその<狂暴>なペットに比べたら、ニェネントはおとなしいものではないか。ちっとも<狂暴>ではないぞ。前の動物病院のあの対応は何だったのか。

 診察。まず、ニェネントの体重は4.4キロだとわかった。ずっとニェネントの体重など計ったことなかったのだが、やはりニェネント用に体重計は買っておきたいと思っていたところ。わたしはもうちょっと、5キロに近いのかと思っていたのだが、意外とスマート?
 それでわたしがやったようにお腹の触診をやり、やはり嫌がらないので内臓疾患はないでしょうと。それで背中の皮膚を引っ張ってみて、手を離すとすぐに戻るので、「脱水症状」もないでしょうと。簡単な診察だけれども、とにかくはニェネントくんに<異常>はないようだ。「吐くのでしたら、消化薬を出しておきましょうか?」というので、もらっておくことにした。
 それで会計はやはり安く、前の動物病院の診療費の半額ぐらいだ。こういってはアレだけれども、やはり動物病院もピンキリで、このくらい露骨に差が出るというのも面白いというか、すべてに関して<差>がある。もう、これからはニェネントくんの<お医者さん>はこの病院に決定だ。すっきりした気分で帰宅。

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 ニェネントくん、よかったね。来月にはニェネントも9歳になるけれど、20歳でも30歳でも長生きしてちょうだい! わたしも負けないで長生きするから、いっしょに「虹の橋」を渡ろうね!
 

2019-05-06(Mon)

 今日はついに、長かった10連休の最終日になる。思い通りに過ごせたようなそうでもないような、微妙なところではある。ただとにかくはニェネントくんをこのままにしておくことは出来ず、動物病院に連れて行かなければならないだろうとは思っている。
 今日もニェネントはケロッとしていて元気で、食欲も旺盛なのだけれども、やはりおとといのような状態をそのまま放置してはおけないと思う。「今は元気だからいいや」とかそのままにして、あとになって「なんであのときに病院で診てもらわなかったのだろう」などと思うことになると最悪だ。

 それで、今ウチにあるペットキャリーは前の住まいでベランダに出しっぱなし雨ざらしにしてしまい、けっこうボロボロになってしまっている。これ以上使いつづけることもできないので、新しいのを買わなければとは思っている。
 できれば今日新しいキャリーを買って、明日には動物病院にニェネントを連れて行きたい。それで、ウチから北の方にあるペットショップに、ペットキャリー目当てで行ってみた。
 そのペットショップは前にネコトイレを買ったりしているし、店主の方がいろいろと話に乗ってくれるので「いい店だな」とは思っている。でもAmazonで買えば2000円以内で買えるキャリーも、安くっても2000円はするだろうなあと覚悟して店に行く。
 店に入り、「ペットのキャリーが欲しいんですけれども」というと、店主さんは「安くて良ければ、そこに千円のがいろいろありますよ!」という。「それはすごい!」と見てみると、ちょっと小さいようなので「小さすぎるかな?」というと、「ネコは小さいぐらいでちょうどいいんですよ」という。ま、経験のあるペットショップの店主さんの言われることだからデタラメはおっしゃらないだろうと信用し、けっこう数多く置いてある「千円」というキャリーの中から、上から出入りできるようになっているのを選んで買って帰った。

 帰宅して、ネットで「ネコのキャリー」を検索すると、たしかに「あまり大きくない方がいい、中でネコが方向転換できればいい」みたいに書いてあった。キャリーの上から出入りできるものを選んだのは正解で、「いい買い物をしたのかもね」と思うのだった。
 それでまずはニェネントくんにキャリーの中に入ってもらい、それから外に出し、キャリーの上蓋を開けたままにしておいたら、さすがにネコ種のニェネントくん、本能には逆らえず自分からキャリーの中に飛び込むのだった。よかったよかった。

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 これで準備OK、明日は動物病院に連れて行こうということにして、わたしは自分の夕食用に、久しぶりにカレーをつくってみるのだった。
 あとになってわかったのだが、わたしはてっきり動物病院は今日は休診だろうと思っていたのだけれども、駅の向こうの動物病院は今日も診療していたのだった。ちょっと、「今日行ってしまえばよかったな」とは思うのだった。
 

『ジョセフ・コーネル コラージュ&モンタージュ』@佐倉・DIC川村記念美術館

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 ジョセフ・コーネルはわたしの大好きな造形作家のひとりである。今となっては恥ずかしくもあることだが、わたしは彼の影響を受けて「ボックス・アート」を数多く造っていた時期もあったのだ。しかし、考えてみたら単品でコーネルの作品を観たことはあっただろうけれども、こうやって「コーネル展」としてまとめて彼の作品を観るのは、今回が初めてのことになると思う(記憶が消えているときにそういう展覧会があって、観ていたりして)。
 今回の展示でうれしかったのは、コーネルのいわゆる「箱作品」だけでなく、彼のコラージュ、そして映像作品、そして手紙や日記なども展示されていたこと。それらをまとめて観ることで、今まで「箱作品」でしか知らなかった、コーネルの作家としての「全体像」とまではいかなくても、その多様性(いやむしろ「単一性」というべきか)を知ることができたと思う。そして、思いがけず彼にシュルレアリストらとの交流があったということも知り、そのことも彼の作品を考える礎にもなった。つまり、わたしはジョセフ・コーネルのことはその「箱作品」だけで解釈し、それ以外のことはほとんど知らなかったのだ。

 例えば今回初めて知り、初めて観る彼のコラージュ作品。コーネルはマックス・エルンストのコラージュから影響を受けてコラージュをつくり始めたらしいけれども、コーネルのコラージュ作品はエルンストなどの「同一平面上に異質な世界を同居させる」というもの(これは日本の岡上淑子さんのコラージュ作品にもあてはまる)ではなく、観た感じそれは「コーネルにとっての<あってしかるべき世界>の具現化」ではないのかという感想を持ち、そこには「異質な世界の衝突」というスペクタクル性はなく、それは実におだやかな世界ではないかと思える。
 そう思ってみると、コーネルの「箱作品」も皆、やはり「あってしかるべき」静謐な世界にみえるのだった。コーネルには障害を持ち外に出られない弟がいて、その弟に「世界」を見せるために「箱作品」をつくっていたのだ、という話は聞いていたが、(その話の真偽は別として)「ありうべき世界」としての作品だった、ということは納得するものがある。

 もうひとつ、今回の展覧会で特筆すべきは、コーネルの映像作品のおそらくはほぼすべての作品を観ることが出来るということ。わたしは上映されていた作品のすべてを通して観たわけではないけれども、けっこう多くの作品を観た。
 そんな中でまず注目するのは、おそらくはコーネルがさいしょにつくった作品「Rose Hobart」。これは1936年の作品だけれども、当時人気のあったローズ・ホバートという女優さんの、映画の中での彼女の出演シーンだけを編集したもの。こういうのは今なら映像を録画して編集するのもたやすいことだから、どこかで女優を偏愛する方々がひそかにやられていることかもしれないけれども、この1936年という時代だと、まずはフィルムを入手して、それを切り貼り編集する技術をもっていないと出来ない。コーネルさん(もう、「さん」付け)は「この世界」から、その「ローズ・ホバート」の見られる世界を切り取って、パーソナルにフィルムを残すのだ。これは彼の「箱作品」とどこかで共通するアプローチだろうか(彼の<女性観>についてはわかったような顔をして書きたいこともあるのだけれども、すっごく長くなることもあり、やめておく)。
 それと注目したのはもう一作、「泉の伝説(A Legend for Fountains)」という作品。この作品ではこれ以外の多くの作品での「街角にカメラを置いてのスナップショット」ということを越えて、<演出>をしているということで注目に値する。撮影のために女の子に<役>を与え、その女の子の窓越しの姿を捉え、街の風景と合わせて編集している。ここに、ニューヨークという街から出ることもなかったというコーネルの、その<世界観>をも読み取れるように思った。そしてこのフィルムは<パーソナル・フィルム>と<映画>との、まさに真ん中に位置していて、今でもなお、「個人にとっての<映画>とは何か?」ということの解答を読み取れるような思いもするのだった。「必見」、と言っておきたい。

 その他コーネルの手紙、日記のこととか合わせて書きたいこともいろいろあるけれども、まだ出来ていない図録が出来て、それを読んでからのことにしようかと思う。
 

2019-05-05(Sun)

 昨日心配したニェネントだけれども、朝みた感じではとりわけて体調が悪いとかいう感じではない。昨夜は嘔吐もしなかった。もちろんこのまま「よかったね」ですませるのではなく、動物病院に連れて行かなければならないのだけれども、わたしの判断でそこまで急迫した状態でもないだろうと思う。今日という日はわたしのために使わせてちょうだい。
 わたしも昨日はちょっとのどが痛んで、風邪の前期症状というところだったのだけれども、今朝はほとんど気にならなくなっていた。「それでは」と、前から伸ばし伸ばししてきた「コーネル展」を観に行くことにした。

 目的地の「DIC川村記念美術館」へ行くには大きく分けて二通りのルートがあり、我孫子から成田線に乗り、途中乗り換えてずっとJRで佐倉まで行くルートと、途中までは同じルートだけれども成田の駅で京成線に乗り換え、京成佐倉駅に行くルートがある。佐倉の駅からは美術館まで30分に1台の無料送迎バスが出ているのだけれども、送迎バスの出発は京成佐倉駅前からで、途中にJRの佐倉駅前に寄るということ。「それならばバスの出発地から乗った方がいい」と思い、成田駅で京成線に乗り換えるルートにした。我孫子駅から「成田線」を初めて利用する。車窓風景が新鮮だ。どんどん農村風景になっていく。そしてこの日は田んぼに水が張られ、まさに「田植え」をしているところが多かった。
 一時間ちょっとで京成佐倉駅に到着。ちょうど送迎バスが出発したばかりの時間で、しばらくの待ち時間にあたりを歩いてみる。起伏のある地形で、ちょっと古い建物も目についた。歩いていると目の前をツバメらしい鳥が飛び過ぎて、近くのビルの階段口に入って行った。そう、5月はツバメの巣ごもり、子育ての季節だ。今年初めて見るツバメ。ちょっと追ってみると、もちろんまだ雛は生まれていないだろうけれども、巣ごもりの準備をしているようだった。

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 そろそろ送迎バスの到着時間になるので、バス発着場に戻る。さすが連休中というか、かなりの人が並んでいて、ここでバスはほぼ満員になってしまい、次のJR佐倉駅では4~5人の人しか乗れず、あぶれた人たちは次とか次の次のバスの待つことになりそう。やはり京成佐倉の駅まで出てきてよかった。
 出発したバスから外を見ていると、やはりこの京成佐倉駅周辺は古い建物が多いようで、「佐倉城下町商店街」などという掲示も目に入った。
 バスはまたどんどんと水田地帯を進んでいき、午前11時、ついに「川村記念美術館」に到着。緑の美しい、森の中の美術館みたいな(わたしはココに来るのは初めてのこと)。

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 今日は「端午の節句」当日でもあるので、美術館エントランス前には「鯉のぼり」の姿も。

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 美術館はその「コーネル展」だけでなく常設展示も相当なもので、特にポロックポップアート~それ以降のアメリカ戦後美術のコレクションはなかなかのもので、こうやってまとめて「ポップアート」系の作品とかを観ると、ふわりとタイムスリップしたような気分にもなる。
 特にこの常設展のためにまとめて書くことはしないけれども、中でも照明を落とした部屋の中に展示された、マーク・ロスコの大作7点の部屋にはちょっとばかし感銘を受けた。コーネル展については別に。

 午後二時半のバスで京成佐倉駅に戻り、しばらく駅周辺をぶらぶらしてみる。これは佐倉市立美術館。なかなかに威厳があってカッコいい。

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 これは工芸品店だろうか。中でコーヒーも飲めるようだ。

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 こういう「シャッター店舗」でも、タイルのはがれとかに目が行ってしまう。

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 こうやって、川村記念美術館と佐倉の商店街とがリンクして互いを盛り上げ合うようであれば、かなり理想的な関係のようにも思ってしまう。
 京成線からJRに乗り換える成田駅でも、電車待ちの時間にしばらく駅周辺を歩いた。ここは駅舎周辺にツバメが飛び交っていたが、この駅は鳥が留まりそうなところには垂直な針金を「針山」のように立て、鳥が留まれないようにしている。そのせいでツバメが「どこか留まれるところ」を探して右往左往しているようにみえる。

 なんとかまだ明るいうちに帰宅したけれども、ニェネントくんには留守番を感謝。ひょっとしたら具合が悪いかもしれないのに、留守番をさせてわたしだけお出かけするなんて、わたしは「鬼畜」だ。
 

2019-05-04(Sat)

 昨夜は暖かく、それでちょっと薄着でしっかりと布団もかぶらずに寝てしまったのだけれども、朝起きるとのどに違和感があり、風邪の前期症状みたいだった。それで今日もまた「コーネル展」に出かけるのは延期した。明日行ければ明日行きたい。体の調子に気をつけよう。

 今日は作業を続けた。昨日までの作業に並行して別のアプローチを2~3やってみて、どれがいいか比べてみる。どうやらいちばん最初に試みた方法がいちばんいいように思える。すべてやり直し。この連休中にまずはひとつ終了させようとは思っていたのだが、どうもそういうわけにはいかないようだ。

 心配なことがあって、ニェネントが一日に二回吐いた。今日食べたものはほとんどもどしてしまった。食欲はあるし、見たところはいつもと変わらずケロッとしていて元気で、出窓にジャンプしたり、調子が悪いようには見受けられないのだけれども、夜になると(いつものように、わたしとひとしきり遊んだあと)啼く。しばらく右往左往して啼くのだが、これは発情期によくやることではあるけれども、今ニェネントは発情期ではないはずなので、何か苦しんでいるのかもしれない。
 ネコは自分の体調が悪いことを外に示さず、体調の変化を読み取りにくいという。それで「どうよ」とニェネントを観察してみるのだが、わたしのそばにいるときはしっかりと「香箱座り」をしている。まあいつものことなのだけれども、「香箱座り」について調べてみると、その座り方がいちばん楽なので、体の調子の悪いときに「香箱座り」をするのだ、というようなことも書いてあったりして、また心配になる。

 今まで病気らしい病気もせず、健康に育ってきたニェネントだけれども、以前から嘔吐の回数は普通より多かったし、便はむかしっからカッチカチである(便秘ではない)。何か潜在的な病気を抱えている可能性はある。ニェネントも来月には9歳になるし、つまり「更年期障害」というか、やはりきちんと診察してもらった方がいいだろう。今日明日は動物病院も休みなので、明日もう一日様子をみよう。ニェネントくん、元気でいておくれ。
 

2019-05-03(Fri)

 夢をみた。しばらく、みた夢のことは書いていなかったが、決して夢をみなかったわけではなく、「夢をみたな」と思っていても目覚めたときにたいていは忘れてしまっていたからだ。
 今朝みた夢は、どうも半分は覚醒した状態でぼんやりと考えながらみていたようなところがあり、純粋に「夢」とはいえないようにも思うのだが、実はこのところ、「半分目覚めた状態」でみる夢が多いようにも思う。それで今日の夢はなぜかバンドの「ザ・ドアーズ」の夢というかジム・モリソンのことで、わたしは「ジム・モリソンも晩年にはその詩才も枯渇していたよな」とか思っている(彼がその長くはない生涯の晩年にドラッグやアルコールの中毒状態になっていたことは知られているけれども、それで詩作の才能が失われたかどうかは知らない)。それでドアーズのメンバーを思い出そうとするのだが、ロビー・クリューガーとジョン・デンズモアの名前は思い出すのだが、あと一人の名前が思い出せない(目覚めたあと、あと一人はレイ・マンザレクだと確認した)。
 これでは「夢」らしい映像も伴わず、やはりただ半分目覚めた状態でぼんやりと考えていただけみたいだが、そのときにエレベーターに乗ろうとする人々の映像をみていたことは記憶しているけれども、そのことが「ドアーズ」とどのように関係しているのか、まるでわからない(エレベーターのドアと「ドアーズ」のリンクか?)。

 今日はほんとうは「ジョセフ・コーネル展」を観に行こうかと思っていたのだが、せっかく作業も興に乗ってきたところだし、今日はできるだけ作業を継続して、「コーネル展」に行くのは明日にしようか、ということにした。
 しばらく作業をつづけたあと、プリンターを使おうとしたのだが「エラー」のメッセージが出て、プリント出来なくなっていた。つい2~3日前には正常にプリントアウト出来ていたので不可解。
 実はこのところ、パソコンのタッチパッドが過剰反応していて困っているのだけれども(わたしは今、マウスは使っていない)、つまり指で動かすポインターが勝手に動き、勝手にクリックしたことになってしまう。買った当初にも多少こういうこともあったけれども、最近は勝手にいろいろなものを選択してしまうので困っている。それで別のところでも「ログイン」していたのに「初期設定」状態に戻ってしまっていたり、多少悪影響も出ている。わたしの考えではそんなポインターの暴走でプリンター設定がおかしくなった可能性がある。
 とにかくはいろいろと取説を読んだりネットで調べたりして試行錯誤してみるのだが、チェックしてもプリンターの無線LANは異状なくつながっているようだし、セルフテストをやるとパソコンとの接続もOKのようだ。つまり、エラーらしいエラーが見つからないのに稼働してくれない。メーカーに問い合わせようかとも思ったけれども、それも面倒だし、なんとか自力で解決したい。けっきょく考えたのは、パソコン側のプリンター関連のソフトを、ドライバーを含めてすべていちど削除(アンインストール)して、再度インストールしてみるということ。
 あれこれと時間をかけて再インストールしてみると、「無線LANとの接続が出来ない」というメッセージが出る。「困ったなあ、やはりメーカーに問い合わせないとダメだろうか」と考え、試しに一度プリントをやらせてみたら、ちゃんとプリント出来るようになっていた。
 ‥‥この一連の作業で3時間以上かかってしまい、今日はプリントアウトしたものを手掛かりに作業を進めようとしていたのだが、もうそういうことをやる気もなくなってっしまった。

 ごくごく簡単に夕食をすませ、実は昨日YouTubeでいろいろ検索していて、マリー・ラフォレの主演している映画『国境は燃えている』のイタリア語版(英語字幕付き)のフル・ヴァージョンを見つけていたのを観始める。ところが、観ているうちに英語字幕が映像とどんどんどんどんずれていき(先に字幕が出てしまう)、そもそもの英語力もあまりないものだから、わけがわからなくなってしまった。「どのくらいずれるのよ」とラストシーンをみたら、ラストでは字幕と映像とは3~4分のずれになっていた。これでは観ていられない。中断(逆に「字幕」などに頼らず、ただ映像を観ているだけの方が「わかる」かもしれない)。

 昨日は「インスタグラム」との奮闘、今日は「プリンター」との奮闘で、ずいぶんと時間を無駄にしてしまった。連休の予定も狂ってしまった。