ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『世界の終わりの物語』パトリシア・ハイスミス:著 渋谷比佐子:訳

 パトリシア・ハイスミスが1987年、最後に発表した短編集。でも彼女としてはこのあと、「トム・リプリー」シリーズの最終作『死者と踊るリプリー(Ripley Under Water)』(1991)と、最後の長篇『スモールg(ジー)の夜』(1994)を上梓し、1995年に74歳でお亡くなりになられている。
 そういう意味での「遺作」の『スモールg(ジー)の夜』は、ハイスミス女史の「世界への期待」を思わせられる穏やかな作品で、LGBTQらの人々との共生を期待するような、極めてポジティヴな作品だったと記憶しているのだけれども、この『世界の終わりの物語』の作品群は、まさに「世界への呪詛、または世界への嘲笑」だらけの、いかにもハイスミス女史らしい「悪意にあふれたいたずらごころ」にまみれた短篇集と思え、そういう意味ではパトリシア・ハイスミスの「遺作」というのにふさわしいように思えてしまった。

 収録作は以下の十編。

・奇妙な墓地
  (The Mysterious Cemetery)
・白鯨Ⅱ あるいはミサイル・ホエール
  (Moby Dick II;or The Missile Whale)
ホウセンカ作戦 あるいは“触れるべからず”
  (Operation Balsam; or Touch-Me-Not)
・ナブチ、国連委員会を歓迎す
  (Nabuti; Warm Welcome to a UN Committee)
・自由万歳! ホワイトハウスでピクニック
  (Sweet Freedom! And a Picnic on the White House Lawn)
・<翡翠の塔>始末記
  (Trouble at the Jade Towers)
・<子宮貸します>対<強い正義>
  (Rent-a-Womb vs. the Mighty Right)
・見えない最期
  (No End in Sight)
ローマ教皇シクストゥス六世の赤い靴
  (Sixtus VI, Pope of the Red Slipper)
・バック・ジョーンズ大統領の愛国心
  (President Buck Jones Rallies and Wavaes the Flag)

 どの作品もタイトルからしてヤバいのだけれども、ここでは「パトリシア・ハイスミスといえばサスペンス/ミステリーの作家」という「通説」は、まったく通用しない。ここにある作品群は、現代の世界(と言っても今から35年も前のことだが)が抱える「社会問題」を題材に、これは「風刺」というのではなく、「そこまで書いてしまってはシャレにならないでしょうが!」みたいな、ある意味ハイスミス女史らしい「悪意」にあふれた作品群なのである。

 例えば、この短編集ラストの「バック・ジョーンズ大統領の愛国心」などは、中東への武器供出でメディアから疑念を持たれたアメリカの大統領が、翌日の公聴会では部下の補佐官の答弁に一身の期待を寄せていたのだが、なんとその夜に補佐官は自殺してしまう。大統領は「自殺」を隠そうと、彼は自宅プールで泳いでいて溺れたと言いくるめようと画策するが、時は2月。誰がプールで泳いだりするのか?(笑)
 しかもそんな騒動のなか、いささかアルコール依存症気味の大統領夫人が、誰もいない大統領のオフィスに入り込み、「核ミサイル」をソ連(このとき、ロシアはまた「ソヴィエト連邦」だったのだ)に打ち込むという指令を出してしまうのだ(笑)。核ミサイルはまさにソ連に打ち込まれるが、その「報復」で、アメリカ各地に核ミサイルの攻撃が始まる。大統領夫妻は(それまでの経緯は、もうこうなってしまったらどうでもよく)リムジンで避難しようとするのだが、途中でガス欠になるものも、(「オレは大統領だ!」と怒鳴っても)誰もガソリンを売ってくれないのだ。
 そして、世界は(少なくともアメリカは)滅亡するだろう。

 まさにハイスミス最後の短篇にふさわしい作品というか、我々は大笑いしながら滅亡して行くのだ。
 このときのアメリカのじっさいの大統領はロナルド・レーガンだが、この「バック・ジョーンズ大統領」は、もっとあとの時代の、ジョージ・ブッシュ(子)を彷彿とさせられるところがある。ハイスミス女史の「予言能力」であろうか(いや、この「予言」を超えたのが「トランプ」というヤツだろうが)。

 とにかく、だいたいすべての作品がそういう調子で「ヤバい」わけで、書いて紹介して行こうにもキリがない。ゴキブリが豪華タワーマンションの中で繁殖し、巨大化するという「<翡翠の塔>始末記」などは、前に「カタツムリ」を題材に、こういう短篇を書いてもいたハイスミスらしい作品ともいえるが、病院施設でいつまでも長生きし、二百歳を越えて存命してしまう老女の話「見えない最期」、もう彼女とは意思の疎通も出来ないし、彼女は夜の暗闇で青く光って見えるようになる。ただただ「延命」によって、人は「妖怪」となっていつまでも生き続けるのだ。

 こうやって全作品紹介したいが、めっちゃ長くなってしまうので自粛。
 ただ、「ナブチ、国連委員会を歓迎す」という作品、これはアフリカで植民地から独立した「ナブチ」という架空の国の話だが、独立後の選挙で僅差で大統領になった男は政治的手腕など皆無で、ただ国連から毎年寄託される寄託金を浪費するばかり。豪華大統領邸も豪華ホテルもメンテナンスならず、年ごとに廃墟化して行くのだけれども、そこに「国連委員会」がこのナブチにやって来るという。ヤバいのだが、じっさいに起きる顛末は、そんな想像を軽く凌駕するようなものだった(大笑い)。
 これなんかも、アフリカの「民族自治」っつうのを差別的に小バカにしてるっつうか、「そういうこと、書かない方がいいんじゃないのかな?」と心配になってしまう(そういう作品はこの短編集にあふれているが)。

 ま、そういう意味で、読んでいて非常に「ヤバい」と思いながらも、薄気味悪く思ったり、大笑いしてしまったり、つまりは(先にも書いたように)パトリシア・ハイスミスの生前さいごの短篇集にふさわしい作品だった、という感想を抱いたのだった。