ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『エル・スール』(1983) ヴィクトル・エリセ:監督

   

 ヴィクトル・エリセの新作『瞳をとじて』が公開されたもので、彼の旧作『ミツバチのささやき』、『エル・スール』とが劇場で再公開された(『マルメロの陽光』の上映はなかった)。わたしは両作品とも観ていたが、『ミツバチのささやき』の方はなんとなく記憶しているけれども、この『エル・スール』はまるで記憶に残っていない。それでこの日、映画館に観に来たのだった。

 映画は、スペイン北部の「かもめの家」と呼ばれる家に住む少女エストレリャとその父親アウグスティンを中心としたストーリーで、エストレリャの家族はスペインの「南」(エル・スール)から、このスペイン北部に転居してきている。
 ある早朝、まだ夜も明けきらないときに、母が父の名を呼ぶことでエストレリャは目覚めるが、エストレリャは「もう父は戻って来ないだろう」と思う。
 そこからストーリーは、エストレリャの、父アウグスティンへの思い出を過去からたどり始めることになる。医師であるアウグスティンは、振り子を使って水源を探し出すなどの能力をも持っていて、エストレリャにもその能力を伝えようとしていたし、エストレリャはそんな父親に神秘的なあこがれも抱いていた。
 父親が「南」の地から転居してきたのは、スペイン内戦時の祖父との不和が原因のひとつだったらしく、父は「反フランコ」ゆえに投獄されたらしい。
 エストレリャの初聖体拝領の儀式の日になり、祖母や乳母も「かもめの家」を訪れてくれ、儀式ではエストレリャとアウグスティンは二人で踊りもする。
 あるとき、エストレリャは父の不在のときに父の机の引き出しから、「イレーネ・リオス」という女性の名と、女性の顔が描かれた紙片を見つけ出す。それ以来、エストレリャにとって「イレーネ・リオス」という名前は「父」と結びついた謎となるが、ある夜、町の映画館でその「イレーネ・リオス」という女優の出演している映画が上映されているのを見つけるのだった。エストレリャは、映画館にその映画のチラシをもらって帰るのだった。

 基本的にこの映画は、エストレリャの一人称視点からのみ描かれるのだけれども、この「イレーネ・リオス」に関係するパートのみは、父親アウグスティンの視点から描かれる。
 アウグスティンはその映画館にイレーネ・リオスの出演する映画を観るのだった。映画は、イレーネ・リオスの演じるヒロインが、ラストにその恋人に撃ち殺されるというものだった。
 映画を観たあと、アウグスティンはイレーネ・リオス宛の手紙を書いて投函し、そのあとにイレーネからの返信を受け取る。
 イレーネはかつてアウグスティンの恋人だったようだがそれも過去のことで、イレーネは今は女優もやめてしまった、ということらしい。

 このあとはまた映画はエストレリャの視点に戻るのだが、それ以来アウグスティンは夜に外に出かけることが多くなり、エストレリャは町に父を探しに行ったりもする。
 エストレリャが15歳になったとき、彼女はアウグスティンにランチに誘われる。エストレリャは思い切ってアウグスティンに「イレーネ・リオス」のことを聞くのだが、ちょっとはぐらかされてしまい、エストレリャにはわからないままだ。
 もう学校に戻らなければならない時間になり、アウグスティンは「学校はサボって、まだいっしょにいないか?」と語るのだがエストレリャはそのまま父と別れる。
 エストレリャは、父がいなくなってから(父は自殺したことが映画では描かれる)そのランチのときが父とのさいごの会話になったことを悟る。
 ラスト、エストレリャが「南」へと向かおうとするところで映画は終わる。

 ‥‥特に冒頭の薄明の室内など、「暗さ」の中に浮かび上がる人物が、レンブラントの絵画のように「息をのむほどに」美しい。

 ここで、ヴィクトル・エリセの40年後の映画『瞳をとじて』とのことで考えれば、それはもちろんアウグスティンが映画館で観る、イレーネ・リオスの出演する映画との関連ということになるだろう。まさに「記憶」を呼び起こす「映画」が、そこにあるのだ。
 また、エストレリャが家に帰って来ない父親を捜して夜の町に行き、映画館の前で映画のポスターを見るシーンがあったのだけれども、わたしはスペイン語はわからないが「Hitchcock」の文字はわかったし、そのポスターに描かれた女性のイラストは、わたしにはテレサ・ライトだろうと思えたし、つまりその映画ポスターはヒッチコックの『疑惑の影』だろうと思った。
 その『疑惑の影』という作品、ヒロインのテレサ・ライトが「イギリスから来た叔父」と出会い、さいしょは「ステキなおじさま」と思っていたのが、それがだんだんに「このおじさん、殺人鬼なのでは?」という疑惑に囚われて行く話なわけで、まさにこの『エル・スール』という映画の中での、エストレリャが父親に抱くようになる「疑念」と対応していたのではないか、とは思うのだった。
 エストレリャの目からみた父親の、幼い頃は「神秘」に包まれた「すばらしい能力を持った人」だった人物像が、エストレリャの成長と共に父の執着する「イレーネ・リオス」という女性の名を知る。
 「父もまた一人の人間(男)としての悩みも持っていたのだ」という「了解」への変化が捉えられているようで、そういうことではわたし自身もまた「娘を持つ父親」でもあるわけで、「娘からの父親への認識」というところでしっかり感情移入してしまい、自分の過去のことを思い出してしまうのでもあった。

(映画の公式サイトでも、その他のところでも監督のことは「ビクトル・エリセ」と表記されているけれども、監督名は原語で「Víctor Erice」なので、わたしは敢えて「ヴィクトル・エリセ」と書きます。)