ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『本を愛しすぎた男 本泥棒と古書店探偵と愛書狂』 アリソン・フーヴァー・バートレット:著 築地誠子:訳

 この本は、「本泥棒」とそれを追う古書店のオーナーの「探偵」との話を、当人らに直接会って取材して記録したドキュメント。「本泥棒」といってもいわゆる「万引き」などではなく、実のところは他人のクレジットカードナンバーを入手して詐欺を行う「クレカ詐欺」なのだが、その泥棒が狙うのが古書店に置かれた高価な「稀覯本」であることが特殊なのではあった。
 著者は特に「書物」や「古書」に詳しい人間ではなく、この本の巻末の著者紹介を読むと、「旅行、芸術、科学、教育等について、ニューヨークタイムズワシントンポストその他の新聞や雑誌に寄稿している」とある。この本の主人公ジョン・ギルキーに関する彼女のオリジナルの記事は、2007年の最優秀アメリカ犯罪報道に選ばれたらしい。

 いちおう通して読んだのだが、この「本泥棒」ジョン・ギルキーという男、ただ単に「値の張る本」だけを狙っていたようで、それは特に有名作家の初版本、特に著者サインがあればなおさら結構、という価値観の持ち主で、それは「その本には何が書かれているのか?」という、その本から得られる情報、その内容には無頓着なように思えた。
 この男が蒐集しようとしていた本のジャンルはいちおう「文学」中心のようだが、値打ちがあれば「古地図」などにも食指を伸ばす。そもそもこの男がコレクションしようとしていたのが「20世紀の小説ベスト100」を全部揃えるということなのだから、普通の文学愛好家とはちょっと違う。文学愛好家というものは、まずは「好きな作家」「研究したい作家」があり、その作家の本をできるだけ揃えようとするものなのではないだろうか?
 そこでこの男、いわゆる「読書家」というものではないようだが、いちおう文学についての基礎知識は得ようと努力はしているようだ(そのこともつまりは「本を盗む」ための下調べの役に立つため、そしてちゃんと古書店店主に「本のことがわかっている」とみせかけるためのようだが)。

 だからわたしなどは読んでいても「この男は<本を愛した男>と呼べるのか?」という疑問を抱いてしまうのだが、この著者は、本において「売買されるときの価格で判断される価値」と「その本自体の内容の持つ価値」とは無関係だということを理解していないようだ(だからためらわずに『本を愛した男』というタイトルをつける)。
 そもそもこのジョン・ギルキーという男、先に書いたように自分のコレクションのひとつの目標は「20世紀の小説ベスト100」を100冊揃えることのようだし、仮にその100冊を揃えてしまったら、次にはその100冊のためにそれぞれ「絵」を添えて展覧会を開きたいというのだ。
 「えっ! 自分で絵を描くつもりがあるのか、それは立派なことだ!」と思ったらそうではなく、何と誰か画家と契約して100枚の絵を描いてもらうというのだ。アホらしいも極まる思いがする。
 さらに思いを巡らすと、「20世紀の小説ベスト100」というものもひとつの「文学批評」の産物であり、批評概念が変わってくればその「ベスト100」のリストも変わるのだ。それでもこのジョン・ギルキーが「20世紀の小説ベスト100」にこだわるとすれば、彼はただその時点でのリストを「絶対視」しているだけで、それぞれの本自体の持つ固有の「価値」などには無関心なのだろう。であればジョイスの『ユリシーズ』も欲しがるし、同時にマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』も欲しがることだろう(『風と共に去りぬ』が「20世紀の小説ベスト100」に入ってるかどうかは知らないが)。

 この著者は、このジョン・ギルキーという男の「本の愛し方」が歪んでいることに気づいているのだろうか?
 もちろん「稀覯本コレクター」にはこのような「本の愛し方」もあるのだろうが、それにしてはこのジョン・ギルキーには「本の内容にも価値を見出している」ような素振りも見せていて、しかもその「価値」とはけっこういい加減なものに思える。著者は何度もそのジョン・ギルキー自身に会ってインタビューもしているのだから、「あなたが集めているものは本当は何なのか?」とか聞けばよかったのにとは思ったりする。
 しかし読んでいると、この著者も「本という文化」そのものにかなり無知なこともわかってくるし、けっきょくのところこの本は「ひとりの犯罪者の犯罪履歴」みたいなものなのだろう。それに、著者が一人称で語るそのときの考えだとか「自己吐露」みたいなものがあまりに「平凡」で、「こんな記述で文字数を稼ぐのか」みたいでもあるし、もうちょっとアメリカの「古書業界」の裏側に迫っても欲しかった。けっきょくこの本は、ジョン・ギルキーという男の「自己顕示欲」を満足させているだけではないのか、とも思う。

 そのジョン・ギルキーが「古書市」にあらわれそうだという情報を得て、古書店主である「古書店探偵」が彼の姿を追うというあたりは、サスペンスっぽくって少し面白かったけれども、全体にけっきょくはわたしには意味のない本だった。
 こういう「泥棒」についてのノンフィクションなら、以前読んだ『大英自然史博物館珍鳥標本盗難事件』(カーク・ウォレス・ジョンソン:著)という本の方が、何百倍も面白いのだった。