ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『幸福(しあわせ)』(1965) アニエス・ヴァルダ:脚本・監督

 アニエス・ヴァルダが『5時から7時までのクレオ』の次に撮ったのがこの作品。この作品はベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞し、日本でも、1966年のキネマ旬報ベストテンの外国映画の第3位じゃ(ちなみに、1位はサタジット・レイの『大地のうた』で、2位は正式公開がこの年だったオーソン・ウェルズの『市民ケーン』、そして下の4位はパゾリーニの『奇跡の丘』だ)。まあキネ旬ベストテンなんかの評価も時流的なものだから、あんまり絶対視することもないけれども、ヴァルダの作品が3位というのはすごい。
 当時のこの映画のポスターが、またすごい。

       

その色彩は鮮やかに
花びらのしずく
その弦は華麗に
モーツアルトの調べ
女流監督アニエス・バルタが
女の肌で描く しあわせの四季

 ‥‥確かに映画の色彩は鮮やかで、ずっとモーツァルトが流れていたけれども、これが「しあわせの四季」かよ?
 このポスターを見て「ロマンチックな映画みたいだ」とこの映画を観に行った人たちは、観終わって「わたしもしあわせな気分になった」などとなったのだろうか?
 この作品が「幸福(しあわせ)」を描いているのだとしたら、観客は思いっきり主人公の男性に感情移入をして、そのラストにも「彼が幸せそうで良かった」と納得して映画館を出たのだろうか?
 いやいや、そこには1960年代の「男性優位」の社会構造が影を落とし、主人公を肯定するのだろうか。

 今まで観たアニエス・ヴァルダの作品と違って、作品は明確に「劇映画」の形式をとっていて、これまでのドキュメンタリーっぽさという演出は感じられない(「ドキュメンタリー」ということで言うならば、主人公のフランソワ、そして妻のテレーズ、2人の子供たちは、実際に「家族」なのだということ)。そしてヴァルダ初のフルカラー作品として、四季の花々の美しさを見せてくれるし、街の中、部屋の中の撮影でも「原色」の美しさがクロースアップされ、確かに表面的にはフランス郊外で生活する人々の、「日々の生活を支える<美>」という視点も感じられる。

 ストーリーは単純でもある。2人の子供と可愛い妻のテレーズと、平凡ながらも幸せな生活を送っているフランソワだが、ある日郵便局の受付をするエミリーと知り合い、深く付き合うようになる。もちろんエミリーはフランソワが妻帯者と承知で深い関係になるのだが、フランソワは妻のテレーズのことも愛しているわけで、「自分は2人の女性を同時に愛している。自分は何て幸せなんだろう」と思っている。
 ついにフランソワはテレーズに「自分はエミリーという女性も君と同じように愛しているのだ。僕は今幸せだ」と語る。
 その直後にテレーズは入水自殺をするのだが、テレーズの死の悲しみの癒えたフランソワはエミリーを迎え入れ、以前テレーズとやったのと同じように、2人の子供と共に郊外の草原にピクニックに出かけるのだ。

 フランソワは、ほとんど「サイコパス」のような人間に見える。彼は「他者への感情移入」という「愛」の本質が欠如していて、ただ「自分は人を愛し、愛されている」という自己中心の思考から出ることはない。「幸福」ということで考えれば「自分は2人の女性を同じように愛していて<幸福>だ」と思っているのだろうが、それは女性の側からみれば当然、「この男はわたしを愛していると言うが、同じように他の女性のことも愛していると言う。では、<彼>だけを愛している自分の<愛>は、彼の抱く<愛>とイコールではないではないか」ということになる。
 「愛」の本質とは、「相手を独占したい」という気もちでもあるだろう。フランソワは2人の女性を独占して満足していて、あとから彼を愛したエミリーはそのことに納得ずくだとはいえ、テレーズにはどれだけ残酷なことかということに、フランソワは思いが至らないのだ。

 ラストの秋の草原に、フランソワとエミリーが風景に同化するような茶系の同じセーターを着て、2人の子供と共に歩いて行く後ろ姿。これは例えばカウリスマキ監督の最新作『枯れ葉』のラストに似てもいるのだけれども、ただ「この男は何なんだ」という思いだけが脳裏に拡がる。

 フランソワは決して「犯罪」を犯したわけではないが、フランソワは自分で知らずにテレーズに「絶望」を与えた。これは「犯罪」の意識もなく人を「死」に至らしめたという、恐ろしい「ホラー映画」で、わたしは映画を観終わって相当の「恐怖感」を味わった。これは単純な「人をぶっ殺す」というホラー映画と同類ではなく、黒沢清の映画にあるような「人の心理下の恐怖」を描いた作品だと思ったし、この80分の映画のストレートさにおいて、黒沢清の作品の「恐怖」を凌駕している、と思った。
 つまり、これは自分的には「最高のホラー映画」なのだと思ったし、そんな作品をアニエス・ヴァルダが撮っていたことに、ただ驚くのだった。