ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-06-16(Sun)

 昨日のスーパーからの帰り道、空に「綿菓子」のような雲が見られたので、写真を撮ったのだった。

     

 この日は「12年前に<狭心症>の治療を受けたときはどんなだったのか?」と、12年前の「日記」を検索して、読んでみたりした。
 どうやら、ことはその年(2012年)の2月に始まっていたようで、やはり夜寝ていて激しい胸の痛みを感じ、翌日にかかりつけの内科医へ行ったのだ。12年前は茨城県に住んでいたので当然、今通っている内科医ではない。そうしたら内科医の先生は「そういうときは一刻を争うので、痛みが出たらすぐに救急車を呼んで下さい」と語られ、病院からそのときすぐに設備の揃った市民病院に「緊急搬送」されたのだった。けっきょく市民病院での検査で「異常」が認められず、こういうのはまさに症状が出ているときでないと調べられないのだというのだった。
 その日はそれ以上調べることもできないのでつまり「仮釈放」されて自宅へ戻り、以後しばらくは胸痛も起きずに過ぎたのだけれども、4月の末になってまた夜中に胸痛が起き、「そういうときはすぐに救急車を呼んで下さい」とは言われてはいたけれども、どうせ救急車が迎えに来る頃には胸痛もおさまっていて、救急搬送員も憮然とした表情でわたしを残して帰って行くことだろうから、救急車を呼んだりはしなかった。
 わたしは翌日市民病院へ行き、それまでのいきさつを話したならば、「では五月の一日から4日ほど入院して検査し、異常があればそのまま治療しましょう」ということになったのだった。
 それでとにかくは入院し、入院した翌日にかなり大がかりな検査を行ったのだ。予定ではそのままカテーテル治療になだれ込むと聞いていたのだが、検査の途中で担当医師から「異常が見つからないので治療は中止します」と聞かされたのだった。
 以後、本来なら退院しちゃっていいのだが、五月の連休で病院も「お休み」中で、なぜか五月七日まで入院してしまったようだ。
 当然ニェネントくんはおうちで「お留守番」で、とちゅうで「一時帰宅」で家に帰らせてもらって、ニェネントくんのごはんを出してあげたのだが、まだまだ2歳にもなっていなかったニェネントくん、ひとりでずいぶん寂しい思いもしたようで、わたしが帰宅したあとは、今では想像もつかないぐらいにわたしに甘えてきたようなことが、日記には書いてあった。

 ‥‥そうか、入院した記憶はあったからちゃんと治療したのかと思っていたら、実のところやったのは「検査」だけで、治療行為はな~んにもやっていなかったのだった(その代わり、薬は4種類ぐらい処方されたようだったが)。

 この日は偶然にもいいタイミングで、夜にEテレで「狭心症心筋梗塞」の特集番組が組まれていたのだった。
 それを見てまず思ったのだが、患者の皆さん、症状があらわれるのは坂道を登ったり、階段を上がったりしたあとなのだということで、「寝ているときにとつぜん胸痛におそわれる」わたしとは、まるっきし違うのである。
 そもそも12年前のわたしの日記には、わたしの症状は「不安定狭心症」と言われたと書かれているのだが、今日調べるとこいつは「心筋梗塞」の前段階であるケースが多く、非常に危険なのだということである。
 ‥‥うむ、明日市民病院へ行くから、そのときに聴いてみよう。
 また、この日のテレビによると、治療も「日帰り」で済むケースが多いらしい。それはうれしいことではあるが。

 などと思っていたら、夜になって寝入ってから、また激しい胸痛に襲われてしまった。夜の10時15分ぐらいから始まり、さいしょの激しい痛みは数分で収まったけれどもまだすっきりとはせず、しばらくして2度目の胸痛が始まった。
 さすがにこの夜は救急車を呼ぼうかとも考えたが、けっきょく「お迎え」が来る頃には痛みもおさまっていて、「余計な通報はやめて下さい!」とかで放置されるに決まっているだろう。