ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ゾディアック』(2007) デヴィッド・フィンチャー:監督

 1960年代からアメリカで実際に起きた、「ゾディアック」を名乗る人物による連続殺人事件と、その犯人を追う刑事、そして新聞記者、同じ新聞社の漫画家による追跡調査を描いた作品。この漫画家は1986年にノンフィクション小説『ゾディアック』を執筆してベストセラーとなり、この映画はそのロバート・グレイスミスによるノンフィクションを映画化したもの。

 ひとつこの作品で注目されるのは、さいごまで(映画製作時まで)犯人は不明のままで終わるということなのだが、ずっとこの事件を担当したトースキー刑事(マーク・ラファロ)も、独自に手がかりを求めて行動するグレイスミス(ジェイク・ギレンホール)も、最終的には「ある一人の人物」を「犯人」とほぼ確信している。しかしその男の筆跡鑑定は「シロ」だったし、DNA鑑定もまた「シロ」となる。
 この映画では、本を書いたグレイスミスはさいごには「ぜったいコイツが犯人だ!」とほぼ断定してるのだけれども、先に書いたように筆跡鑑定もDNA鑑定も「シロ」という鑑定結果。この映画を観ている限りでは、「そりゃあ絶対に鑑定ミスだよ!」と思いたくなってしまうのだけれども、映画の姿勢としては原作本もあることだし、その男は「限りなくクロに近いシロ」という描き方。
 映画ではその「犯人」と目される男は何度も尋問も受けているし、つまりその姿をスクリーンにさらしている(もちろん、犯行の時には犯人の顔とかは不明なままだけれども)。

 面白いのはもう映画も終盤に差し掛かってから(最後の殺人事件から10年後)、グレイスミスが雑貨店に買い物に行くと、その店の店員がまさに「犯人じゃないか?」という男で、グレイスミスもその「犯人らしき男」の顔写真は見ているわけで、店員の顔を見て「コイツじゃないのか?」と思ってしばらく男の顔を見つめる。
 ま、普通だったら「オレは犯人を見つけた!」みたいな感じで男は逮捕され、一件落着になりそうな展開だけれども、グレイスミスも「確実な証拠はない」ことを知っているから何もできない。
 それでそのあとのシーン、さらに7年後、すでにグレイスミスの書いた本は出版されているのだが、その本の内容にインスパイアされたのかどうか、殺人の起きた現地の警察官の後任が、22年前に犯人に撃たれて生き残った男を呼び、複数の写真を見せて「この中にあなたを撃った男がいるか」と聴いたところ、まさにその男の写真を選び、「確実にこの男だ」と言うのである。これがこの映画のラストシーンで、そのあとのテロップで、この証言により検察は男を殺人容疑で起訴しようとするが、その準備中に男は心臓病で死んでしまうのだった。

 本来グレイスミスは新聞社の中でもこの事件に関しては「部外者」で、個人的な興味から探索し続けるのである。
 もう一人の新聞社の中心人物、エイヴリー(ロバート・ダウニー・Jr)も当初は事件に入れ込み、グレイスミスのことを「面倒な男だ」と思いながらも情報を分け与えていたのだが、その「ゾディアック」から脅迫状を受け取ったりもし、アルコールに溺れて退職する。
 トースキー刑事にとっても、グレイスミスという男は当初「お呼びじゃない」のだが、「暗号」などを自力で解読したり、警察の捜査を一から洗い直すような視点を持っていることに感心するようになり、これもまた非公式にグレイスミスに情報を与え、「本を書けよ」と言うのである。
 そんなグレイスミスが「ゾディアック事件」にハマりながらも、映画館でデートしたり、そんな彼女を置いてけぼりで捜査に熱中するのだが、いつしかそんな彼女(クロエ・セヴィニー)と結婚(再婚)しているのだった。彼女は家庭のことを顧みずに事件にのめり込むグレイスミスにいささかあきれ果てるのだけれども、最後までグレイスミスを支えていたようだ。

 いちおう映画のスタイルとしては「サスペンス」というか「ミステリー」と言えるとは思うけれども、ここではそんな「事件」に夢中になったグレイスミスを中心に、「真実」を追い求める男の執念を描いているかと思える。
 「ミステリー」というのでは、中盤にグレイスミスが「犯人」の知人で、犯人が撮影したフィルムを所有しているという男がいる(犯人は「映画マニア」らしい)との情報を入手し、その男に会いに行くのだけれども、その男の家で「いろんな資料が地下室にある」と言われて地下に誘われるところが、めっちゃ怖いのであった。普通の展開だったらその男こそが「犯人」で、グレイスミスは地下室でその男に殺されかねない展開なのだ。ここはデヴィッド・フィンチャー監督がわざと観客にミスリードさせ、面白がっていたようにも思えてしまう。

 出演する俳優たちも皆「名演技」というか、わたしはいちばん最後の「犯人」を名指しする男の演技も好きだったし、映画が立体的に奥行きの深いものだったと感じる。デヴィッド・フィンチャー監督の作品では、この作品がいちばん好きかもしれない(忘れてしまった作品が多いけれども)。