ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『太陽がいっぱい』(1955) パトリシア・ハイスミス:著 青田勝:訳

 凛としたアラン・ドロンのたたずまい(わたしにはマリー・ラフォレの美しさこそ!)と、ニーノ・ロータの甘美な映画主題曲でよく知られた、ルネ・クレマン監督の映画でこそ有名な作品だけれども、映画公開当時に原作のことなどまったく知られてはいず、このパトリシア・ハイスミスの原作が翻訳されて日本で刊行されたのは、なんと映画公開から10年以上経った1971年になってのことだった。
 今ではパトリシア・ハイスミス知名度も上がり、この『太陽がいっぱい』のラストが映画と原作ではまるで異なることも知られるようになっていると思うし、さらに1999年にはアンソニー・ミンゲラ監督、マッド・ディモン主演の『リプリー』(こちらは原作に近い内容になっていた)も公開されたわけだ。

 その原作のタイトルは「The Talented Mr. Ripley」で、「才能豊かなリプリー氏」みたいな感じだろうか。
 アメリカでつまらない詐欺師みたいなマネをやっていた主人公のトム・リプリーは、イタリアに行ったっきり戻って来ないディッキー・グリーンリーフという男のことを知っていたおかげで、そのディッキーの父親から「旅費と生活費を出すから、イタリアへ行ってディッキーに会い、彼をアメリカに連れ戻してほしい」と依頼される。
 イタリアのモンジベロというところでディッキーと会うことができたトムは彼との関係を深め、うまくディッキーの住まいに同居するまでになる。しかし現地にはディッキーと親しいマージという女性がいて、彼女はディッキーに親しくするトムをみて、「同性愛者みたいで気持ち悪い」とディッキーに話す。ディッキーもトムと距離を置くようなそぶりを見せはじめ、トムはディッキーに絶縁されるかもと危機感を抱く。その気もちが強まったときトムは、ディッキーと2人で借りて沖に出たボートの上で、ディッキーをオールでぶって殺してしまう。
 トムはディッキーの死体を海に沈め、ボートも返却せずに沈めてしまい、以後マージには「ディッキーは一人でローマへ行った」などとごまかして、自分はディッキーから取ったパスポートでディッキーの名をかたって、アパートに一人住まいを始める。そこにディッキーの行方を捜しているフレディというディッキーの友人が訪れ、トムがディッキーのふりをしていることに気づくわけで、トムはフレディも大理石の灰皿で殴り殺し、その死体を墓地の奥に捨ててしまう。
 しかしフレディの死体はすぐに見つかってしまい、ディッキーが重要参考人となり、「ディッキーはどこへ?」と行き先が捜査される。
 ここからトムは、「トム・リプリー」の自分自身に戻ったり、「ディッキー・グリーンリーフ」に成りすましてを使い分け、警察の捜査をかわすことになるのだ。トムはディッキーが毎月受け取っている資産も自分のものにして悠々自適の生活だが、当初はトム・リプリーという人間が行方不明で、警察に捜査もされる。いいタイミングでトムはトム自身となって姿をあらわし、警察の取り調べの中でディッキーはフレディを殺害し、その自責の念で自殺したのではないかという筋書きを暗示するのだった。
 ディッキーと乗っていたボートが発見されたり、トムのまねたディッキーのサインが「偽造」ではないかと疑われたり、後半はそんなトムの「逃亡生活」というか、彼の内面での「もう逃げ切れないかもしれない」という思いと、「うまく切り抜けたな」という思いが交互にあらわれる。

 小説は全編トム・リプリーの視点から書かれ、トムの考えの変化が読み取れていくのがひとつには面白い。彼自身は自分が「同性愛者」だとは思っていないようだが、ディッキーのいないところでディッキーの上着やズボンを着て、ディッキーの靴も履いてその姿を鏡に映してディッキーのマネをする場面など、強いディッキーへの執着が読み取れるし、彼を殺害するというのもつまりは彼に見捨てられることを畏れて、のようではある。また、ディッキーの恋人だったマージのことも嫌っている。
 後半に、警察の捜査を逃れて「ここはこうやって切り抜けよう」とか「こりゃあヤバいかもしれない」とか思いながらやって行くさまは、まさに「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」というところもあり、たしかにイタリアに来るまでの彼が「チンケな小悪党詐欺師」だったことからは大きく成長し、まさに「才能豊かなリプリー氏」と呼んでもいいのだろう、とは思う。ただ、最後には久しぶりに会ったマージに「見破られた」と思ってしまい、危うくマージをも殺してしまおうとするのだが(その一歩手前で思いとどまるのだ)。

 でも、ただディッキーの親からもらった金だけでイタリアに渡ったはずのトムが、いつの間にか豪華な住まいに転居し、家事手伝いまで雇うようになっていることを、たとえばマージなどは「おかしい」とか思わなかったのだろうか。また、フレディが殺され、ディッキーも行方不明という時期が続けば、フレディのことも知らないではないトムは、やはり「参考人」としてもっと取り調べを受け、その行動にも警察から制限が加えられそうにも思ったりするが。